世田谷新町OL殺害事件考2 闇夜の性戦士 | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
<1998年1月発行 ワイドミリオン全東京10,000>

赤線ルート・・・事件当夜の被害者帰宅ルート
黒線ルート・・・普段の帰宅ルート候補A
青線ルート・・・普段の帰宅ルート候補B
赤角丸印・・・歩道橋

私が最初に抱いた本件に対する漠然としたイメージと云うのは、これは被害者が駅から変な人に尾行されてしまい、その窮余の策として彼を撒くためにこの路地へと入り込んだのだろうと云うものだった。

ところが尾行に気付き、これを撒くにしては、駅からこの路地までの距離が無さすぎるのである。終電の時間帯とは云えどもそこは世田谷区、そして東横線と並んで東急電鉄の屋台骨を支える路線の駅である…それなりにまとまった人間は居る。自分が尾行されていると気付くには人も多過ぎるであろう。したがってそれよりも、前方から変な人が近づいてきたために、彼とのすれ違いを避けようとこの路地へと入った…そちらの方が大いに可能性が高そうな趣がするわけである。ともあれ、前回述べたように、この路地の先に246・玉川通りを渡る歩道橋が存在することが、被害者をこの路地へと誘った最大の理由であるように感ずるところである。東電経由の黒線ルートであれば、246を渡る際に長時間の信号待ちを余儀なくされることとなりかねず、そうなると駅から急ぎ足で引き離したはずの怪しげな人にここで追いつかれる可能性も十分に考えられるわけで、満を持してここから尾行されてしまうとどうにもならぬ事態へと発展しかねず、そうなることを想定するならば、たとえ暗く、狭く、人気のない路地であっても歩道橋で246をクリアすることの出来る赤線ルートを、より安全なルートとして選ぶに相違なかろうと考えるものである、

本件にまつわるもう一つの謎として殺害方法の特殊性が挙げられる。刃物で両手首が切られていたわけである…首も絞められているのに、だ。犯人はイスラム系の外国人なのではなかろうかと云うところを強く想起させる。

小さな頃にイスラム圏に住んでいた経験を持つ私の忘れ得ぬ光景の一つとしてこのようなものがある。駐在日本人以外の全ての個人宅の軒先に、あたかも犬のような感覚で羊が繋がれている。ところがある日を境として一斉に羊たちの姿かたちが見えなくなってしまったのだ。あの羊たちが人間の胃袋の中に納まったであろうことは「一目瞭然」だったが、これが「大イード」恒例のイヴェントだったと云うことである。一家で羊を丸ごと一頭屠るのだ。その際、刃物を用いて喉を掻き切る。したがって彼らは殺すことについては慣れているわけである。その部分に於いて極めて実存的であり、可哀想!と云う未熟さゆえに生じる感情は子供のうちに卒業することが出来る。ところがこのことが容易に、人間を標的にしてしまうことにもなるわけである。アルジェリアでは長く、政府軍とイスラム過激派との間で内戦が展開されたが、過激派扮する偽警官が勝手に検問所を作って手当たり次第に検問をする…不幸にもこれに引っかかったら最後、喉を掻き切られて殺されてしまう…こんな話を現地の人から聞いたものである。日本に於いて刃物を用いて手首の血管を切断すると云うスタイルは、自殺する人、自殺に見せかけたい人以外には中々やらないものだろう。しかしこの犯人はこれをやっているわけである。

では何故、喉ではなく、手首だったのか。色々理由はあるように思う。先ず、第一の理由としては、これをもし喉にやってしまったなら一発でイスラム系であると分かってしまうことになる。だから喉は避けて手首にしたと云うことだ。それから喉をやると返り血を盛大に浴びることになるかもしれない…そうなるとまずいわけでその辺の事情から手首にしたことも考えられる。それから、顔を観察したかったとかキスしたかったとか、そんな理由から顔の近くを避けて手首にしたと云うことも考えられる。喉ではなくて手首にした理由はそんなところだろうが、そもそも何故、扼殺とはせずに失神に止め、手首血管切断と云う形で終えたのか…これは儀式めいているとでも云うか、犯人からのハラールな薫りと云うものを感ずるところである。要するに血を死体の内側に留めると云うことは穢れ行為となり、腐りやすくもなるわけでこれを活〆にすると云うことが神に対しても、そして相手に対しても尊いものである、と云うことであろう。犯人側の理屈としては、傍から見れば残忍さ極まりないところだが、高貴なやり方と云うことにもなろう。周辺住民の誰も被害者の悲鳴を聞いていないことから、最初に首を絞めてそれから事に及んだと云うことだろう。

犯人はどこからやってきたのか…これは偶然にも前方からやってきたとも駅方面から尾行した末の犯行とも、どちらとも取れる。前方からやってきたのであれば、犯人の住居は246の南側にあり、歩道橋を用いて駅方面へと向かっていた線が濃厚となる。その場合、新築工事現場がもしも無ければ犯行には及ばなかったと見る。尾行の場合も、そのまま被害者宅までついていき、足を踏む入れる線を除けば、やはりあのタイミングで新築工事現場が現れなければ本件は発生しなかったであろう。新築工事現場と歩道橋…都会の何気ないコンクリートジャングルを構成する風景が、よもやの猛獣の刃の餌食となるトラップとして作用した。246と云う大河に分断された街。そこに水は流れてなくとも、これを渡るのは時に命懸けとなるものである。