※映画 しあわせのパン 公式サイトより
http://shiawase-pan.asmik-ace.co.jp/index.html
3年前の今日。
誰もが想像もしなかった日が訪れた。
私は、そのとき営業に出ていて、出先で被災した。
でも、最初はいったい何が起こったのか理解できなかった。
自分の体が疲れていてめまいでふらついたのかと思ったぐらい、
ふつうには立っていられない、ひどい船酔いのような、そんな状態だった。
その時刻 3月11日 午後14:46
ちょうど電車を降りたところで、改札を抜けようと歩いていたときだった。
体が大きく傾いて、ふと上のほうを見たら、吊り時計が、まるで振り子時計のように大きく動いていたのを、はっきりと覚えている。
しばらくして、友人のツイッターで、その地震は「東日本大震災」であったことを知る。
家にすぐには、帰れなかった。電車が止まってしまったから。
家族や会社に連絡がついたのも、深夜になってからだった。
運よく泊まるところは見つけられたものの、その部屋のTVに映し出される風景は、リアルすぎて逆にリアルを感じることが出来なかった。
本当に現実に起こっていることなの?
間違って映画のチャンネルをつけた?
何度も何度も流れる緊急速報。
その夜は横にはなっていたものの、一睡もできなかったのを記憶している。
翌朝、電車が動き、家に帰り、家族も猫も無事だったことに安堵した。
東北の惨状に心を痛めつつ、こちらはこちらで物流が滞り、食料品などもあまり流通しなくなってきていた。
家にあったのは、少しばかりのお米と、試作用にとってあった小麦粉。
このときは、まだパン教室など開業はしていなくて、会社員で働きつつ、家でパンの試作調整をする日々をすごしていた。
母に連絡を取り、パンなどがまったく手にはいらなくなったと聞いた。
彼女が働いている産婦人科でも、手に入らないということで、大変そうだった。
このとき、とにかく、家にある粉を全部使い切るぐらいの勢いで、毎日パンを焼いて焼いて、
ある程度の量になったら、母と母の勤める産婦人科にパンを送って送って、を繰り返した。
このとき、パンの仕事に携わって初めて、自分にパンを焼ける技術があってよかった、と心から感謝した。
もちろん送ったパンは、産婦人科の皆さんにも感謝され、みなさんの気持ちを落ち着かせて、勇気つけることが出来たらしい。
このときほど
「誰かのためにパンをつくりたい」
と強く感じたことは無かった。
祈りをこめて、パンを焼く。送る。パンを焼く。送る。
直接は東北には届けられなかったけれど、東北の人たちのことも祈念した。
”少しでも希望が持てるように、前に進めるように” 祈りをこめて。
”しあわせのパン”
そういう名前のパンを作ることがあったなら、きっとあのときのパンはまさにそのパンだった。
大切なだれかに思いと勇気が届きますように。
本日 3月11日 午後14:46
作業の手を止めて、パンを片手に黙祷を捧げた。
3・11 復興への道のりはまだまだ続く。
そして私は、祈りをこめて 「しあわせのパン」を焼く。