岡山県津山市19歳会社員男性失踪事件考 | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
2019年8月25日に岡山県津山市で一人暮らしをしている会社員・中山裕貴さんが失踪した事件。翌26日になっても勤務先に現れないことから発覚した。岡山市の高校を卒業後に津山市の会社へ新卒入社してから半年も経たないうちに起きた出来事であった。

失踪当日となる25日の14時頃に岡山県新見市のJR伯備線・姫新線新見駅近くのコンビニで昼食を購入していることが判明している。その後、新見駅から伯備線下り方面の特急やくもに乗車しているところまで足取りは判明しているとの由。新見駅にて990円分の乗車券と760円分の特急券を購入している。990円分の乗車券では江尾(エビ)まで、760円分の特急券では根雨まで辿り着くことが出来る。なお、江尾に特急は停まらない。

当日の足取り推測は以下の通り。但し参照した時刻表は翌2020年3月号であることを申し添える。

姫新線・東津山 9:26→津山 9:31
姫新線・津山 10:07→新見 11:48

伯備線・新見 15:09 特急やくも15号→根雨 15:55
伯備線・根雨 16:20→江尾 16:28

江尾駅にはカメラが設置されておらず、下車したかどうかは不明である。

さて、ここから色々と推理するものであるが、やはり新見での時間の浪費が気になるところだ。この旅程だと当日中に津山には戻ることを考慮していない。本件の筋書きとしては、江尾で誰かと会う予定だったのだと云う話によくなるのだが、江尾17:19分発の列車に乗らなければ津山には戻れない。新見に12時前に着いたのだから、13:24分発の普通列車に乗れば、江尾には14:46分に着く。しかも特急料金は掛からない。加えて普段は最寄りの東津山駅まで自転車で向かうのにこの日は自転車を使わずに駅まで向かっている。つまり、戻るつもりはないと解釈することが出来る。したがって本件は自発的失踪であるわけだ。

そして新見での時間の浪費からもう一つ見えてくることは最終的な目的地は決めていなかったと云うことである…漠然と山陰方面に行くと云うこと以外は。日本の鉄道料金システムと云うのは別立て方式で、乗車券に特急券やグリーン券等を足すと云うのが基本。特急往復割引切符のような企画券を除いて包括的な料金システムではない。したがって新見から江尾までの切符1,750円分を買ったと云うのは窓口で計画性を備えて買った場合(※)を除いて正しい理解ではない。飽くまでも乗車券990円区間分と特急券760円区間分を買い、これに該当する行動は根雨まで特急、そこで普通列車に乗り換えて江尾に行くと云うことなのである。

(※ 例:客「江尾まで」 駅員「特急には乗られますか」 客「はい」 駅員「…1,750円です」)

日本の鉄道料金システムのもう一つの特徴として、目的地までの切符を所持していなくとも罰金を科されないと云うものがある。飽くまでも足らない分だけ支払えばよいのだ。したがって取り敢えず初乗り分・一区間だけの切符を購入して乗車すると云うスタイルを採ることが可能となる。私はなるほどねと思った。この人は計画的な行動を採ってはいない。特急料金の初乗り区間は760円。根雨まで特急に乗るために760円を支払ったわけではないのである。取り敢えず特急に乗ろうと考えて、初乗り分の切符を購入しただけなのだ。新見での逡巡を経てこの人が思いついたのは特急に乗って山陰方面へ行くこと。しかし明確な行き先は決まっていない。だからひとまずは最低料金となる760円区間の特急券を購入したわけである。

それでは乗車券の990円分は? これについても、取り敢えず千円札で行けるところまで…と云う思考の仕方だったと云うことである。伯備線は幹線だから初乗り運賃は150円。但しこれは3km以内の話。伯備線下り方面の新見の次駅は備中神代(※※)で、6.4km離れているから200円となる。だが特急は停まらない。したがってまずは特急ありきで考えて次にテキトーな区間までの乗車券を購入せねばと思った時に、取り敢えず千円札1枚分買っておこうと考えた結果(特急券760円に対して乗車券200円では釣り合っていないから改札で止められる)、ぎりぎり千円以内である江尾までの乗車券を購入したと考えればよい。つまり、たまたまそこが江尾だったまでと云うことであり、江尾が目的地ではないと見る。この人は確実に米子までは到達している。因みにやくも15号の新見からの停車駅は根雨・米子・安来・松江・玉造温泉・宍道・出雲市である。これらの駅のカメラは確認したのだろうか。仮に確認したとして姿かたちが一切なかったのであれば、米子から山陰本線下りの普通列車・山陰本線上りの普通列車・境線に乗車したことが想定され、或いは終点の出雲市から山陰本線下りの普通列車に乗車して数多ある無人駅のいずれかで下車したと云うことになる。
(※※ 名目上の次駅は布原だが、伯備線列車は停車しない)

特急に乗ったと云うのは気になる点である。何かささやかな最後の晩餐的なものを覚えるところである。或いは出雲市以遠へ行くことを思い立ったか。全ての区間にわたって普通列車利用となればかなりの時間を要する。実はこの人、1週間前に高校時代の友人と米子へ旅行している。さっさと米子へ向かわずに「逡巡」していることを鑑みるに、楽しい思い出に浸りつつも米子の「更に先」へと向かったことが推察される。無論、これは出雲市方面とは限らない。先述の通り、倉吉方面、或いは境港方面かもしれない。なぜ「未解決」なのか、色々な原因があるものだが本件については「米子までの切符を買わなかったこと」が大きいのかなと思うものである。米子までの切符を購入していたのであれば「江尾云々」の謎は生じなかったわけだから。だが彼はそうしなかった。「決める」と云う作業と向き合うほどの余裕が、彼の脳みそと心にはなかった。その意識はただただ空気のようにゆらゆらと漂い、彼の身体は意思なくそれに付随しつつ存在するに過ぎなかった。