岩田幸雄研究 -9ページ目

岩田幸雄研究

広島の岩田幸雄について調べた記録(ログ)です

一人の男について調べる・・・意外と難しい。(調べやすい環境にあるのに)

 

岩田幸雄は元々広島の出身ですが、昭和20年代に東京の神楽坂に約80坪の土地を所有していました。

 

その神楽坂の土地を売ったお金で広島県モーターボート競走会(宮島競艇場)を作った・・・と言うのが一応公表されているお話です。

(個人的には中国から持ち帰ったと言われている自民党の設立資金?の金塊の一部が含まれてると思ってますが)

 

さて、その神楽坂の土地・・・調べてみました。

売却相手は、当時有名だった女優の木暮実千代。

 

で、その妹さんが今も神楽坂のその土地で旅館をしてらっしゃるようです。

その旅館の名は、「和可菜」・・・客室数わずか5室の古い旅館です。

住所:神楽坂4-7

電話:03-3260-3769

 

ネットで調べると近隣の画像がアップされてますが、とても情緒ある小道で歩いてみたい!って気になります。

ぜひ、検索してみて下さい。

 

その旅館について調べていくと・・・「武士の一分」もここで書かれたというほどのホン書き旅館なんですと。

今も山田洋次監督が仕事場の拠点にしているとか。

神楽坂ホン書き旅館 (新潮文庫 く 30-1)/黒川 鍾信
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変なところで変なことにぶち当たるのが調べていて楽しい。

 

しかし・・・その旅館は妹さんの代で終わるらしいので、それまでには1回行っておきたいものです。

出来れば泊まりたい・・・宿泊費高くつきそうだ・・・

 

 

 

 

どうも岩田機関で検索してこられる方が結構いらっしゃるようで・・・。

 

さて、今回は情報と言うよりもただの写真です。

 

しかも情報は何もありません。

 


 

 

ただの写真です。

 

左にいるカッコいい人が岩田幸雄らしいというだけで、時代も場所もまったく分かりません。

 

耳を見ると面影があります。

 

しかし、いい男だ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、書きましたが、中央にいる女性が判明しました。

 

「平林たい子」 さん。

小説家です。

宇野千代とも交流のあった方で、岩田幸雄との関係性は見えません。

 

ただ、岩田幸雄は宇野千代さんとも交流がありましたし、芸術家や小説家、随筆家、画家等の繋がりは多かったようです。

 

 

画像は、1992年10月24日 宇野千代さんと。。。

恐らく、岩国市吉香公園の中にある宇野千代の顕彰碑の式典か何かでしょう。

石碑は、「幸福は幸福を呼ぶ」とあり、92年11月と彫られています。

 

 

 

 

 

岩田幸雄氏のことを調べている方が他にもいらっしゃるようですが情報ありましたらお願いします。

 

 

さて、今回の岩田幸雄情報は画像です。

 

おそらく岩田幸雄のことを知ってらっしゃる方は見たことがあるはずです。

 


 

 

服装からして外務省にいたころだと思われますので、おそらく昭和12年頃ではないでしょうか。

 

若い頃からヒゲを生やしてらっしゃったんですね。

 

 

 

かなりレアな写真です。

 

中央が岩田幸雄氏。

サングラスの方が大化会の宮武実、左が石黒彦市(ぶったぐりの彦)だそうです。

 

この写真は、日本の親分グラフィティという昭和61年刊行された本に出ています。

残念ながら、この本はオークションか古本屋にしかありません。(相場は1,000~2,500円)

 

 

昭和17年に右翼団体である大化会は左の石黒彦市と対立していたといいますので、おそらく写真は対立が沈静化したあとのものでしょう。

 

又、石黒彦市は「人生劇場 飛車角」という任侠映画のモデルにもなっている有名な893のようです。

いまいち繋がりが見えませんが、大化会のトップは山口組系のようですし、裏の世界のワンショットに違いはないようです。

 

 

外部からは特に情報も集まっていませんが色んな資料等で調べてみた上で、取りあえずではありますが経歴と関連した事項をまとめてみました。(右の年齢は、岩田幸雄の年齢です)

 

 

年月 経歴 年齢
明治37年1月30日 1904/1/30 誕生 0歳
昭和2年 1927年 明治大学法学部中退 23歳
  1930年 笹川良一右翼団体「国粋大衆党」結成 26歳
昭和6年 1931年 婦人毎日新聞社 社会部長 27歳
昭和12年 1937年 外務省嘱託 33歳
昭和15年 1940年 南京にて汪精衛(兆銘)と児玉誉士夫、藤吉雄(写真) 36歳
昭和16年 1941年 海軍省航空本部嘱託 37歳
    児玉機関創設(昭和16年11月) 37歳
昭和19年12月 1944年 杉山元帥より感謝状 40歳
昭和20年12月11日   笹川良一巣鴨プリズン入獄 41歳
昭和22年   福建省北部の瑜山島? 43歳
昭和23年 1948年 中国より帰国 44歳
昭和26年5月 1951年 三滝山多宝塔建立 47歳
昭和27 1952 社)広島県モーターボート競走会設立 48
昭和28年4月14日 1953年 瀬戸内海モーターボートセンター㈱設立 49歳
昭和30年 1955年 社)広島県モーターボート競走会会長 51歳
昭和30年 1955年 社)全国モーターボート競走会連合会理事 51歳
昭和32年11月 1957年 在中時代の記録?林房雄『消えぬ夢』出版 53歳
昭和34年5月21日 1959年 大栄産業の社長に山村辰雄 55歳
昭和35年 1960年 日本ボクシングコミッショナー諮問委員 56歳
    NHKラジオドラマ『南シナ海』放送 56歳
昭和37年 1962年 真言宗総本山高野山枢議 58歳
昭和38年 1963年 ザイ)日本相撲協会目代 59歳
    日本郷友連盟参与 59歳
    紺綬褒章受賞 59歳
昭和39年 1964年 シャ)中国海事広報協会副会長 60歳
昭和40年 1965年 社)中国海員養成協会顧問 61歳
    財)海員会館理事 61歳
    西日本海洋協会会長 61歳
昭和41年 1966年 今日出海『海賊』新聞連載 62歳
昭和51年6月17日 1976年 広島県モーターボート競走会会長辞任&顧問就任 72歳
平成5年9月14日 1993年 死去 89歳
平成5年10月9日 1993年 競走会会葬 89歳

 

 

色んな資料から抜粋しながら一覧を作ってみましたが、氏の転機として昭和12年の外務省に入ってから昭和23年中国から帰国するまでの約9年間がその後を決めたように思えます。
また、生涯で獄中生活が13年あると書きましたが、どの時期に入獄していたのかはまだ分かりません。

 

※ 林房雄の「消えぬ夢」と、今日出海の「海賊」、ラジオドラマ「南シナ海」は手に入れました。

※ 1959年の山村辰雄は共政会の初代会長で、岩田幸雄と大栄産業とは繋がりがあったようです。

 

 

 

引き続き、岩田幸雄氏の情報求む!