ミキのつれづれ思うまま♪ -9ページ目

ミキのつれづれ思うまま♪

日々出会い流れてゆくよしなしごとを... メッタ切りするかも^^;;

こんにちは、ご無沙汰しています、ミキです(^^)

暖冬かと思っていたら春は足踏みで、ここのところ寒かったですね。

 

それでも、我が町、そして我が通勤の町にもツバメがやってきました。冬鳥たちがいなくなるな~と寂しかったところにツバメの陽気な歌が聞こえると、ぐっと元気が出ます。

ツバメさん、東南アジアから、はるばるようこそ。日本の皆さんが、どうか子育てを応援してくれますように….*^^*

 

写真は今年お初のうちのツバメさんです。4月3日、出勤前の6時20分に撮影。立派な燕尾のオスです。昨夜は、落ちるフンを受ける新聞紙を敷いて、大家さんに嫌われないよう準備をしました。

 

昨年は、一番子(最初のヒナたち)がカラスにやられてしまったので、カラスよけの紐を張りました。 これをツバメ自身が怖がって巣を放棄したらどうしようと少々心配でしたが、でも、味を占めたカラスに二番子(再トライのヒナや卵たち)まで奪われるわけにはいきませんでしたから。(紐は、ツバメは通れるけれどカラスは通れない間隔で、また、巣に既に卵やヒナがいることがわかってから張ったほうが良いです。まだ空っぽの時だと、それこそ巣を放棄してしまうかもしれませんので。)

今年も、ツバメ両親が落ち着いて巣の中にヒナが孵化したら、紐を張った方が良いだろうなと考えています。

そして、親のいない時に手早くやらないと、親を警戒させてしまいます。うちは紐を張ったあとも変わらずに親が来てヒナたちにエサを与え、そしてたまに親が紐に止まっていたりして、ああ、受け入れてくれたのだなあとうれしくなりました。この二番子はちゃんと成長し、3羽、無事に巣立ってくれました。

 

また、毎年、巣の下に透明ビニール傘を吊ってくれるお店もあります。

これは場所を選びますが、とてもいいアイディアだと思うのです。落ちてくる糞や泥除けになりますし、何年か前は、落ちてしまったヒナも、この傘の中で引き続き親が餌をやり続け、無事に巣立ちました。それにはあまり小さいヒナではダメですけれどね。(写真は、上部に昨年の巣の残骸が残っています。)

 

小さいヒナが落ちたときは、バスケットのようなものにティッシュペーパーなどを敷き詰め、巣の下に吊ってあげていました。最近の建物は防汚加工のせいか、泥でできた巣は、落ちて壊れてしまいやすいのです。はるかかなた何千キロもこの小さい身体で、子を産み育てるために日本まで旅してきたというのに、ツバメも住宅難で、可哀想です。なんとか頑張って、多くの子供たちとまた南国に帰れるようにしてあげたいです。

 

さて、このブログで何度か、小鳥の部屋のエサ、サプリなどが、飼い鳥たちにとても有用である話を書いてきました。

その思いは今でも変わりませんし、うちの二羽は相変わらずすべての食べ物を小鳥の部屋のもので賄っており、とても健康で生き生きしています。

ただ、ブログでも触れてきた小鳥の部屋岡山クラブが、残念なことに3月で閉店し、代わりに?札幌クラブが再開するようなのですが、今のところ具体的な日程などはわかっていません。


 (ミキ註:  2020年2月現在、小鳥の部屋クラブは全て閉店し、小鳥の部屋USAも、サイトは普段通りにあるものの、機能していないようです。もし商品が欲しい方は、注文入金される前にメールでやり取りし、出荷予定などを確認されてからの方がよいと思います。メール返信が来ないことが多々あります。)


小鳥の部屋のシード類、特に「命の粟穂」はとても良いものですが、昨年10月に日本側の植物検疫が強化され、決められた証明書の添付が課せられたりいろいろ難しいようで、現在のところ、非常に入手困難になってしまいました。これまた大切なサプリである「ライフパウダー」など、買えるものもあるのですが、今はアメリカの本店に直接注文し、品物を海外から送ってもらわなくてはならないため、時間がかかったり、無事に届くまで気を揉んだりするかも知れません。本店のオーナーは日本人女性ですから言葉の問題はありませんし、飼っている鳥さんに病気や問題があれば、変わらず相談に乗ってくださるのですが。

 

幸いにして私は、昨年夏に本店より沢山購入していたのを冷凍してあったり、粟穂もまだストックがあったりでそれを大切に食べさせていますが、これが切れたらどうしよう?と、私自身も悩んでいるところです。


             🌱 🌱 🌱 🌱 🌱


季節が変わって、太陽の光が真上から差すようになってきました。冬の間は光がかなり斜めで部屋の中まで入ってくるため、カゴの置き場所を考えればそのまま日光浴ができたのですが(ガラス越しでは効果なしと聞きましたが、うちのガラスはUVを通すことを確認済み、笑)、今はもう、毎朝タイマーでUVライトをつけて出勤してきています。

 

 

 

もう少ししたら、二羽をキャリーに入れて、近くの公園に散歩にでも行きますかね(*^^*

 

こんにちは、ミキです。
少し春めいてきましたね。

今季は冬鳥の渡ってくるのが少なくて…、このまま春になって旅立ちかと思うと、なんだかさみしいです。渡ってくる、元の場所に食料が豊富にあって、移動する必要がなかったのかな? うちの麦(セキセイインコ)の、半分以下、下手すれば1/10の重さしかないような小さな鳥(4gとか)までもが、この寒い中を生きて、移動していきます。感動です。遠路はるばる旅して来てくれた鳥たちには、元気で帰っていってほしいです。
来シーズンまた会えるといいね(*^^*)

ときに、私が好きな商品や店って、なくなることがかなり多いと常々感じているのですが…、割に近所で、よくモーニングを食べに来ていたファミレスが、おもむろに閉店することになりました。
ほんともう、ショックです。助かっていたのになぁ。良い店、美味しい店は、地域の財産だと感じています。この店は、私がバードウォッチングを本格的に始めた3年あまり前、夜明け前の調整池を見に行った帰りなど、凍えた身体を温めに、よく朝食を摂っていった店でした。




名残惜しい思いで今日もブランチをしていると、目の前のボックスシートに、高齢の男性(80代くらいですかねえ)と、その息子と思しき男性(60前くらい)が、食事をしているのが見えました。
「倒さないように、引っ掛けないように気をつけてね」という息子(勝手にそう呼びます)の言葉にふと目を上げると、食事が終わったお父様(勝手にそう呼ぶ、笑)は、いちごパフェを注文なさったようです。そのトールグラスを前にして、確かに少し危なげに見えました。
私はこの時、残念だなあと思って聞いていました。なぜかと言うと、「倒す、引っ掛ける」という言葉が直截的過ぎて、もしかしたら暗示のように、却って気になってしまい、フラフラと誘導されて、本当にそうなってしまうかも、と感じたからです。
少し思考が必要ですが、別の、もっと強迫的ではない言葉で、「そのグラス、背が高いから、気をつけてね」などという言い方はどうかな、なんて、考えていました。(まあ、こう言っちゃナンですが、我が身を振り返ると、年取ってきて感覚もニブくなってきているので(笑)、きっぱりはっきり言われた方が良い場合もあります。)
結果から言うとお父様は無事に見事いちごパフェをクリアされて、お帰りになったようでした。よかった、よかった(笑)

これに限らず、私が嫌だなと感じることに、ただ型通りの挨拶ですが、「寒いから風邪をひかないように」があります。元気にしているときでも、もしかしたら体調不安定で少々危なげな時でも、どちらでも聞きたくない言葉です。無神経だと感じます。自分は一生懸命に体調の調整と安定をはかっているのに、そこに「風邪」という、ダイレクトで強力なキーワードをぶち込まれると、それだけで「風邪」に気が持っていかれます。せっかく忘れて暮らしているのに、それを気にするようになってしまいます。そういう時、まったく配慮がないな、暴力的だな、と、忌々しく感じます。こういう時私は、「寒いから暖かくして過ごしてね」と言うようにしています。そうすると、心も体も「暖かい」ことをイメージして、なんだかポカポカして来ませんか?

世の中日常生活、小さいようで、こういうことってたくさんあります。言葉を誰かに投げると、それには質量があって、きちんと相手の胸に届き、それなりの重さを持ってじわじわと効力を発揮します。言葉はやはり「言霊」なのです。この一言で誰かの一日を、あるいは数日、もっと長い期間を、まるでダメなものにしたり、あるいは勇気づけることのできる力を持つと、常々感じています。

どうせなら気持ちよく、前向きに暮らせる力になりたいですね。自分も、相手にも。相手にしたことはすべて自分に返ってきますから、相手も自分と同じだと思い、自分が掛けられたら嬉しい言葉をかけるべきです。

ほんの少しの配慮。
一瞬考えてから、みんなを活かすような、気持ちの良い言葉を発するように心がけていきたいと思います (^^♪

 

(上の写真は昨年3月、静岡県で会えたとらりん)

 

月30日の朝、席について同僚と話していたら、誰かの携帯がぶーぶー唸っている。

はて? 誰の携帯かな、さっきからずいぶん鳴っているようだけれど。

まさか自分のだとは思わずにパンを食べながらなおも話していると、今度はデスクの電話が鳴った。

「ミキさん? 僕、神田ですけど。あのね、小鳥がガラスにぶつかってお亡くなりになったの。いまそっちに向かっているから、受け入れ態勢を取ってもらえると」

え?もう向かっている? あたふたと残りのパンを口に押し込み、とりあえず手拭きの紙タオルとティッシュを数枚重ねて、ドアの外に出るが早いか、もう彼はそこまで歩いてきていた。

新聞紙を担架のようにして、運んできてくれたのを見て、「小鳥」というほど小さくはなさそうだと思った。

ああ、どうもありがとう、と、開けてみてびっくり。

「とらりん!!!」

私がこの冬、会いたくて、まだ会えていない、冬鳥の野鳥だった。ハトよりは一回り小さいが、ヒヨドリよりはふっくらしている。先週もこの子に会いたくて、目撃情報のある林をカメラ抱えて歩いたばかりだった。

とらりん……、なんで、こんなことに…….生きて会いたかったね……

貸して、と、手に取ってみると、まだ温かかった。

 

温かかったけれど、くちばしが折れている。出血はない。ふかふかの胸に鼻を近づけると、日向のような、いいにおいがした。

片目はつぶっているが、もう片方の目は、開いていた。目が乾かないうちに閉じようと、指でまぶたを合わせる。なんとか、そのまま保ってくれそうだった。

背中の羽をめくってみると、赤い爪痕、ひっかき傷があった。何かに掴まれたものらしい。そのあたりはごっそり羽が抜けて、いわゆる「鳥肌」が露出していた。

神田さんは一部始終を見ていたらしい。

「すごい音がしてね。建物入り口のガラスドアに激突したんだよ。その時、もう一羽、他の鳥が追っているようだった。ケケケッと特徴的な声で鳴いて、この子がドアに激突する間一髪手前のところでぐーーんっと上昇して、その鳥は行ってしまった。死を悲しんでいる声には聞こえなかったな」

「建物から、なんだなんだって人々が顔をのぞかせて、ハトか?って声も聞こえ、中には清掃の係の人に電話して、もうビニール袋を持ってきてくれた人までいたんだけど(それに入れられたら、もう<ゴミ>になっちゃうでしょう)、僕は、これはミキさんのところに運んだ方がいいと思って、新聞紙もらって、あっちに鳥に詳しい人がいるからって、みんなを制して、連れてきた。この子は、鳥を愛しているミキさんに葬ってもらうのが幸せだと思って」

 

話から、恐らくは猛禽に襲われて、食べられるところだったのだろうと思った。その辺りに、小さな猛禽のチョウゲンボウやツミがいるのは知っているけれど、トラツグミは大きめなので、彼らの手には余ると思った。すると、オオタカか?

オオタカに「がしっ」と捕まれたら、被捕食者である鳥は、大変なショックだろう。その中で、最後の抵抗を試みて、爪から逃れおおせた。そこまでは良かったのだけれど、勢いづいて飛んだ先にガラスのドアがあった。まず、せっかく逃げても、掴まれたショックや傷から、そのまま生き長らえたかどうかはわからない。でも、逃げたその先で激突死してしまった。そこにたまたま神田さんが居合わせていて、私のところに連れてきてくれたのは、悲しくも有難いけれど、猛禽にとっては、反撃されたらやられる危険と隣り合わせの、命賭けの狩りをして得た、大切な食料を失ったことになる。なんとなく、私は、死んでしまったとらりんにも、獲物を失った猛禽にも申し訳ない気持ちになった。命の連鎖としては、犬死にだ。私には埋葬してあげることしかできない。

 

ただ、もうひとつあって、実は私は羽屋の端くれだ。羽屋とは、羽が好きで集めている人のこと。私は下手の横好きで、自分で拾った羽や人から拾ってもらった羽を集めて、羽図鑑と照らし合わせ、これはどの鳥のどこの羽、なんてやって喜んで、愛でている程度だが、鳥の遺骸が落ちていて、その状態が良ければ、少し抜かせてもらうこともある。もちろん、私はただ「パーツとしての羽が好き」なだけの羽屋ではなく、もともと鳥を好きで自分もインコたちと共に暮らしているくらいなので、遺骸の尊厳を損ねるような抜き方はしない。あくまでも、控えめに、である。そして抜かせてもらった後は、大切に埋葬する。

羽屋なら、「翼標本」と言って、断翼してそのまま翼の一枚ごと保存する方法もあるけれど、私などには、とんでもない。初めてカワセミの翼標本を見て、手にした時、「美しい翼。でも、この翼の持ち主は、とうに死んでいる」と、ゾゾーッと立ちすくんでしまったものだった。でも、翼標本にしたい気持ちもわかる。それなら羽の並びが一目瞭然だし、中には抜きにくい羽もあるのだ。引っ張ればすぐに抜ける風切り羽、触っただけで抜けてしまうお腹の羽などもあるけれど、翼の一番外側付近の初列雨覆(しょれつあまおおい)と、小翼羽(しょうよくう)と呼ぶ小さな羽は、かなり力を込めても抜けなかった。それ以上やると骨格や肉を傷めそうだったので、私はあきらめた。

妙な言い方であるが、運ばれた時にまだ温かかったとらりんの遺骸は、超新鮮な遺骸であった。体重さえ測れたら職場の周囲でそのまま埋めてしまうつもりだったけれど、秤がなかった。それで、いったん家に連れて帰ってきた(140gだった)。

このあたり、ただの羽屋であれば、単に自分と遺骸との間の衛生にだけ気を付ければよいのだけれど、私には、二羽のインコが同居している。なにか、野鳥から病気や虫を移すようなことがあってはいけないと、細心の注意を払う。以前、同じく激突死して、超新鮮な遺骸を手元に一時保管した知人が、様々な虫が、宿主の死を察してわらわらと出てきたという話を聞いていたが、とらりんはそれほどひどいこともなく、ダニが数匹観察されただけで、きれいだった。季節によるのかもしれない。

今回の死因ははっきりしており、例えば道端に死んでいて「鳥インフルか!?」というような状況ではないので、とりあえずうちのインコたちとは別室で、暖房も入れずに、虫が出たらすぐわかるよう無地の大きな紙を広げ、その上にとらりんを置いて、体の構造、肉の付き方、翼や足などをよくよく観察させていただいた。いつも愛でている野鳥。普通なら、触れることなど、まずできない。悲しいけれど、感激だった。丁重に見せていただく。そして、いくらかの羽を抜いた。

 

我が家でインコたちと10年近く暮らしていて、換羽のたびに様々な羽が抜ける。中には真ったいらでペッタンコの羽もあり、これはどこの部分なのかなと、不思議だった。長く一緒にいても、わからない羽がいくつもある。それが、今回、とらりんをよくよく見せてもらったことで、納得できる発見がたくさんあった。生きている我が子たちは、私にこんな風に触らせてくれはしない。

 

欲しい羽を抜かせてもらい、心ゆくまで見せていただいた。一応、羽図鑑を見て、見落としはないか確認しようかなとも思ったけれど、今日はもう、ここまでの驚きや、死んでしまったとらりんに対する心の痛みや、遺骸を扱う緊張などで疲れてしまい、もういいや、充分だ、と思った。今日はお天気が良かったが、明日は昼から雪になるかも知れないと、天気予報が告げていた。雪になったら地面が濡れてしまう。その前に埋葬してあげたかった。

翌朝、一番で、先日私が植えた、マユミの木の根元に埋めた。

本当は野鳥たちが多くやってくる用水路の斜面に葬りたかったが、そこは落ち葉がいっぱいで、掘ってもどこからが土なのか心もとなかったし、また、たくさんの植物の根で地面が硬く、シャベルが入らなかった。困って探してみたけれど、他に地面の土の柔らかそうなところがなかった。

とらりんを埋めたら、ほっとした。

生きている姿で会いたかったけど、とらりん、それでも会えてよかった。ありがとう。

 

その晩帰宅して、落ち着いた気持ちで羽図鑑を開いた。

と、そこに、一つの翼に一枚しかない羽のことが載っていた。

手根骨羽 (しゅこんこつう)。初列雨覆と大雨覆の間にある、わかりにくい羽。翼を普段閉じた状態では、見えない。

しまった。 とらりんはもう埋めてしまった。

やっぱり昨晩、とらりんが家にいる間に図鑑を開いて見てみればよかった。

後悔先に立たず。 その夜は、眠りにつくまで「手根骨羽」のことが頭から離れなかった。

どうしようかと思うくらい、気になってしょうがなかった。

ロロと麦を順番に捕まえて翼を開いてみては、「これかな?」と探してみたりした。

二羽はその夜、怒って私のそばに近寄らなかった。

 

どれだけ手根骨羽に執着してしまうかと思ったけれど、翌朝目覚めたら、機嫌のいい太陽の光に記憶も洗われたのか、あまり気にならなくなっていた。

とらりんは、私に、すでに充分過ぎるほどのプレゼントをしてくれた。

これ以上、何を望むだろう。とらりんには、安らかに、穏やかに眠って欲しかった。

とらりん、これまで、何年も生きてきたんだね。きれいな、ふっくらとした、可愛い子だった。とらりんは、私のあこがれ。 死んでしまったのは残念だったけれど、私のところに来てくれて、本当に、ありがとう。連れてきてくれた神田さんにも、心から、ありがとう。神田さんがこの一件に行き合っていなければ、とらりんと私を結び付けてくれるご縁はなかった。

 

今度は生きて、元気な姿で会いましょうね。