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岩田幸雄研究

広島の岩田幸雄について調べた記録(ログ)です

”岩田幸雄”氏の略歴を紹介しましょう。
ちなみに、これは本などで公開されている情報です。

 

明治37年 1月30日 広島市生まれ
昭和2年 明治大学法学部中退
昭和6年 婦人毎日新聞社社会部長
昭和12年 外務省嘱託
昭和16年 海軍省航空本部嘱託
昭和27年 社)広島県モーターボート競走会設立
昭和30年 社)広島県モーターボート競走会会長
  社)全国モーターボート競走会連合会理事
昭和35年 日本ボクシングコミッショナー諮問委員
昭和37年 真言宗総本山高野山枢議
昭和38年 財)日本相撲協会目代
  日本郷友連盟参与
  紺綬褒章受賞
昭和39年 社)中国海事広報協会副会長
昭和40年 社)中国海員養成協会顧問
  財)海員会館理事
  西日本海洋協会会長
昭和51年 社)広島県モーターボート競走会会長辞任
  常任顧問後、名誉会長


その経歴の間に獄中生活はトータルで13年あると聞きます。

(昔、某週刊誌にそう書かれていた記憶があります)


また、岩田幸雄氏は日本の三大岩田の一人であり、その内の岩田富美夫氏は血縁者ではなく右翼?団体の大化会のトップで、岩田幸雄氏と義兄弟のようです。
(岩田幸雄氏は大化会の幹部でもあった。)


前回、児玉誉士夫氏率いる児玉機関の四天王と書きましたが、実際には、岩田幸雄氏と児玉誉士夫氏は府中刑務所で出会い、岩田幸雄氏の”引き”により大化会との関係を持ち、その世界に入っていったらしいという話もあります。
そして児玉機関は元は小林機関であるとの話もあります。


この辺から、戦前戦後あたりの動乱が絡みますので非常に興味深い。
 

 

 

歴史の中には名前の残る人と残らない普通の人々がいますが、それ以外にも歴史の中に名は残っているが、あまり表立ってない人というのも存在します。
(と、物語の始まりのような書き方ですね。)

その中でも広島の「その人」に”岩田幸雄”という人がいます。


かつては、広島市の観音~江波、堺町あたりの広大な土地の地主の生まれのようですが、全国的に有名なのは児玉誉志夫率いる児玉機関の四天王という肩書きでしょうか。


実際には、上海で岩田機関といわれる組織も存在していたようですが、この人の経歴は「何で?」と思われるものが多いようにも思えます。

地元での有名な位置づけとしては、広島県モーターボート競走会の会長(晩年は名誉会長)であり、宮島競艇を造った男であることでしょう。
インターネットで検索をしてみても、この名でヒットするのは、ボートレース宮島(当時は宮島競艇場)で開催される岩田杯競走、岩田幸雄杯宮島一周ヨット大会、ウィキペディアでの安部譲二の経歴に少し出てくるくらいだと思います。
(注意 : 山口放送の社長とは同姓同名の別人です。)

僕の世代でこの人の名を知っている人は少ないと思います。
そして一般的にも詳しい方は少ないのではないでしょうか。

共政会と関係があるとか、日本の諜報機関のことや何でも情報を募集してますので、何か情報をお持ちの方メッセージでも書き込みでも何でもOK、教えて下さい。
宜しくお願いします。

別のブログで 「岩田幸雄」 について書いておりましたが、

 

この度、ちゃんとまとめをしてみたくて、

 

改めて、「岩田幸雄研究」 ということでブログを立ち上げました。

 

最初のあたりは、前に書いていたブログからの転載をしていきます。

 

そのブログはコレね↓↓

 

悩めるアウトロー社長ライダー!

 

その後、相変わらず新しい情報は入っていませんが、専用のブログにしてみましたので、今後みなさまからの情報も期待したいと思います。