百田尚樹は本当に作家なのか | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
松本人志問題で相手女性が性被害を訴えていながら、松本らに媚びる「迎合メール」を行為の直後に送っていた件について、相手に迎合する被害者心理を読めずに額面通りに受け取る百田尚樹。百田は例えば中学生のイジメ現場に遭遇しても、イジメられていたとされる人がイジメっ子と一緒になって笑っていたら、これはイジメではない、遊びであると見做すのだろう。イジメられっ子がイジメっ子に迎合して笑っていたり、イジメ被害すら否定することは珍しくないことである。百田尚樹って作家なんだよね、何でこんなに人間心理が読めないのかと思うものである。

作家なのに…と云うことで云えば、「二階堂ふみ方言事件」についての発言に於いても思ったものである。昨今何でもかんでも差別であると糾弾される風潮については疑問に思うところだが、沖縄に対する歴史的な加害行為の一つとしての方言札問題に起因するこの「差別糾弾」について、その他大勢扱いするとは。作家と云う言葉を扱う専門職に就いている人間として、特定の単語と云う範疇を超えた言葉そのものに対する「言葉狩り」を、その他大勢の過剰な差別糾弾と同じ扱いにするとは、非常に不見識なものだと感ずる。以前記したように、他県については全く問題にならず、沖縄だから問題になったと云うのは良くないことである。方言をあからさまに笑いの対象とすることそれ自体が不適切極まりない行為なのである。しかしやはり、歴史的背景・経緯と云うものも重んじなければならない。沖縄、或いは方言・言葉全般を軽視する百田尚樹ってホントに伝統を重視・尊重する保守なのかと非常に疑問に感ずるところでもある。

百田は愛国を強調する政党を立ち上げているわけだが、そう云えばこの前、自慢の愛車が外車であることを突っ込まれていたものである。国産品愛用は、愛国者の基本中の基本であるのに、それすらナンダカンダと理由を付けて自己正当化に努めているわけである。しかも百田はただの愛国者ではない。国民に対してもっと愛国心を持てと要求するタイプの政党を立ち上げている人間なのである。仏教徒でもキリスト教徒でも一般の信徒はキャバクラ遊びが好きでもマァ、別に良い。褒められたものではないが。しかし坊さんや牧師がキャバクラ遊びに勤しんでいたら、それは違うだろと云うことになる。坊さんのくせして、牧師のくせしてと云う話なのである。政党を立ち上げて政治活動に邁進するとはそう云うことなのに、愛国心を強調しながら国産品愛用はしない…それは胡散臭いばかりでなく、そもそも心が足りない・弱いと云うことになるのである。共産党なのに豪邸生活を送る不破哲三のようなものだ。

独身時代は思いっきり女遊びをしていても妻を娶ったからには妻を大事にし、妻に奉仕する…これが結婚である。愛国政党を立ち上げた時点で百田は国と結婚したも同然なのだから、外国製品を捨て去って今後は一途に国産品を愛用する立場になったのに、心を入れ替えることが出来ていない…その程度の愛国心の人間に指導される人々、そして国家は不幸なものである。