秋葉山本宮を下社から上社まで徒歩で参詣する(2020/01/13) | パンダの音楽

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1月13日(月・祝)に秋葉神社の下社から上社まで、徒歩で登って下りたことを記事にします。浜松市天竜区秋葉神社春野町にある「秋葉神社」は、全国の秋葉神社の総本宮であり、「秋葉山本宮秋葉神社」と称し、「火の神様」として全国津々浦々から信仰されています。私は家族や友人とのドライブで、「車では」何度か訪れたことのある神社です。浜松市民になって10年過ぎたあたりから、時々ウォーキング・イベントに参加するようになると、「秋葉山を踏破したい」という野望が芽生えたものの実現しないままでいました。
↑↑↑↑↑昨年(2019)12月に、自宅の最寄りである遠州鉄道助信駅で、ふと手にしたのが上画のチラシです。行き慣れているJR東海の「さわやかウォーキング」みたいに気楽に参加できるイベントでした。『秋葉山参拝 表参道ハイキング』…!!、前々から悶々と懐いていた「秋葉山を踏破したい」という野望を叶える良いキッカケで、「ついでに初詣もできる!」ってノリで、1月12日(日)のハイキングに参加することにしました。早々とバスや電車のダイヤをチェック→スケジューリングして、クリスマスの頃から楽しみにしていたのですが、…当日になって急に他の用事が入ってしまい、あえなくハイキングに参加することはできませんでした。
でも、動き出した心のベクトルを抑えることはできませんでした。翌日=1月13日(月)は天気の良い休日であることがわかり、1人メニューで秋葉山ハイキングにチャレンジすることにしました。前日のイベントでは地元ボランティアのガイドが付き添ってくれたり、臨時バス利用で乗車特典がもらえたりするなど「お楽しみ」はあったけれど、まぁいいや。自分にしては珍しく即断し、1月12日(日)に乗ろうとしていた電車とバスの時刻に合わせて家を出ました。
祝日(成人の日)の朝だというのに、下り方向の遠鉄は部活動の中高生で混みあいました。冒頭の画は8時頃に西鹿島駅に降りた時に写したのものです。
西鹿島駅から遠鉄バスに乗るのはかなぁぁぁり久しぶり、たしか秋野不矩美術館に行くときに利用したおぼろげな記憶があります。私が乗るバスは秋葉線の「春野協働センター」行き、先行する「山東」停まりのバスに、部活動の学生など天竜市街が目的地の方が大勢乗っていきました。
おかげさまで春野行きのバスは余裕で座ることができました。バス路線は西鹿島駅を出発し、間もなくして「鹿島橋」で天竜川を渡る→天竜市街を抜けて「天竜区役所」を過ぎてからしばらくの間は二俣川(ふたまたがわ)沿いを走る→二俣川の上流部:「横川」を過ぎると違う谷を向かうために山越えをする→峠を下りて気田川(けたがわ)が見えてくると間もなくして「秋葉神社」に到着する、といった行程でした。バスの中は秋野不矩美術館を過ぎるとほとんどの乗客が降りてしまい、光明幼稚園を過ぎた頃には運転手さんと2人きりの沈黙のバス旅となってしまいました。「横川」から「おいだいら入口」の間の山道はかなり険しく、自分だけのための運転ではもったいなくて、「もう少し小さいバスを使えばいいのになぁ」ってお節介なことを考えたりしました。
約40分ほどバスに揺られ、8:55頃に秋葉山本宮の下社に着きました。
秋葉山の下社には20歳代前半に友人とドライブで来た記憶がおぼろげにあるくらいです。なので、およそ20年ぶりの参拝となります。
拝殿に行くまでには30段くらいはある石段を上ります。これだけでも体が火照ります。
まだ9:00頃の参拝で、人の数はまばら。神聖な空気に包まれ、清々しい気持ちでお祈りさせていただきました。
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創建は和銅2年(709)、秋葉山は赤石山脈の遠州平野に突出した最南端で天竜川の上流に位置し、上古より火の神様の鎮まります御神体山として崇拝される。社号は「秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)」。古代では「岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)」→中世は「秋葉大権現(あきはだいごんげん)」→明治時代初期に「秋葉神社」と称され、昭和27年(1952)に全国の秋葉神社の総本宮であることから現在の社号に改称される。御祭神は「火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)」=伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の御子で火の主宰神。ご神徳は火の幸を恵み悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁昌の御霊験として全国より信仰を集める。
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…云々。古来より日本は木造建築が多く、火の神様を崇拝するのは「言わずもなが」です。直近では、オーストラリアの森林の大火災をTVニュースで視ることがあり、早い鎮火を祈りました。
職場で飾っていた注連縄をここで納めさせていただきました。商売繁盛よりも職場の同僚の無病息災を願いました。

こんなオブジェがありました。鉄製のデッカイしゃもじのようですが「十能(じゅうのう)」といって炭を運ぶ道具です。日本最大の十能で、「秋葉の火まつり」での作業安全を祈願して奉納されたものだそうです。
今まで使っていた御朱印帳がいっぱいになり新たに購入しました。ここの神社でわが人生で2冊めになります、ピカピカ✨!。
こちらは秋葉山本宮秋葉神社のパンフレットの画です。神社の由緒、社宝、火まつり等について詳らかに解説されていて、当記事を書くにあたって参考になりました。ホームページでは画像も多く掲載されていて目でも楽しめる内容になっています、リンクはこちらです→秋葉山本宮 秋葉神社
探せば参道があったのかもしれませんが、下社と上社をつなぐ表参道の入口は下社境内にはなく、いったん外に出ることになります。下社を出て表参道入口まで500mほど歩きました。上の画は道中にある表参道駐車場、手前に写る「下島」バス停は乗ってきたバス(秋葉線)の終点です。
20台ほど車が停まっていて、ここまで車で来て山登りをする参拝者も多いことを察しました。
さて、表参道に入りました。東京のナンダカヒルズと違って、随分ひっそりしています。
いきなりの急坂!、車だと4WDじゃないと上れないレベルです。
その急坂を登りきると休憩所がありました。歩き始めてすぐなのに、早くも「ゲンナリ」です。
その後、石畳の坂を上ると、少し拓けた場所に着きました。
秋葉寺への参道の入口だったのです。
けだしホッとしたのは束の間、舗装された道はここまでで、本格的な山登りに入ります。
…!、表参道は勾配の大きい坂が続き、思った以上に苛酷でした。
…!!、日頃履き慣れているスニーカーで来てしまい、甘くみていたのを後悔しました。
…!!(-_-;)。おかげで膝はガクガク、ふくらはぎはパツパツでした。
この日は天気も良く最高気温は12-3℃くらいありました。200mくらい上っただけで体の熱りに堪えきれず、来ていたジャンパーを脱ぎました。
上の画は「四の鳥居」の遺跡である礎石です。
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かつて「最勝関」と書かれた縦5尺x横2尺7寸の額が掛かる銅鳥居が建っていた。明和2年(1765)に秋葉寺37世住職=任超和尚の請に応じた83歳の面山和尚が揮毫(きごう)した額と伝えられる。
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…云々。この辺りで表参道の中間ぐらいであったであろうか、もうヘトヘトでした。
「四の鳥居」のすぐ近くに「子安地蔵尊」がありました。何でかたくさんの杓子が奉納されていました。
近くの木看板に「女人分娩の難を除く為安産祈願をして大願成就の暁に底を抜いた杓を奉納する」と記されていました。水子供養で「安産の神」を崇拝していて、こうも少子化の時代においてありがたい神様です。
しばらくすると送電線を支える大きな鉄塔があり、展望台になっていました。
素晴らしいランドスケープです!。四苦八苦山登りしてきたので、いいご褒美でした。
それから15分ほど歩くと、「秋葉寺」の境内にさしかかりました。
歴史が深そうで立派な山門、神仏習合の時代をそのまま残した佇まいです。
すなわち、秋葉山の一大イベントである火まつりでも「秋葉三尺坊大権現」として舞台になっているお寺です。
あれだけ山道を登ってきてへこたれさせられていると思えないほど広々とした平地です。
お寺の中には入りましたが恐れ入って撮影はしませんでした。観音菩薩を本地仏として、「オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ」と唱えていることから真言宗の流れがあるようですが、宗派は「曹洞宗」です。
「秋葉三尺坊大権現」として江戸時代頃から信仰を集め、「秋葉講」といって火防せ・安全を祈願で参拝客を集めていることを思えば、今の「秋葉信仰」のルーツになっているのかもしれません。
秋葉寺を出て8分ほど歩くと「これ見よがしに」大きな杉の木が立っていました。
特に御神木でもないんだけれど、表参道ルートを左右に分かつ、印象に残る存在でした。
それから5分ほど、ようやく上社の神門が見えてきました!。
ブルーシートが貼られて、正直ボロく見えて決してキレイなものではないのだけれど、天保2年(1831)に奉建された秋葉山で最も古い建造物なのです。
神門をくぐって2分ほど進み、ようやく上社の境内に着きました。
手水舎付近にて。山を登り切って、実にすがすがしい気分です。
とりあえず本殿に向かいましょう。
キンキラキンの鳥居には芽の輪くぐりもあり、それも金ピカです。
これは「幸福の鳥居」といって「火難を始め諸厄諸病の難を免れて幸運を恵むや厄除開運の神徳がある」として建立された、パワースポットの象徴です。
良い天気で参拝客も多かったです。大概の人は上社の駐車場まで車で来ての参拝だと思われ、歩いてきた私にとっては「ありがたさ余りある」状態でした。
ホントに良い見晴らし。画は遠州灘方面を眺めたものです。
こちらは東の袋井・掛川方面を眺める画。ジュビロの大きな絵馬が今となっては象徴です。
↑↑↑↑↑こちらは上述のパンフレットにある境内を撮影したもの、やはりプロは違います。画的にダブるので過去のブログのリンクを記します、リンクはこちらです→ドライブ小旅行@遠州北部:旧引佐郡など(主に湖北五山)(2018/11/03-04)①
神社に着いた頃は身体が火照っていたけど、山風に吹かれてしばらくして寒くなり、温かいものを求めるようになりました。
御札所の近くにある白い石を敷いた字、「子」(ね=ねずみ)です。
「かのえ」の文字、そう、2020年は「庚子(かのえね」です。西暦だと父は子年生まれ(1月20日生まれ)だけれど、旧暦に拘って、「亥年」生まれなんだそうです。
さて、上社の御朱印をもらいに社務所へ向かいました。
え゛っっっ、オッサン昭和50年生まれだけど、「八方塞がり」ぢゃん。いきなりヤル気をなくしました。
ま、いいや。都合のいい事しか信じないようにできてるんだし。

下社に続いて、ありがたく上社の御朱印をいただきました。右が下社、左が上社の御朱印です。いずれもご達筆!。
これは嵐の二宮くんが平成27年に植樹したカエデとウメの木。ファンの中では名が通っているいる存在…だそうです。
境内をうろついて11:15頃、ちょっと早いけど昼食をとることにしました。
ジャーーン!、名物の「しいたけそば」と「もみじこんにゃく」のセットです。しいたけの良い出汁が出てたいへん美味!。こんにゃく田楽の味噌もいやみない塩梅の味わいで、汗をかいて山登りした身体には良い栄養補給でした。
食堂のある休憩所は半分くらいがお土産売り場でした。下社は廃れてしまいまいしたが、上社は参拝客が多く潤っている印象を受けました。
とにかく、天気に恵まれて良かった!。朝早くの気まぐれな外出だったけれど、結果オーライです。
さて、山下りに入ります。
こちらは「五の鳥居跡」、上りのときに撮影しなかったけれど、ここはミニチュアの赤鳥居があってささやかだけれど可愛らしい演出です。
神門から下って8分ほど、早くも秋葉寺の前を通り過ぎました。うわぁ、すげぇ下り坂。よくこんなの登ってきたなぁ…。
黙々と山を下るも、登りと違って膝に負担がかかり、上りとは違って膝の皿の辺りがガクガクでした(~_~。
山を下ること70分ほど、早くも秋葉寺の参道にさしかかる石灯篭の前に着きました。
それから直ぐ、民家の見える石畳を下りました。
ふっっっ、もうすぐゴールだ!。
やっぱり表参道沿いにある民家の並びはひっそり。全く商売っ気がないです。
上社の神門から降りて80分ほど、下社前の駐車場に着きました、ゴール!!。大変お疲れ様でした。
それからは20分ほど帰りのバス(西鹿島駅方面)を待つことになり、気田川の河原のキャンプ場とかをうろつき時間をつぶして帰途に入りました。
距離は往復8.5kmほどなんだけれど大変充実した、良いハイキングになりました。今後も自主メニューで楽しく歩き続けたいと思います。以上、記事終わり。