NYのブロードウェイではありません。
上海にブロードウェイマンション(1934年=昭和9年築)という建物があります。
先日も触れましたね。
その建物、現在は高級ホテル として活用されております。(行ってみたい)
上海大厦 ブロードウェイ マンションズ ホテル
さて、ウィキペディアでも読んでみましょう。
面白そうな文章を抜粋してみました。
米国議会小委員会に提出された証言は、「ブロードウェイマンションは日本上海占領軍の『頭脳』である。重要な合同政策会議の多くはここで開かれている」と伝えている。
ブロードウェイマンションは日本陸軍将校の連絡中枢として使われた。
1941年12月までの間、日本の軍政当局はブロードウェイマンションで毎週(後に隔週)記者会見を開き、運輸関係の部局をはじめとする軍政機関もここに置かれることとなった。
また、日本が占領地に定めた規則を侵した外国人はブロードウェイマンションに連行され、ここで尋問された。
ほほぅ。。。。さすが児玉機関等の諜報機関が入っていただけのことはあります。
そして、川島芳子。
これもウィキペディアから抜粋してみよう。
川島 芳子(かわしま よしこ、1907年5月24日 - 1948年3月25日)とは清朝の皇族粛親王の第十四王女である。
本名は愛新覺羅顯(あいしんかくら けんし)、字は東珍、漢名は金璧輝、俳名は和子。他に芳麿、良輔と名乗っていた時期もある。
そう、ブロードウェイマンションは、児玉誉士夫と川島芳子の名前が出てくるのです。
そして、ある資料の中から岩田幸雄氏がこのマンションの何号室にいたのかが分かりました。
ただ・・・・それだけなんですが、ここ上海もいつか行って、このホテルにも泊まってみたいものです。
前回、白洲正子さんの本について書きましたので、せっかくなのでご夫婦とも取り上げます。
まずは白洲家の家系図をご覧いただく方がいいでしょう。(↓クリック)
白洲家の家系図
そして、家系図にあるお孫さん 白洲信哉氏のサイトはコチラ。
そして、NHKドラマスペシャルでも。
※ このブログは2010年に書いたものを転載してますが、NHKドラマ等、動画もネット上からなくなっていました。残念。。。。
白 洲 正 子
白 洲 次 郎
このお二人の名前は聞いたことがあるでしょう。
本屋さんで彼らの本が面陳列されてたり、TV番組で特集されたりしてるし、超有名人であることはご周知のとおりですね。
特に白洲次郎の名は戦後の日本の土台を作ったほどの人。
さて、この白洲正子さんの本に、「心に残る人々」という本があります。
その人々20名の中に、「岩田幸雄」の名があります。
(※ 本中の岩田幸雄氏については昭和三十三年十二月に書かれたもの)
この本には、岩田幸雄氏の別称 「幻のまんちゃん」の名前の由来まで書かれています。
幻=「・・・当時不良少年というのは、今のグレン隊よりははるかにロマンティックで、華やかな存在だったが、オトウ(岩田幸雄)もいつしかその群れに入り、根が小さな身体ではしっこい所から「幻」の名でよばれるようになった。」と。
まんちゃん=「硬派の方で名をあげたが、軟派の方も早熟で、中学時代にはもう浅草に、まん子と名付けるお酌の愛人がいた。ある時の出入にその妓のぽっくりをつっかけて駆けつけたので、以来「幻のまんちゃん」という名誉ある名前を貰うに至ったという。」と書かれています。
また、「拳銃にかけては日本一の自信があるらしい」とありました。
唯一のワタクシとの共通点か・・・・あ、ワタクシの場合は飽くまで自称ですが・・・・
この本、そして林房雄の「武器なき海賊」、「消えぬ夢」の3冊が手元にありますが、ここで面白い発見をしました。
発見については、また後日。。。。。。
価格:987円(税込、送料別)
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(2008年9月頃に宿泊したときの記録です)
岩田幸雄氏が東京は神楽坂に土地を持っていた・・・こんな話は前に何度か紹介しました。
で、実際に神楽坂に行って、その土地・・・旅館に宿泊してまいりました。
まずは、その旅館はどんなものなのか → こちらをクリック
こんな路地にあって、
こんな門構え。
路地の先は・・・ずっと路地。
内部はこんな情緒溢れる昔の趣。(シブイ)
で、岩田幸雄氏が所有していたであろう時代の建物の青写真のコピーを持って意気揚々と旅館に入り、スタッフの方に聞いてみた。
しかし、「知らない」・・・と。
うーん、そりゃそうだ。
50年も前のお話だもん。
でも翌朝、帰り際に再度訊いたところ、オーナーでしょうかお歳を召した足の悪い女性が教えてくださいました。
「広島の方でここを引き払ったお金で競艇関係のことを始めたと聞いてます」
おお!その方が岩田幸雄氏です!
「他にその辺のことをご存知の方はいらっしゃいませんか?」
と訊ねてみると・・・
「近所に助六という下駄屋がありますが、もしも知っている人がいるとすれば、そのお店。
でも、もう代も変わって、その時代のことを知っている人はいません」・・・と。
しかし、かなりシブイ下駄屋さんの助六さんはお休み?もしくは営業時間外で店の前までしか行けず。
残念・・・・大きな発見もないままでしたが、情緒溢れる古い旅館で不便な宿泊と小さな冒険が出来たことは経験として有意義でした。
と、言うことで改めて若可菜を紹介しましょう。
若可菜
神楽坂4-7
03-3260-3769
宿泊は9,500円
朝食付で、11,000円
旅館の近所には路地に洒落たお店がたくさんあり、路地を抜けると神楽坂の商店街もあり、散歩するにも楽しいトコです。
ただし、古い旅館なので現代のホテルに慣れてしまってる人には不便に感じることがあるでしょう。
風呂、トイレ共同だし。
また、出世旅館の別名があるくらいなので小説やモノ書きが好きな人は、行って書いてみるとご利益があるかもよ。
ちなみに宿泊した部屋はこんな感じ。↓





