世田谷新町OL殺害事件考1 帰宅部 | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
このブログは未解決事件を専門に取り扱っているわけではなく、コンテンツの一つとして接している。その理由は、専門にしてしまうとどうしても数をこなさなければならない部分が出てきてしまい、興味関心の薄いものについても無理矢理に執筆しなければならなくなってしまいがち、だからである。但し、ある程度定期的に記事を出していきたいと云う思いもあって、幾らかストックも持ち合わせている。先日の石井舞ちゃんのものにしてもその一つであった。今回取り上げる世田谷新町OL殺害事件については、8月のお盆休みの辺りにでも出す形で構想しており、その下書きは既に出来上がっている状態にあった。

ところがこの水曜日から「だてレビ」にて本件の取り扱いがあり、どうも二番煎じになりかねない可能性無きにしも非ずと云う状況もあるのかなとも考え、大幅に繰り上げる形で本件に関する記事をこのタイミングにて上げることとした次第である。

本件は深夜の如何にも暗くて狭い路地で発生しているが被害者は普段、もっと広くて明るい人通りのあるルートを帰宅の際は使っていた。それなのに何故、よりにもよってこんな気味悪そうなルートを選択したのか…この点が最大の謎となっているのだが、先に回答してしまうと、この路地の先に国道246号線を渡る歩道橋が存在しており、被害者はそれを用いて自宅のある246の反対側へと向かうつもりだったのだ、と云うことになるものである。

本件は狭い路地の只中にある新築工事現場にて発生したが、桜新町界隈の街の構造と云うものがその発生には非常に大きく作用している。

本件は1999年7月10日深夜(11日未明)に発生した。被害者会社員女性は東急田園都市線(当時は新玉川線)池尻大橋駅近くのコンビニで友人と別れ、深夜0時半前後に桜新町駅に到着した。そして先述の通り、普段とは違うルートで帰宅しているわけだが、それでは反対に、普段はどのルートを用い、何のためにそのルートを選択していたかと云うことがカギとなるわけである。

事件現場、そして被害者宅のある新町は、桜新町の東隣に位置している。桜新町駅周辺は地下鉄となっている田園都市線の旧新玉川線区間の駅の中では最も長閑で雰囲気の良い街並みが広がっている。田園都市線の旧新玉川線区間は基本的に246(玉川通り)の下を走っているのだが、桜新町付近では246から大きく離れ、246の旧道の下を走っていることがその理由である。だから駅周辺の環境・雰囲気はすこぶる良い。しかし駅から離れるとそうではない事態となる場合もある。新町は北から3丁目、246旧道を経て2丁目、そして246を経て1丁目となる。被害者宅のある新町1丁目、その東隣である駒沢4丁目、西隣である深沢8丁目を桜新町駅方向へ歩いていると閑静な住宅街が突如として、交通量の多い大きな通り(246・玉川通り)によって分断されることとなる。しかもその直上には首都高3号線の高架橋が聳え立っている。その圧迫感はかなりのものだ。そんな中で被害者はどのように普段の帰宅ルートを設定していたのか。

ところで帰宅途中には何をしがちだろうか…それは買物である。スーパーやコンビニに立ち寄って買物をする。桜新町駅近くにはスーパーとしてピーコックがある。したがってピーコックで買物を済ませ、そのまま246の旧道を駒沢方向に進み、東電のところで右折をして玉川通りへ向かい、信号を渡って自宅へと至る…これが普段の帰宅ルートであろうと見られている。距離的にも最も合理的なルートだからである。恐らく普段の帰宅ルートを証言した人は、このルートで被害者と被害者宅へと向かったことがあったのだろう。

だが、しかし…である。

246と首都高の存在はこの街を見事に分断させることに貢献しているのだが、住人にとってその分断は視覚面のみに止まらない。246は幹線道路である。したがってこの246を渡るための信号待ちについては長時間を要する場合も生じる。そんなわけで私は、普段被害者が出社時に、信号待ちを避ける狙いから玉川通りを西進し、歩道橋を用いて横断していたものと推察する。出社時は帰宅時と比べて急ぐものである。また買物も特にない。どうしてもと云うなら駅売店や目的地に到着してからコンビニにでも寄れば良いのだ。平素、被害者は、犯行現場のある路地を通って駅へと向かっていた…つまりあの路地は被害者にとってかなり馴染みあるルートだったのではなかろうか。そう考えると、人気のない暗闇の怖さと云うものも、こちらが抱く想像と比較して余りなかったのかもしれない。

<1998年1月発行 ワイドミリオン全東京10,000>

赤線ルート・・・事件当夜の被害者帰宅ルート
黒線ルート・・・普段の帰宅ルート候補A
青線ルート・・・普段の帰宅ルート候補B
赤角丸印・・・歩道橋

ここに今は亡き出版社の手による事件当時に近い時期の地図がある。ピーコックは今もあるのだが、同じ世田谷で起きた世田谷一家殺害事件時の青山学院大学世田谷キャンパス同様、現存しない重要な施設がある。それが青線ルート上にあるサミットストアだ。つまりスーパーはピーコックだけではなかったと云うことだ。サミットストアへは桜新町駅から桜新町を代表する商店街であるサザエさん通りを経て到達することとなる。私は結構、被害者はこちらのルート、つまりはサミットを利用していた可能性と云うものを感じるのだ。それと云うのも、もしピーコックを普段から利用していたのなら、普段はそんなに深夜ではないのだから、事件当夜に使ったルートを使っても決しておかしくはないとも感じるからだ。

ところが、黒線ルートが普段の帰宅ルートであるとの証言が上がってきているのである。どうしたことだろう。これは自分一人の時と友人等を伴う時とでルートが異なったと云うことになるだろう。連れがいるわけだから、道幅は広い方が良い。それから距離は短い方が良い。この、より歩きやすさを追求した二つの要素を合わせると黒線ルート選択が最適解となるものである。したがって青線ルートの選択は有り得ない。が、赤線ルートに関しては狭い路地ではあるが車両の通行は余りなさそうでもあり、選択しそうな趣も漂う。そこを選択しなかったと云うことは、普段の帰宅ルートとして赤線は勿論のこと、黒線をも使っていなかったからこそ、なのではあるまいか。ピーコックとサミットのどちらを使うか、これは好みの問題になってくるが、信号か歩道橋か、と云う選択肢も踏まえれば、加えて、ピーコックから被害者宅までの距離よりもサミットから被害者宅までの距離の方が若干短いことも加味すれば、サザエさん通りの店舗も眺めつつ、サミットを使って帰宅…と云う可能性を感じるところである。黒線ルートは存外使われていなかったのではと見る。

赤線ルートは黒線ルートよりも距離があるが、青線ルートと比較すればかなりの近道だ。そう考えると事件当夜に何故、赤線ルートを用いたのか…その解答がより重層的に見えてくるものでもある。