両親とのパリ旅行記(2017/08/19-24)⑧ | パンダの音楽

パンダの音楽

静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

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パリ旅行の4日め、自由行動の後半の記事です。サン・ジェルマン・デ・プレからサクレ・クールへの移動で迷子→奇跡的に出会った「モンマルトルの女神」に教えてもらった道を進んでいる時点からのスタートです。上の画は今更ながらRATPのバス路線図の画。

見知らぬ土地。住宅街の坂道を登り続けていると、段々人の群れが目につくようになり、たくさんお店が立ち並ぶ辺りまで来ると目的地に近づいた実感が沸き、ホッとする。

上の画は手前にサン・ピエール・ト・モンマルトル教会、奥にサクレ・クール大聖堂のドームを望む視界。ホント、大変おっちょこちょいな話で、私、この手前の黄色い建物も「サクレ・クール」の建物だと思い込んで入っちゃったんだよなぁ。

勘違いで教会の敷地に入ったところの画。2000年の一人旅でもサクレ・クールは訪れた場所なのだが、…うぅん、はてはて、こんなにベージュ色の石の建物だっけ??。

教会の中に入ったところの画。このパリ旅行で訪れる3ヶ所めのカトリック教会となる。

教会の中を歩き進むにつれて、さすがに「勘違い」に気づく…ここは「サン・ピエール・ト・モンマルトル教会」だった。暑い日差しの中の登り坂、両親にだいぶん苦痛を与えてしまったわけで、本当に申し訳なかった。それでも静粛で神聖な空間は、心の焦りを抑えてくれて、ゆっくり休ませていただいた。

サン・ピエール・ト・モンマルトル教会は、自分の中ではノーマークだったが、サン・ジェルマン・デ・プレと同様にパリ最古の教会の一つ。ベネディクト会修道院の礼拝堂として1133年に建てられたもので、お目当てのサクレ・クール大聖堂よりも700年以上も先輩である。

上の画の左隅に写っている太くてがっちりとした円柱は、同地に建っていた古代ローマ時代の大理石の神殿の遺跡なのだそうだ。

教会全体の壁を彩る幾何学模様のステンドグラスは1954年にマックス・アングランというアール・デコを代表するガラス工芸家が創作したもの。

教会の後陣から入り口方面を写した画。人の数もまばらで、ゆったりとくつろぐ。教会が設立された当時の素朴で敬虔な祈りの場で、しばらくボーっとする。キセル乗車とかモンマルトルの貴婦人の軌跡な出会いとか…つい先ほどの記憶を回想する。

再び観光客が多く行きかう路地に出た時の画。ネイティブなオープンカフェの前で流しの演奏をする男性たち。ギターと木琴がなかなか良いアンサンブルで、ラテン系の明るい音楽は少し沈んでいた心を励ましてくれた。

いかにもメジャー観光地らしくお土産屋さんが立ち並ぶ通りを歩き、ようやくサクレ・クール大聖堂の正面の近くまで来る。

…うっっっ!!、思っていた以上にデカい建物だ。全体を1フレームに収めて撮るのはかなり難儀だぞ!。

ドームとは別にファザードを捉えた画。…うん、確かに観た、来た!、2000年の旅の記憶が徐々によみがえる。

大聖堂の正面ドドーン!!。白亜のファザードと高いドームが特徴的で何ともエキゾチック、このパリ旅行でおもにバロック式の建物に目が慣れていたので異様でもある。

少しアングルを変えての撮影。ロマネスク・ビサンチン様式のバジリカ大聖堂(=一般の教会堂よりも上位にあることを認められた教会堂のこと)である。1871年のパリ・コミューンの贖罪を目的に建てられたもので着工は1877年、完成までに40年もの月日を要した。

大聖堂を入ったところの画。ノートルダム大聖堂なみに堂々として広い空間、自ずと正面のキリストの巨大なモザイク画に視線が引き寄せられる。

カメラの光の絞りが不具合だったのか、ステンドグラスを写すもぼやけた状態に。考えてみれば、大聖堂の真上は高いドームの吹き抜けになっているわけで、今まで見学してきた教会堂よりもたくさん太陽光が差し込むわけだし、フラッシュ露出の調節を余儀なくされるわけだ。

教会の壁をとりまくステンドグラスは形や大きさは様々で、その変容が芸術眼を楽しませてくれる。

この教会堂の場合、ステンドグラスよりも注目されたいのが、古めかしいモザイク画。キリストの生涯を描いた壮麗な作品で、くすんで擦れた色調が歴史の深さを感じさせる。それと、キリストやマリア、法王、聖フランスやパリ司教たちの彫像たち。生き生きと姿を巧みに描いており、見事な芸術品群である。

そして、この巨大なキリスト昇天のモザイク画!、何とも圧倒的に荘厳な雰囲気を演出する。1923年に完成されたもので、面積は475m2、世界最大のモザイクの1つなのだそうだ。

いったん外に出て…、なんとまぁ、「せっかく」という欲がはたらき、くたびれるのわかっておきながら、ドーム登りに挑戦してしまう!。

いったん大聖堂の地下空間まで下りてからのスタートになる。天井ドームへの入場料は1人あたり6€。

上の画はサクレ・クールのドーム入場のチケット。今まで見てきた凱旋門やエッフェル塔、オルセー美術館などと同じサイズのカードで、旅の記録となるささやかな記念品でもある。

これがまた…えらいこっちゃ!、高低差は83m、段数は300!!、完全に健脚向きコース…(;''∀'')。前半は長い長いらせん階段で、外に出たらヒト1人が通るのがやっとなくらいの幅の急峻な階段(上の画)。このパリ旅行で両親を無理やり歩き回らせてしまったが、凱旋門をはるかに超える「地獄」を味あわさせてしまった。

それでもドームに登り切った!!、パリの市街を一望!、素晴らしいパノラマ!。階段を登ってくたびれていても、良いご褒美だ。上の画はとってもわかりやすく「パリの西新宿」=ラ・デファンスの高層ビル群がはるか彼方から「こんにちは」。

ドームを一周しながらパリいちばんの眺望を楽しむ。モンマルトルの丘は海抜130m、プラス83mだから海抜213mに居るわけだ。実際どちらのてっぺんが高いのかはわからないが、エッフェル塔も見下ろすような風景である。

先ほどのラ・デファンスよりも北西方向を望む。サン・ラザール駅から鉄道が延びる方角だから、はるか彼方はノルマンディー地方で英仏海峡に続くんだなぁ…。

鐘楼の画。なんと!、鐘の重さは18トン!!、世界最大級の大きさを誇るそうだ。

うぅん、そういえばサンジェルマン・デ・プレに居た頃は澄み切った青空が広がっていたのに、ここに来て雲がだいぶん広がってしまっていた。天気が良ければ50kmも先まで見渡すことができるらしい。

もう1回エッフェル塔とラ・デファンスを収める角度で撮影する。ちょうど真ん中あたりに凱旋門が写るはずなんだけどなぁ…発見できず。

考えてみれば、モンマルトルの丘はエッフェル塔と比べたらだいぶん市街地から離れている。凱旋門に限らず、ルーヴル宮もノートルダム大聖堂でも見つかりにくいのは確かなこと。

今度は南東方向を眺める。やや雲間が広がっている風景で、眼下に北駅と東駅のやや工業地帯っぽいところを望む。フランスは農業が盛んな印象が強いが、EC内ではドイツに次ぐ工業国である。

大聖堂の眼下の画。アリの群れのように観光客が行き来する。芝生広場の上の階段からでも十分にパリ市街の眺望を楽しむことができるわけで、かなりの人口密度。

南方向に視界を移す。何だか太い釘がとびぬけてしまったかのように、モンパルナス・タワーがそびえる。方角を確認するのにいい目印になる建物だ。

上の画の拡大版。セーヌ川の流れこそ捉えづらいが、左手にルーブル宮、右手にオルセー美術館。ルーヴル宮の奥はサン・ジェルマン・デ・プレの可愛らしい三角頭である。

パリの4日め、この時点で現地時刻で18:00頃。ヴェルサイユ宮殿の見学の後に、無計画だったが主要観光地を2つ踏破。パリの街を歩いて楽しむ時間があるのはこの日が最後。翌日は空港に向かって機構の途につくだけである。旅の終わりが近づいているのを感じると同時に、しかとこの目で焼きついたパリ市街の風景がこの旅行のいちばんの思い出になる。

ドームを何周もまわっては眺望を楽しみ、もったいぶりながら地上へ下りる。ドームに登る気がさらさらない観光客は大聖堂の前や芝生広場の階段で「ベスト・ポジション」を狙って座り込んでいた

それにしてもすごい人出だ!。

私の中では、お気に入りのフランス映画「アメリ」の舞台で会ったり、この階段でドラマ「のだめカンタービレ」で上野樹里が座り込んでいる映像もはっきりと覚えていて、自分でも知らず知らずのうちにパリの中でモンマルトルの丘が好きなエリアになっていた。

先ほどの陽気なお兄さんたちとは別で、ここでも「流し」のラテン音楽の生演奏。「ラテン系」というかアフリカンな印象もあって、とにかく木琴の奏でが南国風だった。

それぢゃ、バイバイ!、サクレ・クール大聖堂。さて、この画の真ん中あたりに写っている青いシャツの男性に注目。

「パパァ~、抱っこしてぇ」、イヤそうな顔しながらも我が子を肩に背負って階段を下りるお父さん。確かに最寄りの地下鉄の駅から丘の上まで登るだけでも、小さい子にとってはキツいかもね。

丘を下りてはじめて気づく「Funiculaire(フュニキュレール)」…つまりケーブルカー!。え、マジすか、こんなんあるの知らんかった!。

…でもなぁ、1900年に開業、1935年に電気式に変わっている歴史あるケーブルカー。2000年にサクレ・クールに来たときに乗った記憶がないなぁ…がんばって階段を登ったんだっけ…、ホント、曖昧な記憶だ。

名残惜しみながらもモンマルトルの丘を下る。

「今度こそ」地下鉄を使ってホテルへ帰ることにする。今さらだがサン・ジェルマン・デ・プレからサクレ・クールまでは、地下鉄で「サン・ジェルマン・デ・プレ駅」から4号線を北方向へ、「北駅」で2号線に乗り換えて「アンヴェール駅」で降りるのが正解。帰り道:ノルマンディ・ホテルの最寄りは「ピラミッド駅」なので、「アンヴェール駅」から2号線を「ナシオン」方面、「スターリングラード駅」で7号線に乗り換え、オペラ、シャトラ方面で「ピラミッド駅」に到着、といった感じ。

モンマルトルのケーブルカーはメトロと同じRATP(パリ市交通公団)が運営していて、切符は画のごとくほぼ同じで、料金も1人あたり1.9€で同じ。

スターリングラード駅のホームにて。乗換駅とはいえ、ホームとホームの間が200~300mくらいあって、思いの外歩く羽目になった両親は驚いていたが、そんなの、東京の地下鉄の"距離+高低差"の乗換を考えればチョロいもんなのになぁ…。

ホテルに着いたのは19:00頃。さすがに疲れ果て、部屋に入るなり3人ともベッドに飛び込んでぐったり眠りに就いてしまう。私は1~2時間くらいで、起き上がってフランス語でチンプンカンプンなテレビを視たり、スマホをいじくったりしていたんだけれど、両親はいっこうに起きる気配なし。パリの最後の夜だし、パァーっと小粋なビストロかブラッセリに行きたかっただけれど、…60歳過ぎの両親を歩き回らせて疲れ果てさせたのは自責の念もあり起こすのは可哀そうだった。…まぁ、パリのレストランは22:00~24:00くらいまで開いているのはわかっていたので、しばし2人が自然に起きるのを待っていた。

…そして、21:00、さすがに外出しないとなぁっていう時間になっても両親は起きる気配なし。何にも食べずに終わるのはイヤだったし、とりあえず喉が渇いて水だけは調達しておこうと思い、1人で近所のスーパー「モノプリ」へ出かけた。

ミネラルウォーターの他にグレープフルーツジュースとか、名前はわからなかったけれど炭酸飲料とか、コーヒーとか、適当に買い集めてレジに向かう。…!!??、あ、ココ、レジ袋ない店だ!。母といっしょに来ていればエコバッグがあったものの、ウッカリしてたなぁ。

…で、仕方なく買ったのが上の画のレジ袋。「MONOPRIX」ロゴ入り、今となっては良い「思い出の品」である。

ホテルに戻ったら母は起きていて、さすがに夕食をどうするか気にかけていた。ところがどっこい、父はまだまだ「しっかり」寝ている、とても起きそうにない。母に先ほど寄った「モノプリ」が22:00に閉店することを教えると、軽食でもいいから買い出しに行こう、ってことになり、再度「モノプリ」に行くことになる。最寄りの「モノプリ」はスーパーと言っても規模の小さいもので、惣菜や調理パンは食料品売り場の片隅にオマケ程度にあるくらい。しかも閉店間際で、これといった料理にはありつけず、サンドイッチとか惣菜パンとか数個買うくらいしかできなかった。…ということで、残念ながらとても質素なパリ最後の晩餐となってしまった、ガックシ。

 

翌日、帰りの飛行機は行きと同じエアーフランスで、AF0276便、13:35シャルル・ドゴール・空港発→8:20成田着。自分1人であれば安価で時間も確実な鉄道(メトロ→"シャトレ・レ・アル駅"か"北駅"でRER-B腺)を使う。けだし、重たいトランクで広い駅構内を歩くのも、また「くたびれさせてしまう」ので、車で移動するのがベストだと考えた。コンシェルジュに尋ねてみたらホテルから空港まで直行するシャトルバスがあることがわかり、前日の夜、親が寝ている間に予約しておいた。

シャトルバスのホテル出発は10:40で、朝食を遅めにとっても中途半端に時間が空いてしまった。欲張って近場の観光地のオペラ・ガルニエとかパレ・ロワイヤルに行ってもいいが、じっくり見学することはできない。まぁ、慌てることもない…、ゆっくりシャワーを浴びたり、念入りに荷支度をしたり3人それぞれ思い思いに動いていたらあっという間に過ぎてしまうパリの朝であった。

シャトルバスはフランス入国時の「自分たちだけの」送迎バスではなく、ノルマンディ・ホテルがスタート地点の乗り合いバスであった。バスといっても、大きい「箱バン」で、運転手を含め9人乗りくらいのサイズ。それでも出発してから4件くらいパリ市内のホテルに寄っては予約客を拾っていくので、市外に出た頃には満席であった。

不愛想な運転手さんだったけれど、ちゃんと乗る飛行機の最寄りのゲートの近くで降ろしてくれて、空港内で迷子になることはなかった。いちばん不安だったのは搭乗手続き。行きの飛行機の時は、だいぶんマゴついたのだが、今回は無事にチケットも荷札も発券することができて、…ホッッゥ。その後、飛行機に乗る前に軽く食事をしたかったので、レストラン街へ向かう。とはいえ、ルーヴル宮のフードコートみたいなものはなく、日本でも見慣れているスターバックスでコーヒーやスコーンやドーナツとかで、大人しく引き上げる。ま、エアーフランスだし、機内の食事を楽しみにしていれば十分だったしね。

上の画は、このパリ旅行でお世話になったBig Bus Parisの画。ピラミッド駅で降りた時に撮影したもの。帰途でデジカメを出したりしまったりするのが億劫だったので、これがパリで撮影した最後の写真となった。

…、そして持って帰っちゃったんだな。Big Bus Parisのイヤホン。1人暮らしのアパートで、わざわざテレビを消音させてまで視たり聴いたりすることは…うぅん、なかなかないな。

 

帰国後、とにかく真っ直ぐ自宅へ向かう。JR成田空港駅で両親の藤枝まで2人分と私の浜松まで1人分の乗車券、JR成田空港駅~東京駅の成田エクスプレス3人分、東海道新幹線は東京~静岡間が2人分、東京~浜松間1人分。またしても父に電車代を甘えてしまった。

次から次へと変貌する東京駅。無論キッチン・ストリートで食事をとるのが目的で東京駅の乗換にしたのだが、さぁどこに入ろうかなぁ…。この時点で:11:30頃、ちょうどいい昼食の時間帯で、寿司、トンカツとか、博多ラーメンとか、釜揚げうどん、とか…5日間だけの旅行だったのに日本食に囲まれているだけでウキウキ。個人的には「うに屋のあまごころ」に惹かれたのだけれど、入店したのは「たけがみ一徹そば」。そば御膳など定食の他に、日本酒と少し肴を添えて…。反省会でもないが、オープンバスが良かった、とか、終始天気に恵まれて良かった、とか、歩き疲れたけれど、3人そろって「一生良い思い出となる」家族旅行になった。

JTBへ短期間飛び込みで旅行プランの相談、せっかくの渡仏なのに贅沢にパリだけで4日の滞在…現地パリでも自由行動は気まぐれで行き当たりばったり、それでも両親はたいそう喜んでくれた。アラフォー独身、この歳になって、初めて親孝行らしいことをすることができたと思う。

 

今回の旅行の「自分への」おみやげ。上述したモノプリのエコバッグやうっかり持って帰った「Big Bus Paris」のイヤホンもあるが、念願のオランジュリー美術館で購入したポストカードは大事に持っていたい。

モネの「睡蓮」の画のポストカード3枚。

またしてもモネの「睡蓮」で、ジャケット(カバー)のみプリントされているA5サイズのノート。

最後はルノワールの「ピアノに寄る少女たち」。やっぱり好きな画だ。絵画を鑑賞した思い出をかみしめるとともに、もう一度ちゃんとピアノに向き合いたくなった。

これは2000年のパリ旅行でルーヴル美術館のお土産売り場で購入したガイドブック。重たい専門的な美術本だが、このとめどない絵画の名作群との出会いをおさらいするのに非常に役に立った。

このパリ旅行紀、約3ヶ月も書きためてしまった。つらつらと建物や絵画や彫刻についてウンチクを並べ、実に他愛もない感情や想像も押しつけまくり、大長編となってしまった…(;''∀'')(-_-;)。奇跡的に8日間、ブログを読んでいただいた皆様、誠にありがとうございました。