両親とのパリ旅行記(2017/08/19-24)⑦ | パンダの音楽

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静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

独自ヒットチャートの公開、お気に入り楽曲の紹介等を致します。

パリ旅行の4日め、ヴェルサイユ宮殿のオプショナル・ツアーが解散してからの行動の記事になります。上の画はバスを降り立ったオペラ・ガルニエの近く、香水博物館(Musee du Parfum)です。

香水博物館…そう言えば宿泊しているノルマンディー・ホテルに、しかも泊まった部屋に上の画ようなパンフレットがありました。クーポンになっていたようだが、あいにく持参せず。全編英語で、そもそも香水に興味がなかったからね。

こちらのパンフレットが入館した時にいただいたもの。いかにも女の子向け、こちらはちゃんと日本語。現地で働いている可愛らしい日本人女性の方がガイドを務めてくださりました。

サプライズは来館記念で香水が混ぜ込まれた石鹸を頂いたこと(上の画の右側の箱)。フランスは香水の本場!、ふとっぱらです。なお、この香水博物館のホームページはこちら→Musee du Perfum。この博物館を運営するFragonard(フラゴナール)の公式ホームページはこちら→Fragonard

館内は香水の歴史、香水の製造過程についての展示がされており、日本人ガイドの方がテキパキと説明してくれました。

ただ、バラの花を摘んで機械で圧縮して絞り汁を作っているわけではなく、原料を乾燥させたり、ウイスキーみたいに蒸留してエキスを抽出したりと、手間ひまがかかっていることを知りました。

化粧品にまったく無頓着な私…、恥ずかしながら香水とオー・デ・コロンの区別もなかった(…(;''∀''))。香水>オー・デ・パルファム>オー・ド・トワレ>オー・デ・コロンの順番で、香料の濃度で分類されていて、濃度の高いものほど香りが長持ちする。

この博物館のガイドさんの香水に関する博学の深さに感心する。「専門の職にしているのだから」という見方もあるが、彼女の香水への情熱が、渡仏するまでの衝動になったのだから。

画がブレた…。体験コーナーとして、展示販売されている香水の香りをいろいろ嗅がせてもらいました。

バラ、ラベンダー、ジャスミン、シナモン、ムスク…、カタカナを何となく「モノとナマエ」でしか認識していなくて、それらを具象したのは初めての経験だった。

「Etoile」…エトワール=星。柑橘系の爽やかでスッと馴染むような香り。

「Belle de nuit」…ベル・ドゥ・ニュイ=夕方にしか咲かない花。バラの系統の薫りが強くて、夜にお出かけする大人の女性といった印象か。

「Belle cherie」…ベル・シェリ=美しく愛おしい人。森林浴しているような…ウッド系の香りが強い.かったような…。こんな風に代表的な香水

に使われている原料が何かを皆んなして当てっこしたのです。

香りの体験コーナーは、香水、オー・デ・コロン、石鹸などなど、身体に付けるあらゆる「香り」を扱っていた。完全に「女の子ゾーン」。

原産地であるフランス国内で香水を買うのは、日本で買うよりも格安。飛行機で持ち込むこともできるお土産として丁度いいサイズ。何より、このFragonardの香水を店頭販売しているのがこの博物館だけだというから、実物を手に取りながらショッピングできる貴重な場であった。

しかもココでは5本単位で購入するとかなり値引きされる。母は単に想い出づくりでもあったんだろうが、バス・ツアーで一期一会の見ず知らずのお姉さん方と割り勘で香水を購入していた。おかげで付き添いの男性陣は「そっちのけ状態」。

お買い物も終わり、香水博物館を出て、昼食のために適当に入りやすいカフェを探す。上はマドレーヌ寺院方面に向かいながら歩いているときの画。おっっぉぉ!、"本場"マカロンの塊!、カラフルなチョコレートのブロック!、フランスでは食べ物もアートだね!。

Big Bus Parisとは反対方向でオリンピア劇場の前を通る。何のパフォーマンスが披露されているのかは未確認だったけれど、事前にちゃんと調べておけば、観劇や生歌に興じることもできたであろう。

昼食で入ったのは「Cafe de Olympia」(カフェ・ド・オリンピア)、名前のごとくオリンピア劇場のすぐ近く。日本語メニューがありそう、とかでなく、暑い日にオープン・カフェで赤い幅広いシェードが目についたため。

ヴェルサイユでいっぱい歩いて疲れたし、夏日の陽気で何の躊躇もなくビールを嗜む。この店ではコロナを一押し。

私が食したのはガッツリ、サーロイン・ステーキ。歩いて腹がへっていて、付き合わせのパンやポテトもむさぼるように食ってしまった。

父はカモ肉のソテー(…だったような気がする)。たまに藤枝に帰省した時に両親と外食で焼肉をいただくことがあるが、この頃、父はホルモンとか牛・豚よりも鶏肉を気に入っている。脂の強いものを自然と遠ざけているのか、…お互い老けるわけだよなぁ…。

店員さんがめっちゃ美人でカッコいい!。オペラ付近はパリの中心業務地域でもあり、この店もオフィス街にある。火曜日で昼食で来店するサラリーマンも多くかったが、彼らのスーツの着こなしが実にオシャレ。芸術面だけでなく、パリがファッションでも世界最高峰の街であることを痛感させられる。

2000年のパリ訪問でも訪れた観光地であるが、食後は"サン・ジェルマン・デ・プレ教会"→"サクレ・クール"で観光することにした。サン・ジェルマン・デ・プレ教会では、静寂の中に心が解放されてすごく気持ちよかった記憶があり、まだ行ってみたくなったのだ。オリンピア劇場の近くだとオペラ・ガルニエまで戻って、27号線のバスをリュクサンブール宮殿方面へ「ちゃんと方角さえ正しければ」乗り換えなしで便利。地下鉄であればオペラ駅から7号腺→シャトレ駅で4号線に乗り換えで行ける。…だがしかし、やっぱり歩き疲れてるんだな、真っ先にタクシーを捕まえる、もう移動にはお金をいとまない。

着きました、サン・ジェルマン・デ・プレ教会。パリで現存する最古の教会で、542年に修道院の付属教会として建てられたのが起源だとか。初期ロマネスク様式という建築で、ノートルダム大聖堂のようなゴシック様式みたいなトゲトゲしさがなくて、素朴で奥ゆかしい印象がある。高くそびえる鐘楼は11世紀のもので、フランス最古の一つである。

ひっそりと、歴史深い空間。現地時間で17:40頃の訪問だったが、パリの夏の日暮れは遅く、ほのかに明るくて優しい。

逆光のアングルだけれど、ステンドグラスも眩しすぎなくてぼんやりと暗闇から浮かびあたって幻想的だった。

「慰めの聖母像」、14世紀頃の制作。この彫像を目当てにくる参拝者が多いらしい。もう、素朴というか、いかにも田舎にある「地元の教会」って印象する漂う。

天井はゴシック様式の天を突くような尖ったつくりではなく、やわらかく丸みを帯びていて、「控えめ」な感じ。ステントグラスに描かれている聖人には各々物語があるようだったけれど、詳しいことはわからず。

無心になれる空間、安堵感すらこみ上げる。今回の旅行はパリのメジャー・スポットを大体の順路で動くイメージは練っていたもの、綿密に交通手段を調べおらず、2日めのBig Bus Paris以外は踏んだり蹴ったりであった。神はこうした無鉄砲な行動に戒めていただいたであろう。

人だかりの多いパリの人気スポットばかり訪ね歩いてきた。人が少なくて、体よりも心が癒されて、すごく居心地が良かった。

光が反射してヘタな撮影しかできなかったのだけれど、窓のない壁の身廊に掲げられていた宗教画の一つ。ルーヴル美術館でうっとり見とれてしまった「海辺に座る裸体の青年」を描いたイポリット・フランドランのフラスコ画で、フランス新古典派の代表作である。繊細でやわらかいタッチの描画で、画家の丁寧さというか熱心さがよく伝わる。

あぁ~、ホッとした、じんわりした。本来は、この教会もパリのメジャー観光地で参拝者は多いはずだが、空いていて良かった。アーメン…。

サン・ジェルマン・デ・プレ界隈は、パリで最も知的で洗練されたエリアである。上の画はサン・ジェルマン・デ・プレ教会のある交差点でサン・ジェルマン大通りを北西方向(アンヴァリッドやエッフェル塔方面)に撮った画。洗練されたショップが立ち並ぶブティック街だ。

上の画と逆=南東方向、ソルボンヌやオーステルリッツ駅方面。アンヴァリッドやエッフェル塔方面)に撮った画。カルチェ・ラタンといわれる学生街で若者モードの発祥地だ。他にもアンティーク街のサン・ペール通り、インテリア・ショップが集まるジャコブ通りなど、コアな買い物をする観光客にとっては憧れの地…あいにく予習不足な素人=親子3人は残念なくらいに買い物に無頓着だった。

そんな私は根っからの甘党。20歳代には京都や大阪でケーキの食べ歩きをしたりケーキバイキングに情熱を注いだりして…、それが冗長して2000年のパリ旅行は甘味巡りがメインだったんだよなぁ…。一人でちょこまかとメジャー観光地も訪れたが、ガイドブックに載っている著名なカフェもちゃっかりマークしていたし、確かにこのオシャレな街を歩き回っていた記憶がおぼろげに残っている。…我ながら気合が入っていたな、あの頃は。

…なんつって、教会の中で貪欲な半生を顧みる…、上の画はまた振り向きざまに撮ったサン・ジェルマン・デ・プレ教会なのだ。

サン・ジェルマン・デ・プレ教会のすぐ近くには1950年代に活躍した文化人や芸術家が通うカフェが点在する。上の画はその中でも特に著名な老舗カフェである「レ・ドゥ・マゴ」。サルトルやボーヴォワール、カミュ、レジェ、ピカソ、ヘミングウェイなど、そうそうたるメンバーが常連客で、文化的・政治的談義が繰り広げられていたであろう。手元のガイドブックで確認してみると、超人気パティシエ「ピエール・エルメ」のマカロンなどを味わうことができる!。かなり惹かれたのだが、既に満席状態だった。


私たちが寄ったのは、「レ・ドゥ・マゴ」と並んで名高い老舗カフェ=「フロール」。ギョーム、ダリ、コクトー、シュールレアリスムの創始者であるアンドレ・ブルトンとルイ・アラゴンなど…文学界や芸術家のたまり場だった。なお、「フロール」のホームページはこちら→Accueil - Cafe de Flore

画は「フロール」で飲んだエスプレッソ。じっくり深煎りヨーロピアンで、マッタリとくつろぎの時間。父はビールをやめてワイン、母は紅茶、各々歴史ある空間で喫茶を嗜む…混みあう店内だったが良いひと時であった。

ほっと一息、落ち着いたところで、今度はバスに乗ってサクレ・クール大聖堂を目指す。実はパリでは地下鉄を乗りこなしてはいたものの路線バスに乗るのは自身初。地図を眺めている限りではテキスに目的地に近い路線とバス停を決めるのに「土地勘が要る」と思って敬遠していたからだ。

それでも10分間隔くらいでバスは通り過ぎているわけで、とりあえず北駅方面に向かうバスに乗ってみた…95番線。これがまた…、恥ずかしいことに常識知らずで、事前にRATPの切符を買わずに乗っちゃったんだなこれが。運転手さんに切符が買えるか尋ねたけれど、「ノー・キャッシュ」!、運転手さんも呆れたようで、大人3人アホなキセル乗車!!。

さらには、…よっぽど動転していたんだろうなぁ、全然目的地とはかけ離れたバス停で降りてしまい、地図を観ながら立ち尽くすことに…。と、そこに現れた「モンマルトルの貴婦人」!、しかも日本人!!。見ず知らずの私たちにわざわざ声をかけてくださり、現地点からサクレ・クール大聖堂へ最短距離の道や方角を教えてくれたのだ!.。まぁこの親切な女性からしてみたら、私たちは「よっぽど困った日本人」に見えたんだろうなぁ…、ホント感謝感謝です。

とにかく、このパリ旅行でいちばん感動した「人からの親切」であった。どちらかというと愛想の悪いフランス人のサービスに怖気ていたのだけれど、このほんの数分の「日本語での対話」は実にありがたいサプライズだった。今となってはお名前だけでも伺っておけば良かったなぁ…、すっかり地理に精通していておそらくフランス語もペラペラなのであろう…、パリに馴染んだ素振りがカッコ良かった!。

教えてもらった道は、進めばすぐにサクレ・クールの独特なドームが見えるのだが、…ひたすら登り坂、なかなか距離が縮まらない!。またしても両親をロードワーク地獄に陥れてしまう頼りないガイドのバカ息子!。実際、この時にどこで迷子になってしまったのかは定かでないのだが、ブログを書きながら地図で確認してみると、バス通りも比較的幅の広い道路だったし…、サクレ・クールより500mくらい北西に離れたジュノー大通り、地下鉄だとラマルク・コーランクール駅の近くだったんではないかと思う。

…だいぶん画のないブログが続いてしまった。確かに当日の行動の記憶が曖昧だった時間帯である。ブログ・エディタの文字数オーバーでないが、今日はここで記事を区切ります。明日の記事⑧でサクレ・クールでの行動を記します。