さわやかウォーキング@豊田町~磐田(2022/04/29)① | パンダの音楽

パンダの音楽

静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

独自ヒットチャートの公開、お気に入り楽曲の紹介等を致します。

4月29日(金・祝)のさわやかウォーキングに参加したことを記事にします。先日記事に載せた藤枝のイベントから5日ぶりのウォーキング参加です。

↑↑↑↑↑コース図はこんな感じ。豊田町駅(北口)=スタート→香りの博物館→提灯野史跡→一言観音→一言坂古戦場→西光寺→旧見付学校→井口製菓→府八幡宮→西願寺→満徳寺→磐田駅(北口)=ゴール。距離=約8km、所要時間=約2時間、コース題目は「歴史ロマンを感じる春の社寺と見付宿めぐり」です。

豊田町駅で降りるのは久しぶり。

この日もオレンジのジャンパーを着たお兄さん、お姐さん、お疲れさまです。

豊田町駅を出て北上、4分ほどで「香りの博物館」に着きました。が、この時点で8:10頃、開館は9:30なのでスルーしました。過去に豊田町を舞台にしたさわやかウォーキングに参加して、「香りの博物館」を訪れたことを記事にしてありますのでご参照ください、リンクはこちらです→さわやかウォーキング@豊田町(2017/04/30)

「香りの博物館」を通り過ぎて北上、豊田町駅前郵便局のある角で右折、少し東へ進んで「立野大橋」交差点で広い通りに出て左折、また北へ進みました。

「弥藤太島」交差点=県道413号線(磐田袋井線:旧国道1号線)にぶつかったところで右折、東へ進みました。

豊田町駅を出てから22分、約1.7kmで提灯野史跡に着きました。正式には「挑燈野」(ちょうちんの)と記載されます。令和2年に建てられた案内板によると…

===================================

今から400年以上前、戦国時代の終わり頃、徳川軍と武田軍との戦いについての伝承が伝わる。伝承によれば、武田軍との戦いに敗れ退却していた徳川軍が、当時、万能村があったこの辺りで、追いつかれそうになった。そこで周囲の地形に詳しかった徳川家康は、夜を利用し、提燈の灯りで武田軍を「ゆるぎ」と呼ばれる深田におびきよせた。ぬかるみに足をとられて動けなくなった武田軍を次々と打ち倒し、徳川軍は武田軍から逃れることができたといわれる。この地が「挑燈野」と呼ばれるようになったのはこの出来事からで、その後、この辺りで飛ぶホタルは武田軍の兵士の魂であると伝えられる。

===================================

…云々。パチンコ店の駐車場の片隅に石碑だけが建てられているだけで、こういったイベントに参加しなければ気づかない歴史スポットでした。「兵どもが夢の跡」です。

提灯野史跡から少し東へ進んだところで県道413号線(旧:国道1号線)から逸れて、田んぼが広がる田舎道を進みました。

交通誘導のお兄さん、お姉さん、お疲れさまです。

提灯野史跡から約800m、約10分の徒歩で一言観音(ひとことかんのん)に着きました。語りべのおじさんが出迎えてくれました。

===================================

寺の名は智恩斎(ちおんさい)、宗派は曹洞宗。可睡斎(袋井市)・一雲斉(磐田市)と共に「遠州三斉」に数えられる。戦国時代末期、徳川軍と武田軍との戦いで敗北した家康公が一言観音に立ち寄り、勝利を祈願したといわれる。一言観音は「一生に一度、一言だけ願いを叶えてくれる」といわれ、家康公も無事に退却することができた。「智恩斉」には「恩を知る」の意味があり、家康公が名号したものだといわれる。

===================================

…云々。提灯野と同様に、この地でも徳川軍は武田軍に対して劣勢だったんですね。初めて立ち寄るお寺で、ご住職が受付してくれていたのでありがたく御朱印をいただくことができました。

一言観音をあとにして旧:国道1号線方面へ南東に進みました。700mくらい歩いたところで一言坂古戦場についての案内板がありました。

===================================

元亀3年(1572)10月13日、三方ヶ原合戦の前哨戦で敗れて逃げる徳川軍と追いかける武田軍が、再び合戦になった地が一言坂。先行していた本多・内藤率いる偵察隊は武田の先発隊と遭遇する。偵察隊はすぐに退却するも、武田軍は素早い動きで徳川軍を追撃し始め、太田川の支流・三箇野川や一言坂(静岡県磐田市一言)で戦いが始まる。徳川軍の望まぬ形で開戦し、また兵の多寡もあり、家康公は撤退を決める。本多忠勝と大久保忠佐は徳川本隊と内藤信成隊を逃すために殿(しんがり)を務め、一言坂の下という不利な地形に陣取った。急戦で陣形もままならぬ本多忠勝隊を、武田軍先鋒の馬場信春隊が突撃し、3段構えの陣形のうちの第2段までを打ち破った。また、武田信玄の近習である小杉左近は、本多隊の退路を阻むために、本多隊の後方(一言坂のさらに下)に先回りし、鉄砲を撃ちかけた。これに対し、本多忠勝は、大滝流れの陣をとり、坂の下で待ち受ける小杉隊に敵中突破し逃走を図る。これは無謀な突撃で本多隊は死兵であったが、左近はこれを迎え撃たず、道を空けるように指示して本多忠勝隊を見逃す。このとき、忠勝は左近に名を聞き感謝の言葉を述べたと言われる。
こうして本多忠勝の働きによって徳川家康率いる本隊は天竜川を渡り切ることに成功し、撤退戦を完了させた。

===================================

…云々。旧:国道1号線沿いには画のように戦場跡の石碑が建てられています。徳川軍vs武田軍の合戦跡地は浜松市内にもあり、私は犀ヶ崖を思い出しました。過去のウォーキングで記事に載せてありますのでご参照ください、リンクはこちらです→「家康の散歩道」でウォーキング@浜松市内(2020/03/07)寺社巡りでウォーキング@浜松市街(2019/06/08)さわやかウォーキング@浜松(2019/06/01)①

その後、県道413号線(旧:国道1号線)をひたすら東へ進みました。画は道中沿いにある磐田警察署にあったツツジです。ほぼ満開か散り始めの状態で、見ごたえがありました。

「加茂川」交差点で左折、県道44号線(磐田天竜線)を少し北上したところに立ち寄りスポットである西光寺(さいこうじ)がありました。

一言坂古戦場から約1.4km、17分ほどの徒歩でした。

実は西光寺には2度めの訪問でした。過去のウォーキングの記事をご参照ください、リンクはこちらです→寺社巡りでウォーキング@磐田市街(2019/12/15)①

===================================

徳川家康公ゆかりの中泉御殿表門など文化財の宝庫、祀られている日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)で有名。近年は、境内を覆う大クスノキとナギの樹が恋愛成就や縁結びのパワースポットとして知られている。

===================================

お寺の由縁や大クスノキについては上述のリンクの記事にも掲載しているので詳細は省きます。恋愛のパワースポットとして特に女子に人気のお寺なのです。

当日はイベントの立ち寄りスポットということで本堂の中はカラフルにライトアップされていました。うっとり…癒しの空間でした。

本堂から大クスノキを眺める画。本当に立派な大樹です。いっぱい英気をいただくことができました。

この日は幸いにも出かける寸前のご住職に声をかけることができ、御朱印をいただくことができました。ありがたやありがたや。

本堂裏手にある中庭や慰霊堂も見学させていただきました。途中にある和室にも現代美術的なライトアップがされていました。

ご住職はこの手の飾りつけがお好きなのかもしれません。

西光寺を出て少し北上してから右折、東海道=見付宿場通りに入りました。…と、唐突ですが、長くなりましたのでここで今日の記事はしめることにします。明日に続きます。