今は昔、国鉄なる国有企業あり。
破滅的な赤字を計上して天文学的な金額の債務は切り離され、民営化によりJRという私企業に生まれ変わった。
今や、この会社の存在意義は私企業そのもの。利益の積み上げしかないようだ。一言でいえば銭の亡者以外の何物でもない。
その企業姿勢はJR東日本の「トランスイート四季島」に表れている。
富裕層優遇の過剰サービスで何百万円もするプレミアムチケットを作り出し競争率何十倍で売り出している。
そんなプレミアムなサービスも乗客が乗車してようやく始まるのだが、何と発着駅は上野駅とのこと。
この列車に乗ろうという人の多くは東京駅の方が便利だろう。
だが、プレミアムをいいことに上野まで来いということらしい。新幹線の拠点は東京駅。「トランスイート四季島」に乗ろうと降り立った乗客は新幹線東京駅から電車で上野まで行くのだろうか。それくらいの料金を要求するなら迎えに来いではないか(笑)
面白いことに、読売新聞ではかの列車の乗車駅が上野であることを郷愁を誘うと肯定的にコメントしていたが、何のことはない、新幹線も在来線も拠点化した東京駅では過密なダイヤに対応できないだけの話ではないか。すべてはJR東日本のご都合主義にもっともらしい理由をつけた話。
結局のところ、多額の債務から解放されたものの、根っこにある考え方は親方日の丸が親方ゼニ儲けに変わっただけ。日の丸にせよゼニ儲けにせよ、毎日在来線で通勤通学している乗客はそっちのけということだ。国鉄時代とは向いている方向が違うにせよ、どのみちありうべき方向は見ていないのである。
こうしたどうでもよい列車にマスコミまでがチヤホヤしてJRのイメージ操作に便乗しているとは情けない。「四季島詐欺」の片棒担ぎなのだよ。
四季島なんぞに乗せることよりも、遅れない越後線を実現することがJRの使命なのではないかと思うがどうだろう。
越後線の定時運行や安全対策に投入するための資金を四季島で稼ぐとでもいうのなら話は理解できるのだけども、JR東日本のちょっとした管理職でも年収1000万円を軽く超えていると聞くにつけ、何か浮世離れしたもののように思える。
公共交通機関の使命は、第一に安全。第二に定時運行。誰にでも等しく同じサービスを提供することであるはずだ。
越後線などの在来線が定時運行できないのは安全対策がなっていないからだ。定時運行のための安全対策を講じてこそ公共交通機関としての価値がある。
「トランスイート四季島」の存在は、そういうものをすっ飛ばした先のものだ。カネにならない在来線は安全対策にもカネをかけない。遅れてもやむなしとの姿勢は露骨なほどによくわかる。。
私企業としての一般原則は「利潤の追求」。
だが、それ以前に企業として求められるものを実現して初めて利潤の追求ができる権利が与えられることを忘れてはならない。それが「商い」というものの道理だろう。