手からはじまる『手医』物語~上手は手が上?下手は手が下?~
その手医の名前は、安倍吽馬易(あべのうんめい)という。
手医とは手にまつわる、いろいろな身体の不具合の専門家のことです。
足医(足病医)という足にまつわる、いろいろな身体の専門家がいることは知っている方もいらっしゃるかもしれません。
馬医という馬にまつわるいろいろな馬の専門家がいたことは知っているかもしれません。
実は、手に関しても同じような専門家がいることを知っていますか?
その専門家が呼ばれている通称、それが、『手医』、この物語の主人公であります。
(注:この物語はフィクションであり、名称、その他、すべて架空の人物、物、場所であります。)
「上手は手が上?下手は手が下?」
上手(じょうず)と下手(へた)、いろいろな語源があるようです。
舞台の東側を上手(かみて)、西側を下手(しもて)という。
舞台は一般的に南向きに立てられます。
これには、風水などの教えもあってなのですが、だいたい、南向きに立てられますね。
また、囲碁の7段以上の名人を上手(じょうず・うわて)と云ったという話もあります。
下手(へた)はその逆として使われるようになった。
手という言葉には、技術や技量という意味もあるようです。
手と云う言葉を大切にしている吽馬易(ウンメイ)にとって、とても興味深い言葉のようです。
そこで、吽馬易(ウンメイ)が弟子たちに質問します。
吽馬易(ウンメイ):「上手になるにはどうしたらいいですか?」
弟子(山田):「上手になるにはどうしたらいいか?」
弟子(山下):「上手っていうことがどんな状態なのかがわからないです。」
弟子(川守):「上手って、吽馬易(ウンメイ)先生は、どう思われているのですか?」
吽馬易(ウンメイ):「上手とは、それぞれの基準があります。」
弟子(山田):「それぞれの基準?」
吽馬易(ウンメイ):「そう、それぞれの目指すところです。」
弟子(山下):「上手の私なりの基準ってことですか?」
吽馬易(ウンメイ):「そう、自分なりの基準です。」
弟子(川守):「基準?吽馬易(ウンメイ)先生の基準について教えていただけますか?」
吽馬易(ウンメイ):「私の基準は、上手とは、当たり前にできる自分の普通がどの水準にあるか?を常に問うことです。」
弟子(川守):「自分が普通にできるとは、それが、実力ということですね。」
吽馬易(ウンメイ):「頑張らないと出来ないことはそれは、自分の非日常を作り出しているんですね。」
弟子(山下):「頑張ってなんとかできたことは、自分の実力ではないということですか?」
吽馬易(ウンメイ):「実力ですよ。しかしながら、コンスタントに出せる実力ではないのです。自分の能力の可能性の一端です。」
弟子(川守):「出来るということは、日常で出来ていることということですか?」
弟子(山田):「当たり前にできることが基準ってことですね。」
吽馬易(ウンメイ):「出来ることとは、頑張らなくても自然とできること。歩くことを頑張りますか?無意識で歩いていませんか?」
弟子(川守):「無意識で勝手にやってしまっていること、これができることってことですね。」
弟子(山田):「て、ことは、上手って云われるのは、なかなか複雑な気持ちになってしまいます。」
弟子(山下):「自然といつもやっていることについて、周りから見て上手とは云われないわけで、上手と云われるのは、いつもの自分よりも何かしら上手くできているから、云われるのかもしれないですし・・・。」
弟子(川守):「だから、それぞれの基準なんですね。」
弟子(山下):「サッカー好きなので、例えると、メッシのプレー見て上手って云わないですよね。むしろ、ミスしたり、いつものキレのあるプレーをしてない時に、逆に調子悪そうっていいますよね。それって、メッシのプレーの基準を勝手に観ているこちら側が決めているわけです。」
弟子(山田):「基準って言葉も難しいですね。それも自分の基準?誰かの基準?その辺りも含めて上手になるとはどういうことか?ですね。」
吽馬易(ウンメイ):「いい感じで、考察が深まっていますね。」
弟子(川守):「基準ってどうやって決まるのですか?」
弟子(山田):「私も自分の基準をどう決めたらいいか?知りたいです。」
弟子(山下):「私もです。」
吽馬易(ウンメイ):「基準は誰が決めるのか?まず、それを考えてみることです。」
弟子(山田):「誰が、決めるか?それは自分自身?ですね。」
弟子(山下):「自分自身で自分の基準を決める・・・。どう決めたらいいのでしょうか?」
弟子(川守):「自分自身で、自分の基準を決めるということについて、その基準で満足するかどうか、なのでしょうか?」
少し、間を置いて、吽馬易(ウンメイ)、弟子たちの眼を1人1人、見つめてから
吽馬易(ウンメイ):「満足とも違う、自分の基準はどうやって決めるか?それは、自分自身のなりたい未来の自分の状態ですよ。」
続けて
吽馬易(ウンメイ):「自分が望む未来のゴール(目標)を達成している自分がいて、その自分からみた自己価値や自己評価として、自分自身の基準が決まるんです。これをコーチングではエフィカシーといいます。今の自分がどんな状態かではなく、未来の自分は必ずゴールを達成している。その達成している実力を備えている自分を基準にするんです。そして、その基準は今、この瞬間に体現できるんですよ。」
弟子(山田):「自分の目標が決まらないと基準は決まらないということですね。」
弟子(山下):「未来の自分、目標達成している自分・・・。」
弟子(川守):「誰かの基準ではなく、未来の自分からみた基準。」
吽馬易(ウンメイ):「まずは、ゴール設定です。」
吽馬易(ウンメイ):「ゴール(目標)は、どんどん変わってもいいです。なので、誰かに云う必要もありません。私には云っても大丈夫ですが・・・。」
弟子(山田):「目標、決めたいと思います。。」
弟子(山下):「自分自身の目標、吽馬易(ウンメイ)先生のところで学ぶことなんだけどなぁ・・・。」
弟子(川守):「目標設定ですね。」
吽馬易(ウンメイ):「私のところで学ぶことも目標のひとつならもう叶っているのではないですか?それでは、目標を変えないといけないですね。目標はたくさんあっていいです。ひとつに絞る必要はないです。たくさん、いろんな分野やカテゴリーについて目標を設定してほしいです。」
弟子(山田):「いろいろな分野やカテゴリーについて目標設定。」
弟子(山下):「たしかにもう、目標ある意味達成していると云えますね。」
弟子(川守):「目標設定。もう一度、考えてみます。」
吽馬易(ウンメイ):「まずは、目標設定が上手にできるようになりたいですね。」
吽馬易(ウンメイ):「いつでも明確にしておくことです。それぞれのテーマや分野ごとに、目標や目的を明確にしておくんです。これが大事です。」
弟子(山下):「いつも最低5個以上のカテゴリーの目標を明確にもっておくようにって、云われてました。」
弟子(川守):「目標、いつもそこなのですね。」
上手も下手も何かと比べている、何かの基準で判断している。
その基準を自分で決めて、自分で判断したいですね。
(この物語は、すべてフィクションです。登場する人物、その他、すべて架空のものです。ただし、内容に関する記述については、できる限り、実際に経験したエピソードを元にした内容でおります。)
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