シンプルな暮らしをめざして
サロン☆パレット なおみんです
引っ越しまで数日となりました
【シンプルな暮らしをめざして】
これまでの経緯
↓ ↓
【シンプルな暮らしをめざして3】ありえない豊かさがやってきた
人生初のマンション暮らしがあまりに快適で
寂しい
切ない
戻りたくない
なんて夫婦して言ってたけど
いつまでもそんなことは言っておられず
気持ちを切り替えて箱詰め作業をやり出し
そういえば
こっちにきて暇な時間にやろう、と持ってきた
書類や過去の手紙などやっぱりできなかった~
と思ったけど
いやいや、ここで諦めたらきっと一生できない!
やるなら今だ!と自分に喝を入れてスタート
書類の整理は面倒だったけど何とか終了
そして時間がかかるであろう手紙とハガキの処分
これまでも断捨離で
何度かに分けて処分してきたけど
最後に残っていたのは
過去の一番古い10代の頃の物
ホコリや紙のダニ?などを防ぐ為
マスク、手袋、めがねでスタート
こんな綺麗なポストカードが出てきたり
一番古いハガキは、なんと7円だった!
昔から書くことが大好きというか
書くことで自分の心を解放したり整理していたんだろうね
日記はもちろん
私にとって手紙も大切な居場所だったんだと思う
小学生の頃
引っ越していったお友達と文通をしたのが始まりで
勉強はどう?とか
気になる子がいるとか
文化祭や体育祭のことなど
何年続いたかな~
結局、高校が同じになって
会えるようになったらそれもなくなり・・・
やっぱり手紙だからこそ
話せることってあるのかな
当時は封筒の大きさに合わせて
こんな変わった折り方もしていたみたい
中学の頃
「全国の人と友達になろう」
というのが流行っていて
送られてきたハガキには
確か5人の住所と名前が書かれていて
5の人は自分の知り合いで
知らない1〜4までの人に手紙を出すというもの
それと同じ文面で
新たに5人にハガキを出しましょう
そうすると○日後には
何百通のお手紙が届きます
みたいな感じだったかな
幸福の手紙 とか
不幸の手紙 とか
いわゆるチェーンメール系かな
でも私は結構好きだった
全く知らない人からお手紙がきて
私自身も「はじめまして」とお手紙を出すんだけど
返事がこない人
数回で終わる人もいたけど
その中でとても気があった二人とは
ずーっと長い間文通していたな~
確か結婚するまで
高校生の頃はその二人に
とても深い内容を書いてたと思う
一人は三重県
一人は姫路市
なんと!二人とも会ってるんだよね
三重のお友達は
お互いの家に遊びに行ってるし
姫路市のお友達の家には
私一人で新幹線に乗って行った記憶がある
姫路城も案内してもらってお泊まりしたんだよね
当時よくそんな度胸があったよな~と
自分でも信じられないけど
その他にも面白いエピソードが色々あって
書き始めたらキリがないから
この辺でやめとくけど笑
手紙と言えば
こんなメモ書きまで全部残してあった
主に高校生の頃
授業中に○○さんに回してください
なんてこんな手紙が飛び交っていて
よく先生に見つからなかったよね
もしかして気づいていたのかな。。。
授業がつまらん、とか
お腹空いた~とか
今日帰りに○○寄ってこ、とか
どーでもいいようなくだらん内容がほとんどだったけど
今のようにネットもスマホもない時代
電話は家族に聞かれるし
手紙って唯一のコミュニケーションツールで
現在のLINEみたいな感じだったんかな
文通をはじめ色んなお手紙があったけど
その中でもダントツ多かったのが宝塚関連
中3の時、テレビで宝塚歌劇のベルばらを観て以来
宝塚&安奈淳さまの熱狂的なファンになり
完全にハマってしまった私は
高校生の頃、バイト代は全て宝塚につぎ込み
近鉄特急~阪急宝塚線で何度通ったことか
そこで出会ってお友達になり文通を始め
情報交換したり写真など送り合ったり
地元でも同じファンだとすぐに意気投合して
イベントなど連絡とりあって一緒に行ってたわ
そういうのも全て手紙でやりとりしてたっけ
一ヶ月の間にどれだけ手紙を書いてたんかな
多分相当な数だったんだろうな
そういう意味で切手は貴重だった
宝塚「ふぁん紙」というのがあって
ファン通しの交流の場になっていたんだけど
そこで私が送った
「ミキちゃん関連のものなら何でもください
私の持ってる物もたくさんあるので送りますよ」
みたいなことを掲載されてから
*ミキちゃんとは安奈淳の愛称
かなりの返事がきまして
お互いに写真を送りあい
気に入った写真は残し後は返送する
もしくは
何番と何番をくださいと一旦返却して
焼き増しして再び送る
みたいなスタイルだったと思う
その中で一人
はじめましての人に写真を送ったのに何の音さたもなく・・
「宛所に尋ねあたりません」と返送されてきたハガキが一通
そこには
あなたに送るのは今回で3回目です
大事な写真を40枚も送ったのに
いらないなら返送してほしい
と切々と訴える私の文面が書かれていた
このことは今でも何となく覚えていて
よほど悔しいというかショックだったんだろうね
宝塚ファンの人で悪い人はいない
と信じてたんだと思う
その当時、写真の焼き増しって
1枚50円か60円もしてて
40枚だと2千円以上
高校生の私にとっては大金だったと思う
それまでは信用で
初めての人でも先に写真を送っていたから
その経験は痛かった
まぁそんなのも出てきたけど悲しい思い出はこれくらいで
その他は
宝塚で好きな人の順番とか(1位~10位)
この演目のここがよかった、とか
今度いつ観に行く?とか
チケットどうする、とか
今で言う「推し活」だよね
高校生の時にまさかの
安奈淳退団の新聞記事を見て
大大大ショックを受け
朝、同じく宝塚好きの友達に会った時
ミキちゃん、宝塚辞めるって・・・
と言って、人目をはばからずワンワン泣いた記憶がある
私の青春時代は
宝塚というより
安奈淳さま一筋だったな~
で、驚くことに
その安奈淳さまからの貴重な年賀状もあった!
(きっとファンクラブからだろうけど)
その他に応援してた人からも
当時は、スターさんでもサインをしてくれたり
写真を撮るとポーズをしてくれたり
お手紙に返事をくれる人もいました
それと
どこで情報を手にいれたかわからないけど
劇団員の人の住所や電話番号など知ってる人もいて
私は安奈淳さまの自宅の住所や電話番号も教えてもらい
お誕生日に電話かけたこともあったな
本人はいなくて、お母さんらしき人が出たけど。。
お誕生日おめでとうございます♡
はい、伝えときますって
すごい度胸 笑
宝塚に関して語り出したらキリがないので
このへんで・・・
そういえば
こんな年賀状も出てきた
なんと、主人から
付き合ってた頃なのに文章固いね 笑