寺社巡りでウォーキング@磐田市街(2019/12/15)② | パンダの音楽

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昨日に続き12月15日(日)に御朱印めあてで磐田市内の寺社を巡ったことの記事をつづります。上の画は4つめのスポット「淡海國玉神社(おうみくにたまじんじゃ)」のすぐ近くにある旧見附学校です。

淡海國玉神社を後にして、再び旧:東海道を東へ進む→県道86号線(磐田インター線)を横切る→今之浦川に架かる中川橋を渡ったところで北へ進む→7分ほど歩いて5か所めのスポット「宣光寺」に到着しました。

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寺伝によると慶長元年(1596)の開創、妙厳寺(豊川市)の25世大淵龍堂(だいえんりゅうどう)和尚により開山される。御本尊は延命地蔵菩薩、宗派は曹洞宗、寺号は「珠玉山 宣光寺(しゅぎょくさんせんこうじ)」である。地蔵堂内に安置されている木彫り座像「延命地蔵菩薩」は平安時代の作である。高さ1,4mもあり、「日本三大地蔵」の一つとされる。古来より宣光寺境内の地蔵堂に「延命地蔵菩薩」を安置するところより、寺の手前の細い参道は「地蔵小路」と名付けられたといわれる。また、これとは別に札所本尊として「十一面観世音菩薩」が本堂に安置されている。
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…云々。2体の仏さまが参拝者を見守るご利益が大きそうな寺院です。「1596年="安土桃山時代"の開創」と記したが、ご本尊「延命地蔵菩薩」は平安時代の作なので、地蔵堂はさらに古い歴史があることが伺えられます。
本堂に入り、広々とした畳の間の奥に観世音菩薩がありました。この日は法事が行われていて、私が菩薩様へお祈りしているところに、和尚様と7-8人ほどの親族ご一同様がせかせかと堂内を横切っていきました。
本堂の中は仏間を含めて10畳間が8室くらい連なっていたであろうか、広々とした空間で独り仏さまと向かい合いました。日頃は狭いアパート暮らしなので、何といっても畳の感触が気持ちいい!。さらに、CDラジカセで御詠歌が流れていたのだけれど、またその男性の透き通るような歌声が実に耳に心地いい!。心の中のドロドロしたものを見事に洗浄してくれました。
また、亡くなった祖母が町内会のおばちゃんたちと御詠歌を熱心に練習していたことを思い出し、懐かしさと郷愁が同時にこみあがりました。
こちらの画は本堂の西隣りにある地蔵堂です。赤色の柱は人の手に触れて塗料が剥がれてしまっただけなのかもしれないが、朽ちている印象もあり、本堂よりは古い建物のようでした。
延命地蔵菩薩は「みがわり地蔵」と呼ばれ、地元の方々に親しまれています。はて、その縁起は…
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元亀3年(1572)、三方原の戦いで武田信玄公に追われた徳川家康公は見付の地に逃れて、町に火を放った。地蔵は逃げまどう人々を助けるため幼児に化身する。身にやけどを負いながら火を消してまわった。その功徳によって、多くの人々は難を逃れた。戦禍の後、家康公は深く地蔵に帰依し、天下人となった。
以来、心や身体の苦しみなどの災難を身代わりとなってくれる仏として信仰を集めている。世に「みがわり地蔵」と云う。
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こちらにある鐘楼には、家康公が寄進した梵鐘があります。戦乱の世に戦死した多くの武将の為に、天正15年(1587)、家康公が信仰の厚かった延命地蔵菩薩に、その冥福を祈って寄進したものです。
また、この古鐘は家康公の銘文が刻まれていたため、第二次世界大戦中に供出されることを免れました。
門前にある布袋さんの石像の画、すっっばらしい笑顔です!!。おのずと心が緩和し、穏やかな気持ちにさせてくれます。そしてまたこの布袋さん、以前職場でお世話になった上司にめちゃくちゃ似ていて、笑顔どころかうっかり失笑してしまいました。
日頃ふさぎ込みやすい私の精神、気分は晴れ晴れ、スッキリしました。次の6つめのスポットである「見付天神=矢奈比賣神社」へ向かいました。 
宣光寺で御朱印を書いていただくのを待っている間に手にしたのが、上の画のパンフレットです。「遠州三十三間観音霊場」のマップ図を収めています。宣光寺は「十一面観世音菩薩」を安置している故、第十七番札所になっています
そのマップが上の画です。だいたい近い番号の寺院を巡回させるようにプロットされていますが、よくよく見ると行ったり来たりすることになるコースで、決して要領の良いものではありません。この33か所の寺院で組織される「遠州三十三観音霊場会」の事務局として「ハバを利かせている」のが、袋井市にある「可睡斎(かすいさい)」(=第三十番札所)です。法多山(はったさん)・油山寺(ゆさんじ)とあわせて「遠州三山」として名が知られているますが、可睡斎は東海道一の禅寺で宿坊も多いです。…うぅん、何となく頷ける実情でした。なお、宣光寺単体のパンフレットやホームページはないため、関連するリンク先を紹介します→遠州三十三観音霊場会 宣光寺
 
宣光寺を後にして、旧:東海道に戻りさらに東へ進みました。「見付天神入口」バス停近くの信号のある交差点で北東へ向かい、宣光寺を出てから約5分で見付天神の表参道に入りました。
緩やかな坂を100mほど上ると、一の鳥居に着きましたが、…きゃぁ!!!!((;´∀`))。「あとおし坂」が待ち構えていました。見ただけでやる気をなくすような急坂で、すれ違う車も4WDにしたくなるような傾斜でした。
…フッゥ、坂を上り切りました、キツかった!。ここにある赤鳥居(二の鳥居)と、近くにある霊犬「悉平太郎(しっぺいたろう)」の像は、2016年に両親と訪れた時と同じ状態で佇んでいて、少しだけ懐かしくなりました。
表参道に入ってから約7分の徒歩で拝殿の前に着きました。まぁ、車で来たら上ることのない「あとおし坂」、貴重な体験をしたことにします。==========================================
主祭神は「矢奈比賣命(やなひめのみこと)」、相殿は「菅原道真公(すがわらのみちざねこう)」。創建年代は不明だが、文献では承和7年(840)に従五以下の神階を授かると記されており、貞観2年(860)には正五位上を授かった。延長5年(927)にまとめられた延喜式に小社に列している。菅原道真公を祭神として祀ったのは正暦4年(993)との記憶がある。以降は「見付天神」と呼ばれ崇敬される。江戸時代には東海道五十三次の「見附宿」の鎮守とされた。==========================================
…云々。↓↓↓下の画は見付天神のパンフレットです。上述した「見付天神裸祭」の解説の他、境内の案内図、「霊犬 悉平太郎(れいけんしっぺいたろう)」の伝説、境内にあるつつじ公園などなど、見付天神がある丘の上にあるもの一切合切について網羅されいて、この記事を書くにあたり「バイブル」として大いに活用させていただきました。そう、ブログを書きながらずっとジレンマ的なものを感じていて、『実際に「見付天神」と「矢奈比賣神社」どちらが正式な名称なのか』という疑問が脳内をよぎり続けているのです。矢奈比賣命が主祭神で、菅原道真公が相殿なのだから、本来は「矢奈比賣神社」が正式名称としたいのがモットーなのだけど、世間一般では「見付天神」で名が通っていて「使いやすい呼び方」になってしまっているのでしょう。実際にパンフレットも「見付天神」が先に記載されていて「矢奈比賣神社」の方が大きい文字で掲示されていますしね。なお、矢奈比賣神社のホームページのリンクはこちらになります→見付天神 矢奈比賣神社。URLアドレスには「mitsuke-tenjin.com」のみで「yanahime」は入っていないのです!。
天気の良い日曜日でしたが、師走の何かとせわしい時期で、それほどは人出はないと思っていたのですが、授与所の前には御朱印の受付を待つ参拝客の行列がズラリ!。予想していた以上の盛況ぶりで「何事!?」と思っていましたが…、
「12月15日は、地の神様の日です。」だって。「地の神様の日」限定の御朱印が授与されていて、それでこの人混みなのです!。
御朱印の受付をする際に、あらかじめ「受付票」を記入して行列に加わる流れになっていました。「地の神様の日」限定の御朱印の仕上がりには時間がかかることを知り、通常の矢奈比賣神社の御朱印と、淡海國玉神社と霊犬神社の御朱印をいただくことにしました。

んもぅ…、うっかり混雑を狙いすましたかのように参詣してしまったではないか、あぁやられたりやられたり。

「地の神様」とは、住んでいる土地の神様をお祀りする古くから伝わる信仰のことです。「天照大神」とか具体的な名称のある神様ではなく、「大地には決まった所有者は無く、自分がこの世にいる間は、自分の心体は大地の神様より借りているもの」と考えられているのです。「地の神様」は主に静岡県中西部を中心に信仰されていて、確かに私の実家がある藤枝でも、「地の神様」を祀る神棚をよく見かけます。
御朱印が仕上がるのを待つ間、境内をうろつきました。再び拝殿の前に戻り「願かけ牛」をなでなでしました。

せっかく「天神さま」を祀る神社に来たんだしね。
↑↑↑こちらの画は上述した見付天神のパンフレットに記載されている、矢奈比賣神社のみの境内の鳥瞰図です。

これは拝殿の手前にある「六ツ石」です。表参道の始めにあった大鳥居(一の鳥居)、「あとおし坂」を上がった所にある赤鳥居(二の鳥居)、次に「三の鳥居」になる楼門があるはずでした。「六ツ石」は楼門の柱の礎石で、楼門の痕跡なのです。

その「六ツ石」を土台にするかのようにそびえ立つ巨木が「御縁木(ごえんぼく)」です。2本の檜が1本に結ばれた状態で成長したもので、「縁結びの神」として古来から崇敬されてきました。

(逆光になってしまいましたが…)、こちらは「御神木」の画です。古来より天神の社の中心として500年近くにわたり参拝者を見守り続ける檜の大老樹です。壮健な立ち姿からは溢れ来る活力と元気をいただくことができ、パワースポットである見付天神のシンボルでもあります。

授与所のお守り売り場にて。以前参拝したときよりも「しっぺいグッズ」が充実していました。
浜松市でいう「出世大名 家康くん」と同様に、磐田市民には「しっぺい」が地元のゆるキャラとしてすっかり定着しているようです。
受付をしてから25分くらいして、御朱印をいただくことができました。矢奈比賣神社の境内より先の丘の上へは行ったことがないので、霊犬神社を目指しました。上の画は境内の中腹にある駐車場近くにある鳥居です。
霊犬神社の手前に「つつじ公園」の看板がありました。霊犬「悉平太郎」は「つつじ公園」内に鎮座する神社に祀られているのです。
鳥居のある参道の両脇にはつつじ並木が続いています。春の見頃に訪れたら、花爛漫の絶景を拝むことができるのでしょう。
↑↑↑こちらは見付天神のパンフレットに記載されている「霊犬 悉平太郎(れいけんしっぺいたろう)」の伝説です。字が小さくて読みにくいのですが、「まんが日本昔ばなし」に出てきそうな怪物退治の物語です。怪物の正体は「狒々(ひひ)」で、現存するオマキザル科のマントヒヒ等とはかけ離れた猿の化け物です。悉平太郎の出身地は現在の長野県駒ケ根市にある光前寺です。見付の里人は悉平太郎に深く感謝し、光前寺に大般若経を納めました。この伝説がきっかけで、磐田市と駒ケ根市は姉妹都市を提携しています。
霊犬神社はひっそりとした小さな祠なのですが、「犬を祀った日本唯一の神社」として、近年はペット愛好家の方々に深く崇敬されています。
霊犬神社の奥は親水公園になっていて、しばらく腰を下ろして休憩しました。

池の周りに時季外れの紅葉が散らずに残っていました。冬の柔らかい日差しを浴びて、ほっこりとした風景に穏やかな時間が過ぎていきました。
上の画は見付天神のパンフレットに記載されている「つつじ公園」の解説です。ツツジは静岡県の「県花」であり、浜松市内でも多く植樹されています。それこそ、30種3,500本のツツジの他に桜や藤の木も植えられていて、春は華やかさの頂点です。

しかし、園内にはモミジやカエテの木も多く、思いの外、初冬の紅葉狩りを楽しむことができました。

愛犬神社のお詣りも済み、つつじ公園の散策も満喫し、山を下りることにしました。
 
この日は朝から寺社を訪れながらも、JR磐田駅を出発してから約3時間30分、およそ5kmは歩いていて、しかも終盤は山登り、「オッサンは疲れました」。帰りは磐田駅まで歩く気になれず、おとなしくバスに乗ることにしました。旧:国道1号線にある「見附」バス停から遠鉄バス(80=中ノ町磐田線)に乗車、約2.5km…8分の移動はあっという間でした。

JR磐田駅に着いたのは12:30頃、狙ったかのようにお昼時でした。歩くのをサボったくせに「本多屋」さんという駅前のお蕎麦屋さんに寄ってしまいました。
ジャーーン!、カツ丼のランチセット!!、食べる前から明らかに「カロリー還元」です。でもまぁ、いっぱい動いていっぱい食べるのは「良いこと」です。普段からヘコミ気味で食欲不振なときが多いので、気分を上向きに過ごすことができるだけで「ウレシイ」のです。
さわやかウォーキングなどで何度か磐田の街を歩くことをあったのだけれど、その頃は「御朱印集め」に目覚めておらず、見付天神をはじめ醫王寺、泉蔵寺(十王堂)、(旧:豊田町になるが)行興寺など、由緒のあるメジャーな寺社を巡っていました、…うぅん、今思えばもったいないことを!。でも、また復習の自主メニューで歩いてまわろうと思うのでした。関連する当ブログの記事のリンクを右記に並べます→藤枝から浜松へ帰る途中で磐田に立ち寄る(2016/06/26)さわやかウォーキング@磐田(2017/02/18)・他①さわやかウォーキング@豊田町(2017/04/30)さわやかウォーキング@磐田~袋井(2018/03/25)①
上の画は見付天神の授与所でいただいた、「見付 ありがた歩記(あるき)」というパンフレットです。磐田市内の中でも見付地区だけがクローズアップされていて、寺社巡りをする私にはうってつけの内容でした。
↑↑↑パンフレットを開いたのが上の地図です。この日に参詣した寺社の他に上述のリンク記事のさわやかウォーキングで訪れた寺院も載っていました。また次回、磐田市街を御朱印めぐりする際に、是非このパンフを持参しようと思います!。なお、このパンフレットを発行しているのは磐田市観光協会で、JR磐田駅の北口すぐに観光案内所があります。関連リンクはこちらです→磐田市観光協会
 
締めくくりにお土産披露コーナー。上の画は府八幡宮で購入した「ボケ封じ」のお守りです。自分自身かなりボケが入っているのだけれど、「両親のボケをなるべく遅らせたい」ことを願い購入しました。府八幡宮の境内に武内社がご神体です。「ぼけ封じ"成す"」なのでナスの形をしているんです。

こちらの「上御饌米」は府八幡宮の頂きもので、拝殿の賽銭箱の近くに無償で配られていました。さすが「八幡さん」、農耕の神様であります!。八幡宮の約300m南には県立磐田農業高校もありますしね。
この日訪れた7つの寺社には、ぶっちゃけ御朱印めあてでなければ参拝することがないところもありました。それでも実家の宗派が曹洞宗で、今回のウォーキングで訪れた宣光寺が、狙わずも同じ曹洞宗だったりすると、ホッとするというかほんのりうれしかったりするのです。まだまだ…、寺社の歴史や文化に深く情緒や感銘を得るようになるには、もっともっとオトナにならないといけないのであります。以上、記事終わり。