父と娘  -4ページ目

寝ずの番

人工呼吸器につながれたまま。いくら話しかけてもやはり反応なし。
呼吸器をつけていても呼吸はかなり苦しそう…見ているこちらがつらい!
医者は肺が固くなってると言っていたが…

危篤

昼前に病院から電話。
まさかの急変。話しをするまもなく意識がなくなってしまった。
あとはいつまで心臓が持つか。
あともう一度だけ、話しがしたい。

七夕制作

以前の日記でも書いたことがある、子宮頸がんで療養中だったの友人の母親も、ついに”後1ヶ月”と医師から告げられたらしい。

似たような境遇に置かれた彼女とは、時々お茶したりメールしたりして励ましあっていた。

彼女の母親は、もう少し長生きできるものだと思っていたので驚いた。

彼女は、幼い頃に、父親の浮気がきっかけで家庭崩壊してしまった被害者で、母親が突然愛してくれなくなった心の傷を今でも引きずりながら看病をしている。

美しい気持ちだけで肉親が死ぬまでの過程を見守れない苦しい気持ちは私もよくわかる。


病室ではいよいよ七夕制作にかかった。

結局父は、”自力で作ろう”という気力がなかったのだろう、制作の全てを私と妹に一任した。

妹は”おねえちゃんが就職できますように”という短冊を書いていた。(笑)

私はまた”家族が幸せに過ごせますように”と書いた。

”お父さんが元気になりますように”と書こうかどうしようか迷って止めた。七夕の願いが本当に叶うかもしれないから。


父は、昨日よりもまた少し咳が増えたように感じた。


七夕飾りを作りながら、父は、私と妹代わる代わるにお願いをしてきた。

だから、今日は初めて妹も父親の歯磨きの手伝いをした。妹がやるのを見ていて、やはり私と父のコンビプレーのほうが息があっているなと思った。伊達に毎日お見舞いに行っていないな。


また、妹に”お父さんこれから寝たきりになるから、みんな(こども)で協力して欲しい。”というようなことと、おねえちゃん成長したでー。お父さんのウンコしたお尻拭いてくれたんや。”(”成長”という言葉がなんかイヤだけど。)ということ、”お父さん、痴呆になるで!!”と話していた。

どれもこれも、病身のわが身を憂いての発言。

”死ぬ”ことを予感しているとは思えない発言だが、病気がよくなるメドがたっていないことは十分承知しているし、これからも医療費がかかり続けること、点滴と酸素マスクが手放せない身では家に帰ることすら難しいということは、わかりすぎるくらいわかっているだろう。

自分が痴呆になると言ったことは、薬の影響でだいぶ頭がぼーっとしてきたからだと思う。

とにかく、日にちや曜日がぐちゃぐちゃになっていることが多い。何回かゆっくり説明してあげると、ようやく理解できるみたいだ。


私と妹が帰るときは、とても寂しそうにしているように見えた。

”帰る”というと突然、”どこどこのなになにが食べたくなってきた!”と言ったから。

「買ってこようか?」と聞くと

「中止!」

と慌てて撤回した。


明日はついに叔父が来てくれる。

叔父は、父が”死”を予感していると思っていて、最期のメッセージがあるかどうか、やんわりと聞いてくれるつもりだ。

果たしてどうなるのか・・・


今晩から、父の安らかな日々と最期を祈ると同時に、友人の母親のことも一緒に祈ることにした。

妹登場

妹帰省で、言い表せないほどの安堵感。


今日の父も変わらず。ただ、少し咳が増えた。

寝たきりでもペンや、ケイタイが取りやすく、カレンダーが書けたりできるように、壁にフックをかけたりして父用にベッド周りをコーディネート。

昨日頼まれていた、アルミの針金みたいなものや、ペンチ等々のプチ工具セットを持っていっていたので、自分で針金を切ったり曲げたりして手製のフックみたいなものを作っていた。

七夕の制作には、まだ着手していない。

師長さんからも催促されているみたいだけど・・・あと5日後には七夕なのに。

病院のエントランスや外科病棟の詰所前には、涼やかな七夕飾りが飾られている。

明日にでも、一緒に手伝って進めよう。次の日には叔父も来ることだし。


妹は、19時過ぎに病院近くの駅に着いた。

明日一緒に来ると父に言うと、出来たら今日ちょっとでも来てくれたら嬉しいというので少し顔を出した。

妹も全くイヤな顔せず、すんなりと了承した。

何も言わないけれど、そうした方がいいと思っているのだろう。

こういう部分はほんと、女の子だなと思う。弟だったらどうだっただろうか・・・

3人いると全然雰囲気が違う、私は久しぶりに、ここ最近では見たことのない父の笑顔を見ることができた。

ヤニで真っ黒に汚れた歯をむき出しにして笑っていた。


久しぶりに父に会った妹は、やはりあのやせ細り具合にド肝を抜かれた様子だった。


妹が帰ってきても、父の病状は変わらないんだけど、私は本当に心強い。

一人きりで背負うには本当に重すぎた。

ありがとう。

貴重体験

早く病院に行かなければと思いながらも、父の状態が悪くなっていたら怖いという気持ちが私の足を重くさせた。

妹が帰ってくるための布団の準備などを午前中に済ませて、午後から病院へ。

怖々訪ねたが、昨日と変わらぬ父の様子をみてホッとした。

一人で家にいるより、病室で傍らにいる方がずっと安心できる。


今日は、祖母にケイタイで電話をかけた。

もう二人が会うことは出来ないかもしれないけど、会話をできたということがとても嬉しかった。


貴重な体験ひとつ。

昨日の看護士さんのやり方を見て、父の大便の手伝いをしてあげた。

トイレの蓋をあげ、父をベッドから起こし、便座に座るまで手を貸してあげた。

その後、オムツを便器の中に押し込み、看護士さんがやるより丁寧にお尻を拭いてあげた。

昨日見ている限りでは、手際は良いが丁寧にしているとは言い難かったから。

紙おむつをベッドに広げ、父を移動させて再びお尻を拭いてあげようと思ったが、動いたため呼吸が乱れてしばらく動けない。

結局その後は、看護士さんを呼んで手伝ってもらうことにした。

愉快な作業ではないが、これも貴重な体験。

一時のことだとわかっているから、すんなりと出来たという自覚はある。


水曜日に遠方から見舞いに来てくれる叔父は、父が既に最期を予感していると思っているようだ。

実際はどうなのだろう・・・

父はしばしば今秋の話や、これから父の介護が長引くであろうことを予測した発言や、地デジや、先の話をする。そんな発言だけ考えれば、とても前向きに治療にあたっていると思える。

しかし、あの父が”死”を想定の範囲内にいれていないというのも考えられない。

希望を持って、前向きに治療をすることは素晴しいことだけど、死を前にして伝えたいことや託したいことがあるかもしれない。

言い残しの無念より、心穏やかに過ごす方が父にとっては幸せかもしれないな。

一応、叔父(長兄)が父のその辺の思いを聞き出してくれるようだが・・・

この問題は、天に任せるしかないのだろうか。


県外(大阪)に出ている妹は、先月末に仕事を辞めた。

その都合でこちらでの長期滞在が可能なのだが、今後の就職も結局は大阪ですると思う。

しかし父は、妹が地元で就職してくれたらという希望があるようだ。

それは、二人で力を合わせれば、私一人にかかる父の介護の負担が軽減されると考えてのことだった。

体調が悪くさえなければ、そんなこと思いもつかない父なのだけど。


差し入れのバッテラは2つ食べることが出来た。

丸首TシャツからV首のTシャツに着替えさせてあげた。丸首は首に圧迫感があって好きじゃないようだ。

シーツ代わりにしていた毛布とムートンを久しぶりに外に干した。

今度医師を見かけたら、今後の予測される状態の変化などを詳しく聞こうと思う。先手を打ってモルヒネを投与するのか、徐々に昏睡状態になるのか、急変する可能性はあるのか、医師不在時はどういった対処をしてくれるのか、不安なことだらけなので、ハッキリ言ってもらうほかない。


追記:懲りずにまた院内にて喫煙。少し立ち上がるだけでも呼吸が乱れるのに、タバコを取って、ジュースの空きコップに捨てて、よくやる。

吸殻を発見して、ピシャリと怒って、タバコとライターを全て取り上げて帰った。

情けない!