七夕制作 | 父と娘 

七夕制作

以前の日記でも書いたことがある、子宮頸がんで療養中だったの友人の母親も、ついに”後1ヶ月”と医師から告げられたらしい。

似たような境遇に置かれた彼女とは、時々お茶したりメールしたりして励ましあっていた。

彼女の母親は、もう少し長生きできるものだと思っていたので驚いた。

彼女は、幼い頃に、父親の浮気がきっかけで家庭崩壊してしまった被害者で、母親が突然愛してくれなくなった心の傷を今でも引きずりながら看病をしている。

美しい気持ちだけで肉親が死ぬまでの過程を見守れない苦しい気持ちは私もよくわかる。


病室ではいよいよ七夕制作にかかった。

結局父は、”自力で作ろう”という気力がなかったのだろう、制作の全てを私と妹に一任した。

妹は”おねえちゃんが就職できますように”という短冊を書いていた。(笑)

私はまた”家族が幸せに過ごせますように”と書いた。

”お父さんが元気になりますように”と書こうかどうしようか迷って止めた。七夕の願いが本当に叶うかもしれないから。


父は、昨日よりもまた少し咳が増えたように感じた。


七夕飾りを作りながら、父は、私と妹代わる代わるにお願いをしてきた。

だから、今日は初めて妹も父親の歯磨きの手伝いをした。妹がやるのを見ていて、やはり私と父のコンビプレーのほうが息があっているなと思った。伊達に毎日お見舞いに行っていないな。


また、妹に”お父さんこれから寝たきりになるから、みんな(こども)で協力して欲しい。”というようなことと、おねえちゃん成長したでー。お父さんのウンコしたお尻拭いてくれたんや。”(”成長”という言葉がなんかイヤだけど。)ということ、”お父さん、痴呆になるで!!”と話していた。

どれもこれも、病身のわが身を憂いての発言。

”死ぬ”ことを予感しているとは思えない発言だが、病気がよくなるメドがたっていないことは十分承知しているし、これからも医療費がかかり続けること、点滴と酸素マスクが手放せない身では家に帰ることすら難しいということは、わかりすぎるくらいわかっているだろう。

自分が痴呆になると言ったことは、薬の影響でだいぶ頭がぼーっとしてきたからだと思う。

とにかく、日にちや曜日がぐちゃぐちゃになっていることが多い。何回かゆっくり説明してあげると、ようやく理解できるみたいだ。


私と妹が帰るときは、とても寂しそうにしているように見えた。

”帰る”というと突然、”どこどこのなになにが食べたくなってきた!”と言ったから。

「買ってこようか?」と聞くと

「中止!」

と慌てて撤回した。


明日はついに叔父が来てくれる。

叔父は、父が”死”を予感していると思っていて、最期のメッセージがあるかどうか、やんわりと聞いてくれるつもりだ。

果たしてどうなるのか・・・


今晩から、父の安らかな日々と最期を祈ると同時に、友人の母親のことも一緒に祈ることにした。