1ヶ月後の受診
1ヶ月ひたすら症状に耐えましたが、全く治まる気配もなく、もう限界でした。
起きている間、何をしていても常に漠然とした不安・恐怖感がつきまとい、また常に酸素が薄い感じで息苦しく、食欲もなく、睡眠もろくに取れない状態でした。
妊娠で15Kg近く増えた体重は、1ヶ月ですでに出産前まで落ち、このままでは満足に息子の世話もできませんし、当時私に代わって息子の世話をしてくれていた実母の体力も心配でした。
「私がしっかりしなくちゃ。母乳は元々出なかったものと思って、ミルク育児でもいいじゃない」そう自分に言い聞かせ受診しました。
それでもまだ母乳を完全には諦められず、ネットで色々なクリニックを調べ、産後の患者にお薬以外の治療法を選択する場合もあると書いてあったクリニックに藁をもすがる思いで行きました。
診察の結果、症状がひどいのでお薬は必須だと言われました。待合室で楽しそうに雑談をしている女性グループの笑い声が印象的でした。
先生から、「みなさん、あなたと同じパニック障害で、だんだん克服していってるんですよ。」
と言われましたが、今ならよくわかりますが、その時はこの不快な感覚から解放されまた笑って暮らせる日が来るのか、本当に不安でたまりませんでした。
その夜から覚悟を決めてお薬を飲み始め、ミルク育児にして母乳は搾乳器で搾って捨てました。
母乳を捨てるのは辛かったですが、だんだん症状がない時間もできるようになり、息子のお世話もできるようになりました。
症状が落ち着いた時に、着物を着てお宮参りもできましたし、写真館で記念写真も撮る事ができて、まるで夢のように思えました。
一旦は病気が落ち着いたかに思えましたが、それもつかの間でした。私はお薬を再び止める決断を迫られる事になったのです。
あんよが上手
現在は、私は毎日元気に楽しく暮らしています
![キラキラ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif)
通勤ラッシュにもまれながら仕事に行き、夕方保育園へ息子を迎えに行き帰宅、ダッシュで夕食の支度をして食べさせ、お風呂に一緒に入って、気付けば21時頃になっていて、息子が眠りにつくまで寝室でゴロゴロ息子とじゃれあって遊んでおります。
息子が眠ってからは、夫の食事の支度、台所の後片付け、洗濯を済ませて、その日のうちにぐっすり眠ります
![ぐぅぐぅ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/030.gif)
![ラブラブ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
しんどい時は一日がとてもながーく感じていましたが、今は本当にあっという間です(>_<)
息子は最近1歳になり、急にあんよが上手になりました
![あし](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/170.gif)
保育園でも、じぃじばぁばから誕生日プレゼントにもらったファーストシューズが大活躍
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
毎日得意げに披露しております
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/323.gif)
昨夜、大の字でスースー眠る息子の寝顔を眺めながら、大きくなったなぁ、でもまだ赤ちゃんって感じだなぁ、カワイイなぁ、と一人ニヤけておりました
![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
病気になった事で幸せの感度がとーーーっても良くなったと思います。
毎日幸せな事だらけです
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
母乳をやめろと簡単に言わないで
「パニック障害
![!?](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
![!?](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
そして簡単に母乳をやめなさいと言われた事に愕然としました。
入院中も混合栄養だったので、はたから見ればミルク育児にしてお薬を飲めばいいじゃん、と思われるかもしれません。
でも、出産前から母乳がよく出るように、朝昼晩と乳頭をマッサージして準備していたんです。
そんな簡単に諦められるものではありませんでした。
朝昼晩1週間分のお薬(デパス、ドグマチール)を処方され、搾乳器を買って帰りました。
タクシーで帰ったのですが、帰り道は涙が止まりませんでした。
自宅に帰ってからも実母に抱き着きまた泣きました。
つい半月前までは毎日今か今かと子供の誕生を待ち侘び、笑って楽しく過ごしていたのに…
その夜、これが最後のおっぱいになるのかな、そう思いながらビデオに撮ってもらいました。
一生懸命母乳を吸い上げてくれる息子を抱きながらまた泣きました。
結局、私はお薬は飲めませんでした。
そんなに簡単に割り切れませんでした。
マタニティブルーなんかじゃない
就寝時に電気を消すのも息苦しさや不安・恐怖感が増すので消せず
![ショック!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/336.gif)
退院当日の夜は、入院中にもらって結局飲まなかったデパスを飲み、何とか眠る事ができました。
あまりにも私の様子がおかしいので、息子は実母が夜中のお世話をしてくれました。
母乳どころかミルクすら作れる余裕がありませんでした。
ただただ漠然とした不安・恐怖感に怯え、死んでしまうと思いました。
朝、夫が出勤するのも、実母が買い出しに出掛けるのも、息苦しさ不安・恐怖感そして動悸もひどかったです。
症状に耐え切れず、実母に付き添われ産院へ行きました。
マタニティの時は元気いっぱい、いつも笑顔で検診に通っていた場所なのに…
なぜ今はこんなに辛いんだろうと、診察室で号泣したのを覚えています。
先生に、「こんなにひどい症状なのは、マタニティブルーなんかじゃないですよね
![!?](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
と訴えました。
先生は、「そんなことどうしてわかるの?マタニティブルーですぐに治まるかもしれないよ。」
と言って下さいましたが、あまりにも私が泣くので、心療内科に紹介状を書いてくれました。
会計待ちの時に助産婦さんが励ましに来てくれて嬉しくて情けなくてまた号泣しました。
今まで縁のなかった心療内科…行くかどうか本気で悩みました。
でも自分が大変な事になっているのは自分が一番よくわかっていましたから、勇気を出して行く事にしました。
この時は、インターネットで調べてきっと「産後うつ」 なんだろう思っていたのです。
産後うつは治りやすいと書いてあったので、病院にかかればすぐに今の辛い状況から抜け出せると甘くみていました。
2度目の発作
初めて息子をチャイルドシートに乗せましたが、終始寝ていました。
途中、出生届を出すため役所に寄りました。
息子が寝ていたので、実母に車で待っていてもらい、夫と二人で書類を提出しました。
階段で足元がふらつき、たった1週間の入院生活で体力が落ちているのを感じた事を覚えています。
あまり歩いては良くないと、食料品の買い出しは夫と実母で行ってくれました。
車でスヤスヤ気持ち良さそうに眠る我が子を眺めながら、夢でもみているかのようなとても幸せな気持ちに浸りました。
1週間ぶりの自宅に帰り、安堵の気持ちでいっぱいになりました。
息子が目覚め、おっぱいをあげる事にしました。
いすに座り、息子を抱き、母乳を与えようとしたその瞬間、血の気が引き目の前が真っ暗になり、激しい動悸と共にまたあの息苦しさ、いてもたってもいられない不安・恐怖感が私を襲いました。
息子を実母に渡し、ソファーに横になりましたが苦しさは治まりません。
私の体に間違いなく尋常でない異変が起きている…退院した事を悔やみました。
夫が病院へ電話をかけてくれて主治医と話しました。
急な血圧変化かもしれないが、安静にしていれば大丈夫だと言われました。
夫がゼリーやヤクルトなど冷蔵庫にある口にしやすいものを持ってきてくれて、それらを口に含むとだんだん息苦しさが治まりました。
後に実母から、この時私の顔が真っ青になっていくので、救急車を呼ばなきゃと思う位、本当にびっくりしたと聞かされました。
この日を境にいわゆる予期不安が常につきまとうようになり、パニック障害との長い闘いが始まりました。
入院生活
6泊しましたが、出産当日のような息苦しく漠然とした不安で眠れない日はもうありませんでした。
産まれたての我が子をぎこちなく抱っこし、母乳の与え方やおむつの替え方、沐浴の仕方など教わり、
助産婦さんや看護婦さんと楽しくたくさんおしゃべりしました。
お見舞いに来てくれた家族や友人とも赤ちゃんを囲んで楽しい一時を過ごし、満ち足りた気分で退院しました。
その時はあの苦しかった発作の事など忘れて、笑顔で退院できたのです。
出産日の日記
1年間見返す事のなかった(怖くて)日記を忠実に転記してみます
お腹の張りが10分以内の間隔であり、深夜2~3時頃からは5分間隔になって病院に電話をした。
折り返しかかってきて、入院する事になった。
夜中に近所のコンビニまでパパと散歩したのが効いたのかも。
どうしても生クリームが食べたかったし、行ってワッフル食べておいて良かった。
病院に着くとすぐに車椅子に乗せられLDR室へ。
内診してもらうと子宮口がまだ「ちくわくらい」しか開いてなくて、『早くて夕方、まぁ深夜になるでしょう。』と言われ、凹んだ。
結局パパは仕事へ行き、早めに帰って来てくれる事になった。
私は帰るに帰れない状態とのことで、病院内をひたすら散歩しながら過ごした。
途中、先生の内診で子宮をグリグリ刺激されてとても痛かった。
でもそのおかげで広がりかけてた張りの間隔が縮まり痛みも増してきた。
それでもまだ廊下を行き来する余裕はあった。
19時頃やっとパパが到着した。この頃にはすでに陣痛はかなり痛くなっていた。
朝との私の表情の違いにパパはびっくりしていた。
でも陣痛と陣痛の間はまだまだ余裕だった。
ほぼ丸一日病院にいてかなりの疲労感と、どんどん強くなる痛み、そしてまだ数時間かかるという不安・・・頭はパニックだった。
赤ちゃんに早く会いたい、でも今置かれている苦しい状況から早く抜け出したくて仕方なかった。
腰は砕けて飛んでいってしまいそうな程の痛み、それはお尻の骨にも進んで、必死でパパにテニスボールで押してもらっていた。
けものだった・・・自分がこんなに根性なしの弱虫だったなんて・・・
子宮口4cmの時に言われた麻酔を断ったこと、後悔しながらひたすら耐えた。
どうしても無理で泣けてきて、少しだけお尻の痛みを神経ブロックで取ってもらって力が戻った。
麻酔を扱える先生に当たって心底ラッキーだと思った。
やっといきめるようになった時、2~3回で出るもんだと思ったら大間違い。
何回いきんでも反動で腰骨に激痛が走るだけで産まれない・・・本気で私はこのまま死んでしまうのかと思うくらいだった。今すぐお腹切って出してくれ!と思った。
後何回この痛みに耐えれば赤ちゃんに会えるのか。
「もう耐えられないよ、私には赤ちゃんを産む力がないの?」と泣けてきた。
そんな私に呆れもせず、パパはずっと傍にいて励ましてくれた。
痛いところを手が痺れて感覚がなくなるくらいにさすってくれた。
本当にありがたかった。
そしてやっとその時はやってきた。
「あと3回陣痛が来たら産まれるよ。」と先生に言われた時、私は正直もう一回しか耐えられないと思った。
もう限界だった。そしたら何と1回の陣痛の3いきみで頭が出てくれた。
神様そして赤ちゃんが私を助けてくれたと思った。
股の熱い感覚と共に何かが出てフッとお腹から下の感覚が消えた。
赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえた。
皆に心の底から感謝した。
こんなに情けない私を助けてくれて、赤ちゃんを産ませてくれてありがとう。
初めて息子を抱っこした瞬間、涙が溢れて止まらなかった。
パパも涙ぐんでいたようだ。
その後、胎盤が出たが、何か出たくらいにしかわからなかった。
10針ほど縫った。内側の傷は少し痛んだ。
やっと終わったという安堵感。
しばらくLDRでパパと休むことになった。
少し大きめのカワイイ赤ちゃんの誕生。
とっても幸せだけど、私の体は限界を超えていたようだった。
終わったのに痛む腰・お尻の骨、疲れているのに痛くて眠れない。
痛み止めにもらったロキソニンも全く効かない。
どんどん不安になり、だんだん息苦しくなって、ついにはうまく息が出来なくなった。
本気で死んでしまうと思ったし、余りの苦しさに窓から飛び降りたくもなった。
過呼吸だったらしいが、2時間程苦しくて苦しくて・・・
ずっとパパと看護婦さんの手を必死で握っていた。
少し呼吸が落ち着いた後、デパスを飲ませてもらったら1時間程眠れた。
赤ちゃんは新生児室、私はシャワー付きの個室に入った。
疲れすぎたためか、手がしびれ言いようのない不安感で息苦しくて眠れない。
もう1錠デパスをもらったが、母乳もあげる予定のため飲まず、
結局電気もテレビも付けたままで一晩過ごした。
こんなに出産が大変なものだとは思わなかった。
甘くみていた。
でも終わって元気な赤ちゃんに会えて本当にホッとしている。
以上が出産当日の日記です。
この時は何が何だかわかっていなかったのですが、
過呼吸や言いようのない不安感は後にパニック発作だったという事がわかりました。
これから育児と病気と闘う生活が始まりました。
出産と発症
ほぼ予定日通りに陣痛が始まり、自然分娩で出産しました。
陣痛の痛みは想像を超えるものでした。
背中の腰骨辺りに、ハンマーで思い切り殴られて骨を粉々にされてるんじゃないかという激痛だったのを覚えています
骨盤が開く時にその辺りの痛みの神経が腰骨に集中しているため腰が痛いのだと、助産婦さんが教えてくれました。
私のベビーは少々大きめだったので、さらに痛みが増したようです。
丸一日かかって何とか産まれて来てくれてホッとし、小さなギュッと抱きしめたら壊れてしまいそうな我が子を抱き、人生一番の幸せに浸りながら号泣しました。
産まれて来てくれてありがとう、ありがとうと何度も話し掛けたのを覚えています。立ち会った夫も涙ぐんでいました。
その幸せ絶頂の数時間後に私はパニック障害を発症しました。
その内容はこの1年封印してきた、入院中に書いた日記を近々転記してみようと思います。
乗り物酔い
乗り物酔いしやすい人はPD(パニック障害)になりやすいと医者から聞きました。
思えば私、物心ついた頃から乗り物酔いとても酷かったです
幼少期は乗り慣れた家の車ですら5分でゲーなんてざらでした。
小学生の頃は遠足などでバスに乗る時は酔いにくい前方窓側座席を死守して、窓全開で凌いでました。
高校生の頃には電車通学でしたが、おじさんのポマードのにおいやおばさんのキツイ香水にやられ、途中下車した事も何回かありました。
大学生になり自分で車を運転しだすとだいぶましになりました。
しかし、飛行機や観光バスに長時間乗るツアーの海外旅行には、酔い止め薬が必需品でした。