今日、日本文理は仙台育英に惜敗した。
大井監督にとっての最終戦である。
かつて、新潟の高校野球は参加することに意義がある存在でしかなかった。
パパが新潟の高校野球が一皮剥けたのを印象づけられたのは、新潟南の関川監督。これで新潟の高校野球は強くなったと思いかけたのだが、あれ以降20年以上も低迷することになる。
県内でも強豪と言われる高校はあそことあそこ。しかし、真に全国レベルで戦えるのは日本文理しかなかった。
高校野球の宿命として、毎年チーム力が様変わりする。
あの準優勝以降も日本文理が甲子園出場できなかった年もあった。県内で強豪と呼ばれる高校数多あれど、全国レベルで戦える高校は日本文理しかない。日本文理が出場しない年は、ハッキリ言って甲子園には興味を持たなかったというのがパパの本音である。
甲子園に出場できるチームと甲子園で勝てるチームは明らかに違う。甲子園に行けたら可能性はあるとの思いからパパが日本文理を応援してきた理由だ。
勝負は時の運。
日本文理が負けて甲子園に行けないことだってあるだろう。パパの夏はそこで終わり。ほかの高校には申し訳ないが日本文理が甲子園に行った年がパパにとって長い夏になるのだ。キレイ事は言うまい。それが新潟の高校野球の現実なのだから。
上っ面の話をするつもりはない。全国レベルの野球をするのなら新潟県の高校球児たち、指導者には奮起せよとの言葉しかない。
今夏、出場校中、最高齢の監督が大井道夫監督である。
2009年夏。今も忘れられない全国制覇を賭けた決勝戦の活躍には目頭を熱くさせられた。伊藤直輝投手はなるほど素晴らしいピッチャーだ。だが、ドラフト1位になるような傑出した存在ではない。
ひとりのスター選手に頼ることができるならそれもよかろう。
だが、日本文理をはじめとした新潟の高校野球にそれを期待するのは無理な話。全国的な名門校が皆無な現状で、ひとつひとつ勝ち上がっていくのはチームの安定感しかない。チーム力を上げるのは、そうしたスター選手の存在もあるかも知れないが、やはり監督あっての話なのだと思う。
甲子園初戦敗退の長いトンネルに光明を当てた、いや光明を引きずりこんだ大井監督の功績は極めて大である。
栃木県出身の名将が新潟の高校野球を変えてくれた。
日本文理高校の選手たちを育て慈しみ、新潟県の高校野球をひとつもふたつも強くしてくれた監督に対して新潟県民として心よりお礼を申し上げたい。
新潟県民栄誉賞を大井監督に捧げたい。
そう思うパパなのであった。
大井監督。最後まで新潟の高校生をしっかりと育ててくださってありがとうございました。
できるならば、体力と気力の許す限り、勇退後も見守っていただけたなら幸いです。
ありがとうございました。