出掛けている母親に言い付けられて、兄弟は、今、一匹の鶏を縊り殺そうとしていた。夕飯の食材にするのだ。
 
 兄「早くやれよ」
 弟「恐いよ、兄ちゃん」

兄が鶏を押さえ込んでいる内に、弟が止めを刺す、、、、それぞれの役割だった。

 兄「母ちゃんが帰ってくるまでに済ませておかないと、、、、飯抜きになっちまうだろ!」
 弟「だって、、、、痛そうなんだもん」
 兄「西洋人の如き、軟弱な精神を持ちやがって、、、、どうせ食っちまうんだろうが!」
 弟「違うよ。人間だから、“痛み”が如何いうものか、解るし、、、、自分と重ね合わせちゃって、気が進まないん だ」
 兄「成程、“かわいそうだ”とか言うんじゃないんだな? 自然界での殺し合いを見過ごしといて家畜やら何やら、痛みを感じないような処置の仕方が如何の斯うの、みたいな、、、、だったら、全然、マシだな。自己満足に違いないけど、あいつらのは単なる感傷で、行き過ぎた博愛主義だからな。・・・で、実際、如何する?」
弟「最近、麓の方に、狐が頻繁に下りて来てるんだよ。あいつらは相手の痛みなんか理解できないし、お構いなしだから、鶏を襲わせて、噛み殺したところで、僕らが出て行って、追っ払うってのは? これなら、<自然の摂理>を再現できるよ、、、、粗ね」
 兄「まどろっこしいよ・・・。でも、ま、今回は、お前の考えを尊重してやるか」
 弟「ありがとう、兄ちゃん!」

二人は山の麓に赴いて、鶏を放した。鶏は餌を探して、お気楽に、辺りをうろつき始める。
暫くすると、案の定、狐が姿を現し、鶏に飛び付いた。

 兄「待てよ。未だ早いぞ」
 弟「判ってるよ。鶏の鳴き声が完全に消えてからだろ?」
 兄「ま、一応の目安だ」

狐の下で、鶏は抵抗力を失くしたようで、全く動かなくなった。

 兄「よし、行くぞ!」
 弟「遅すぎたんじゃない?」
 兄「なら、尚更だよ!」

二人は隠れていた場所から勢いよく飛び出すと、大声を上げたり、石を投げ付けたりして、狐を脅かしに掛かる。
狐は驚いたらしく、獲物を置き去りにして、この場から離れて行ってしまう。

 兄「気が抜ける程、上手く運んだな」
 弟「あれ、兄ちゃん?」
 兄「何だ?」
 弟「鶏の奴、、、、未だ動いてるよ?」
 兄「え?」

確かに、鶏は、未だ生きていた。深い傷を負っていたものの、幽かな鳴き声を上げ、血だらけの身体を起き上がらせようとさえしている。致命傷には至っていなかったのだ。

 兄「あちゃあーーー」
 弟「如何しよう、兄ちゃん?」
 兄「如何するったって、、、、見捨てる訳にも行かないだろ? 人間だから、“痛み”が如何いうものか、解るし・・・」

二人は手負いの鶏を連れ帰って、傷の治療を施した、、、、元気になるまで、ずっと・・・。


因みに、その日の夕飯は、野菜の唐揚げ(ニンジン、さつま芋、いんげんの三種)だったそうだ。結構、美味らしい。
考えが他に捕われていたりすると、集中力を欠いて、言葉の方が混乱してしまう事がある。
誤りの部分が明確なら、笑い話で済むのに、凄ましく微妙な感じの言い間違いだと、スルーされながらも、澱んだ空気が発生し、一切の流れが止まるような、、、、例えば、、、、

 「蚊取り線香、買って来て」の、“蚊取り”と“買って”の部分が混じって、「蚊っ取り線香、買て来て」みたいな・・・。

この場合、“どんだけ気合を入れてんだよ!”と、若しくは、“中国人かよ!”と、二つの疑問点を巧みに組み合わせてから、後、突っ込むのは億劫だし、第一、至難の業だ。
友達同士なら未だしも、家族間なら、先ず取り合わない類のケースだろう。つまり、面倒さが際立つパターンだ。

以上の事は全くマシな方で、過去に、厳密には言い間違いで無いのだが、初対面の異性に対し、緊張MAX状態に陥った結果、とち狂って、次のような急場凌ぎを呈してしまった・・・。
 
 「あのー、好きな食べ物の色は?」

もう、お解かりだろう。“好きな食べ物は?”と“好きな色は?”の、二つの質問が合わさってしまったのだ。
質問の内容自体もつまらないし、、、、とにかく、会話を途切れさせないように焦った結果が、この始末で・・・。
でも、相手が冷静だったので、、、、救われたかな・・・?

 「黒です」

黒い食べ物、、、、何だろう?(聞けなかった・・・)
以前、道路工事の現場で、七、八歳の、小さい子供が働いているのを、見掛けた。
勿論、土砂を運び出したり、簡単な仕事の内容に過ぎなかったが、想像するに、他に預けるところが無く、作業員の誰かが連れて来ていて、遊ばせているつもりの、無分別な子守り? 、、、、と推し量りつつ、眉を顰めざるをえなかった。

でも、つい最近、そういう事では無かったのかも知れない、と思い直した、その切っ掛けが有って、、、、それが、これ↓





子供なりに、↑の文言に、ただ、自発的に応じていただけなのかも・・・。
子供の思い込みを率直に受け容れる方も如何かしているが、少なくとも、“保育の惰性に働かせていた”と考えるよりは、まだ納得が行く。いずれにせよ、状況に、妥当性は無いけど・・・(結局、真相の程は分かりかねます)。

この通りだとすれば、勘違いは有るにせよ、子供は純粋ですね。
自分が同じ年頃の時を考えると、、、、この文面が読めたか如何かも、怪しい(純粋だったか如何かは別にして)。

子供の、素直で、独特な感性(大人から見れば)の考察については、もっと興味深い視点での話も有るんですが、それは、また後日・・・。