岩田幸雄研究 -5ページ目

岩田幸雄研究

広島の岩田幸雄について調べた記録(ログ)です

本に登場する岩田幸雄を紹介しておきます。(一部ね)
まずは、コレ。
 

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第1章 海軍人脈と中曽根康弘(一つの言葉と、一つの光景/弁舌人脈ー華やかな演説に惚れた人々 ほか)
第2章 上海人脈と児玉誉士夫(戦後政治は上海感覚/児玉機関とその幹部たち ほか)
第3章 満州人脈と岸信介(宗教人と政界人と/満洲官僚人脈の発生 ほか)
第4章 “引揚者”が戦後の日本を変えた(“満洲系人”の活躍/元満洲官僚の“戦後” ほか)
第5章 特務機関からGHQへ(満洲特務機関とGHQ/スパイたちの戦後は ほか)

から成り立ち、その第2章の児玉誉士夫と関わる人たちに登場します。

P107~115まで。
岩田幸雄の事務所に向かうところから始まり(p107)、その事務所内の掲げられた多くの賞状や写真のことが書かれていますが、その写真がコレです。
そして、その数ページの文章には上海時代について岩田幸雄氏にインタビューした記録が出ています。

悩めるアウトロー社長ライダー! 

左から岩田幸雄、児玉誉士夫、汪精衛(汪兆銘)、藤吉雄

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そして、「黒い龍」 小説上海人脈(森 詠)
 

黒い龍

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1976年、ニューヨークで三人の日本人商社マンが殺され、冷凍死体が極秘裡に日本へ空輸されてきた。ロッキード事件を追っていたフリー記者の西村勝彦 は、その情報を掴み取材を始めるうち、上海コネクションという組織の存在を知る。戦中から戦後にかけて、日本の政財界を裏から動かす上海人脈とは何か。恐 るべき力を持つ地下帝国の実態を追う。 (Amazonの商品説明より)


P212に岩田幸雄氏率いる諜報機関 「岩田機関」について、ホンの少し触れています。

黒い龍のこの文章については、「お笑い政治寄席」    この方のサイトに転載されています。

まだ、色んな本にちょこちょこっと登場しますが、それはまた・・・・・



 

消えぬ夢の延長なのか・・・・



悩めるアウトロー社長ライダー! 


上の新聞記事は、昭和42年8月6日のものですが、北九州の門司区白野江という場所に今でいう健康ランド?のようなプールのついたホテルや遊園地、演芸場のある観光施設を建設する計画があったようです。

現実には、この観光施設は完成していません。

恐らくは、自治体との折衝などがあったと思われますが、その土地の埋立は完了。

しかし、施設建設には至らず、何故か雇用促進事業団による住宅が建設されました。

 

昭和42年の大学生の初任給は高度成長の真っ只中ですから、前年比5%増の26,200円。
金額自体は現在の7.5分の1くらいですから、今でいえば 18億7,500万円くらいの施設でしょうか。


更に、蕪(かぶら)島という近隣の島も買収する計画だったようですが、それは無かったようです。
蕪島・・・特攻艇基地があったところです。

こちらの2サイトをご参照下さい。

○「四式連絡艇」基地跡 
○特攻兵器レ艇基地跡 


何か特攻艇に思いがあったのか?

はたまた?

それも分かりませんが、きっと 「消えぬ夢」 であった 「兪山島」 に想いを馳せていたのではないでしょうか?



 

藤吉男という男をご存知だろうか。
ブログ上部の画像で、岩田幸雄と一緒に写真に写っている方です。


ウィキペディアの笹川良一氏の欄に紹介が出ています。

(下記は抜粋)
弟を通じて関西浪人会 で活動していた藤吉男 を支援、1931年 (昭和6年)には右翼団体 ・国粋大衆党を結成し総裁 に就任する。部下に児玉誉士夫 がいたこともある。イタリア の指導者であるベニート・ムッソリーニ の崇拝者であり、ムッソリーニ率いるファシスト 党の制服を似せて私兵に黒シャツを着せていた。


悩めるアウトロー社長ライダー! 

その藤吉男氏を題材とした本はほとんどありませんが、1冊だけ某団体の先輩に教えていただきまして、

早速、手に入れました。

Amazonでも手に入らず、オークションにも出ておらず、古本屋さんの取りまとめサイトに1冊ありましたので、奮発して購入。
2,500円もした・・・・・

またゆっくりと読んでみようと思います。
これに岩田幸雄氏が出ていることを期待しつつ・・・・・・・・・・・・・






 

前に白洲正子さんのお話のとき、

「この本(白洲正子さん著の「心に残る人々」、そして林房雄の「武器なき海賊」、「消えぬ夢」の3冊が手元にありますが、ここで面白い発見をしました。」と書きました。

発見について書きましょう。



さて、ちょっとオサライから・・・・

 

岩田幸雄氏は中国の何処にいたのか?

有名なのは上海のブロードウェイマンション(1934年=昭和9年築)にいたことでしょうけど、これらの本に書かれているのは兪山島(ゆざんとう)という島のことが主です。
上海で終戦を迎え、広島の家族は原爆で死んだと思い込み、中国人に化けて蘇州に逃げ、貿易商人として活動したのち、中国中央政府に捕まる前に1年半(別の本には1年9ヶ月)ほど暮らした島が兪山島(ゆざんとう)です。

そして、、、「心に残る人々」には、「彼にとっては一生のうちで最も幸福な時代であった」とあります。


では、その兪山島はどこなのか?

ずーっと兪山島はどこなのか?と気になっておりましたが、それらしき島をネット上で発見致しました。
これもキーパーソンの女性の言葉から発見できたのですが、すべての本に書かれている兪山島の「兪」という漢字は、山かんむりであったり、山へんであったりと統一されておりません。
出版時に漢字がなく、当て字だったのかもしれませんね。

兪山島?
崳山島?
嵛山島?


そう、発見というのは本によって、兪山島の「ゆ」の字が違うということ。
そしてその島らしきものをネットで発見したことなんです。

検索した結果は・・・・

福建省の大嵛山島は三砂古鎮港から5海里(約9.3㎞)離れた、霞浦県の北東部の海域に位置しています。大嵛山、小嵛山、鴛鴦島、銀嶼などの11の島からなり、福建省東部で最も大きな列島です。陸地面積は28.3 K㎡、海岸線は30.12mです。


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嵛山は、俞山、盂山、窯山、鹞(ハイタカ)山と呼ばれています。俞、盂が方言の近似音です。昔嵛山の木は高木で古く、漁民が漁業をする時に炭を燃やしてから売っています。

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天湖山の麓には、多くの古炭窯があることから窯山とも呼ばれます。島は五つの村(妈祖、蘆竹、東角、魚鳥、中灶)があり、山地は広く、海域も果てしなく広 く、気候も良く風景は穏やかです。豊かな花崗岩や澄んだ鉱泉と草原などもあります。海には、鰻、太刀魚、小海老、七星魚、鳗鲡(ウナギの一種)などの魚が たくさん生息しています。
大嵛山島には、大使宮、妈祖宮、天福寺の文物古跡があり、福瑶列島の自然は風光明媚で中国建設部から国家級太姥山風景区の四風景区の一つとされています。 『中国国家地理雑誌』によって中国で最も綺麗な島の一つとも評されています。これ以外にも、大嵛山島は古寨(砦)岩、天湖寺などの名勝があります。特に 「明月淵」、仙人坂、大頭宮、白鹿くぼ、白蓮飛滝、象岩、小桃源砂洲などの名勝が跳水涧(観光地)に集中しています。



さ、あとは正確な場所を把握すればヨシ。

行ってみたい・・・・・・兪山島。。。。。


 

 

前に白洲正子さんのお話のとき、

「この本(白洲正子さん著の「心に残る人々」、そして林房雄の「武器なき海賊」、「消えぬ夢」の3冊が手元にありますが、ここで面白い発見をしました。」と書きました。

今日は、その発見の話の前に、本のタイトルについて書いてみます。



本のタイトルの「消えぬ夢」の夢とは何でしょう?

まず、白洲正子さんの「心に残る人々」には、兪山島時代が「彼にとっては一生のうちで最も幸福な時代であった」とあります。

そして、「消えぬ夢」のタイトルは岩田幸雄氏本人が発行代表を務めたこと、ご本人が付けたものと思われることから、恐らくはご自身の想いです。

消せない
消えない

過去からの継続した想いであると受け取れることと、本の主な内容である海賊(密貿易時代~兪山島時代)から、島の住人~帰国するあたりまでの話であることから、「当時からの消えない想い」と言い換えられるのではないでしょうか。

加えて客観的事実からみますと、岩田幸雄氏は、、、、昭和42年8月6日(日)の新聞に北九州市門司区白野江に裏門司観光開発の一つとして、ホテルやプールのついた施設、ヨットハーバーなどの施設がある”白野江ヘルスセンター”を建設しようとしていた形跡があります。

中国海事広報協会副会長、西日本海洋協会会長、広島県モーターボート競走会名誉会長などの肩書きや、広島県廿日市市の端に別荘?をお持ちだったこと、前記のような開発に意欲を持ってらっしゃった姿から、「消えぬ夢」の夢は兪山島の開発・・・理想郷を作る夢であったと思われます。(理想郷の場所は瀬戸内海かもしれませんが)


また、「武器なき海賊」は林房雄氏の著書ですが、この武器なき・・・についても、白洲正子さんの「心に残る人々」に書かれています。

何度か命を失うような目に会ううち、彼は次の信念に到達する。
「武器を持っておれば、人を襲いたくなる・・・武器というのは人を殺すより自分を殺すことに役立つことが多い、国も個人も同じこと。。。」
で、これからは武器に頼るまい、武器を捨てようと決心し、「感傷的で空想的で理屈にあってないかもしれないが、一種の信仰心のような」武器なき海賊に転身する。無抵抗主義「私は最後までそれを実行しました」とあります。

そう、武器をもたないことにしたのです。
それは学生時代から拳銃を持ち、拳銃については日本一との自信があったほどですから、経験からの決断だったのでしょう。


「海賊」については、当時の福建省付近は海賊が多かったようで、その海域を密貿易することになり、客観的には海賊でもあり、貿易商人でもあり、密貿易者でもあったためです。
詳しくは、本を読んで下さいな。





ちなみに・・・・・
岩田幸雄氏は、中国中央政府に捕まり、当時は死刑は免れない状況であったにも係わらずリュック一つで帰国しました。
中国での蔡福生(=岩田幸雄氏、、、小説の中では陶福生=太田福男)は投獄された?死刑?暗躍?、そして日本人岩田幸雄は送還されたわけですから、岩田幸雄氏の思いはどうだったのでしょう?

引き裂かれた感があったのか?
自分であって自分に非ずの感があったのか?


「武器なき海賊」の終わりのあたりにこう書いてあります。
上海電報として「日本人戦犯陶福正こと太田福男逮捕される、云々」とのっていました。
「多分、俺の分身がまだ中国に残って活躍しているのだらう」・・・「呼びかへしてくれればありがたいが、当分だめだらうな」

やはり、中国への想いは大きく、戻りたい想いがあったのでしょう。

どんな思いであったのか、知る術はありませんが、小説の最後の最後に、「いつか再び、私が陶福生と一緒になるときがきたら、兪山語の手紙をあなたに書きましょう。」と綴られています。