父と娘  -5ページ目

七夕の短冊

今日も昨日と同様に、穏やかそうな状態だった。

モルヒネが良く効いているのだろう。本人は”悪くなっていない”と感じているようだ。


病室に七夕の笹が増えていた。天然のものだった。

師長さんが、詰所の前に飾る用の笹を持ってきたものを一部父にも差し入れてくれたそうだ。

さらに師長さんは、お弁当も差し入れてくれていた。

優しい心遣いにじーんとした。


父の病室の笹はまだひとつもディスプレイされていないが、詰所前の大きな笹はたくさんの患者さんやその家族の願いが書かれた短冊で飾られ始めた。

ある看護士さんが、私にも書くように勧めてくれたので

”お父さんが幸せに過ごせますように k”

と書いた笹を飾った。


私が滞在中に、2度ほど大便をした。

薬の影響だろう。どちらかといえば下痢っぽい感じ。

ベッドから起き上がるのも一苦労なので、当然トイレに間に合うはずもない。

おむつが大活躍である。

いつもは看護士さんにまかせきりにして、私は退室しているのだが、今日は私も立ち会った。

というのも、父としては今後、娘の私に下の世話を頼まざるを得ない状況がくるので看護士さんがお世話してくれるのを良く見ておいて欲しいという意図だった。

”いつかはしないといけない日が来ると思ってたから私は平気”だと父に伝えると、そんな覚悟をしていた私に驚いた様子だった。

更に私は、親の世話は誰かがしなければいけないことだし、そういうことが出来る人のところにそういう役割が回ってくると聞いたことがあるよと言った。


昨日買ったケイタイが早速活躍。

2番目の兄に電話をかけた。

叔父は、父の元気な話し方に驚いたのではないだろうか。

次兄である叔父も近々お見舞いにきてくれるそうだ。


そろそろなのかと思うと、だんだんと会話も増えてきた。

父が若いころドイツに行った話しを少し聞いたり、ある女性閣僚の服装のセンスのなさを二人でバッシングしたり、あ、エクレアも食べた。etc・・

昨日私が言ったことが薬になったのか、今日はほとんど気分が悪くなるようなことを言われなかった。

少しはわかってくれたのかな。




呼吸がラクになった

昨日の処置のおかげで、呼吸はずいぶんラクになっていた。

一言一言息継ぎをしながら話しをしていたのも緩和されていた。

少し安心したが、これでもう最後のカードを切ってしまったわけなので、もう打つ手立てはないのだ。


そして病室の移動。

詰所のまん前になった。

父は「そんな重篤な患者じゃないのに。」と可笑しそうに言った。


プリペイドカード式ケイタイの手続きはあっという間だった。

父は生まれて初めてケイタイ電話を手にした。

メールの使い方を教えるのは難しかったので、とりあえず電話のかけ方受け方だけ教えてあげた。

呼吸が楽な間、もう二度と会えない人とも電話で話しが出来たらいいんだけれど・・・


それで相変わらずやっぱり私をを苛立たせる事を、嫌な話し方で言う。

後で抑えることはできても、その瞬間のイラつきは抑えられない。私の返事も当然イヤミで無愛想で冷ややかなものになる。

更にそれに父が怒る。

あまりに腹がたったので、今日は冷静に

”私が冷たく言い放つのは、お父さんが先に私に嫌な言い方をするからやで!お父さんがまず、そんな言い方をやめてくれたら私もこんなんじゃない。私は冷たいことも優しくないこともないよ。”

と、何よりも自分の態度が周りをそうさせているということを伝えたかった。

すると父は

「そうなん。じゃあ、なんて言ったらええん。」とまるでそんなこと思いつきもしていなかったように、悪びれもせずに聞いてきた。こういう態度に、人として屈折しているなと感じずにはいられない。

「怒らずに普通に優しく言ってくれたらええよ。」と返すと

「そう・・・」と言った。


七夕までに父の七夕飾りは完成するだろうか。

看護士さんが楽しみにしていると父は言っていた。


妹が日曜に帰ってきてくれる。

たまたま先月末に仕事を辞めたこともあって、しばらくいてくれるみたいだ。

父の様子をみながらなので、妹もどうしたらいいのか難しいところだろう。

しかし心強い!父の苦しむ姿をたった一人で受け止めなければならないのは怖かったから。

胸に管を通す

私が訪ねた途端、ごほごほと咳き込み、呼吸困難になってしまった。

いくら咳をしても、タンが出なくて苦しんでいる様子。

”はっはっ”と苦痛に顔を歪めてもがいてる。

ちょうど、処置のために病室にいてくれた看護士さんとラクな姿勢に変えてあげた。

鼻用の酸素の管から、酸素マスクに切り替える。

それでも到底間に合わない様子で苦しんでいる。

息も絶え絶えな状態で、父は看護士さんに”もういいです。”と退室を促した。


私は、父に”ゆっくり優しく背中をさすってくれ”と頼まれたので、父の背中にそっと触れ大きく優しくなでた。

大人しくしても全く呼吸がラクにならないので、医師を呼ぶように父に言われた。即座に詰所に行き看護士さんに医師に来てくださるようお願いをした。


私は、時々父の手をぎゅっと握り、医師が来てくれるのを父とじっと待った。

”しゃべらなくていい”というのにやたらと声を発したがる。

一番初めよりは少しだけ落ち着いたものの、医師が来てくれるまではその姿が可哀想で苦しそうで本当につらかった。


”自分の現状を医師に目視確認して欲しい”

それが父の意図だった。

現れた医師は、数日内に行うよていだった、胸水の排出措置を即座に講じてくれることとなった。

20分くらいの処置で、管を入れるとあっという間に1Lほどの水が出てきた。

しばらくすると、ようやく呼吸に落ち着きが戻った。私も一安心できた。


19時過ぎまで病室で過ごした。

七夕セットはダイソーであっさり見つかったので、父に渡してあげた。

明日は、プリペイドカード式のケイタイを父に持っていく。父にとっては初めてのケイタイ!メールを送ることはできるだろうか。もう公衆電話にも行けないから、電話が祖母と父をつなげてくれたらいいなと思う。

祖母は現在白内障の手術で入院中。しばらく家にはいない。

祖母が家に帰ってくるまで、父が話しができるだけの呼吸状態を保てますように。


祈り

少し、末期肺がんの場合のモルヒネの投与の仕方などについて調べていた。

”最期は眠るように”という表現も見かけ、安心もしたが、残り少ない日々を痛感し、意識がなくなる前になんて話しかけてあげるべきなのかと考えた。考えても考えてもまったく何を言ったらいいのかわからないけど。


日々弱っていく父を見るのが怖い。

明日の病院ももちろん怖い。

どうか、どうか、父の恐怖と苦しみと痛みがなるべく少ないようにと祈ることしか出来ない。

告知について今思うこと

昨日のカウントダウン報告を受けてよくよく考えたのだが、やはり父に余命のこと、はっきりとした病状のことを告げないでよかったという結論にほぼ達した。


今日もそうだが”病状が悪くもならないけど良くもならない”と言っていたし、私や家族の”うすうす死ぬ可能性も感じて欲しい”という思いも裏切る発言の数々。


私しかお見舞いに現れない父が、私がいない何時間もの間”死の恐怖”をじっと耐えて怯えて過ごすよりも、精神的に苦しむ時間が少なくラクにさせてもらった方がいいような気がする。

いくら親とはいえ、傲慢な考え方だとは思うし、”優しさ”でやっているなんて胸を張る気もないが。

ただ、やり残したこと言い残したことがあるとすれば父にとってはとても悔やまれることだろうけど。


今日はついに尿道カテーテルのお世話になっていた。

少しトイレに起き上がるだけで、呼吸が苦しくなるのだから本人も少しはラクになっただろう。


プリペイドカード携帯のリサーチ済。(購入の判断は父に任す。)

七夕キット→おもちゃやに行っても見つからず。ネットで購入するか?

チーズケーキ→差し入れたが食べず。