石井舞ちゃん失踪事件考3 旅行の実相 | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
本件は被害者父親の主張に引っ張られ過ぎている…これが当方が最初に抱いた感想である。つまり、自分が直前にKに対して仕事を入れて交際相手である姪との旅行を潰したがために、それを恨んだKは、自分が溺愛していた被害者を連れ出し、恐らくは殺害したのだと云うものである。

Kには先述の通りのアリバイがある。しかしそのアリバイに全くの穴がないわけではない。例えば、母親が入浴中に聞いた階段を上る音がKであり、2階へ向かったKが被害者を連れ出し、2階玄関・外階段を経由して1階へと向かい、外で待っていた車(実際に不審車情報有)へと渡すことは可能であろう。したがって父親は外部協力者がいればKの犯行は可能と見ており、警察もまたそのように見立てていたであろう。しかしそれは飽くまでも「協力者」であって主犯は父親的にはK、警察としては本命K、対抗母親と云うことになるわけである。Kの証言については裏付けが取れているのだが(疑わしい部分含めて)、母親の証言には裏が取れるものが何もない。本当か疑わしいのか、それすら分からない。仮に母親の証言が虚偽だった場合、本件推理は根底から覆ることとなり得る。それは母親が関与していたことになるばかりではない。Kのアリバイがアリバイとして成り立つのは、母親の証言によるところも大きいからである。被害者最後の目撃が22時半。出所は母親の証言。もしこの時既に被害者が不在だったなら…Kのアリバイのディテールで重要なのはKが郡山へタクシーで向かい、且つ早朝まで郡山に滞在していた…即ち、郡山で車を調達して船引へと引き返し、被害者を連れ出してどこかへと向かいそこで殺害・遺棄、最終的には朝までに郡山へと戻って朝一の列車で船引へ帰ると云う行程が不可能である点にあるのだと見る。ところが母親の証言が虚偽で22時半の時点で被害者が消えていたならば、Kには被害者を人気のない場所へと連れ出して殺害・遺棄する時間的余裕が生まれかねない。遺棄までは難しく協力者の手に頼ることになろうとも、少なくとも殺害は可能となる。

しかしながらその可能性は限りなく低いのも確かである。肝心のKのアリバイが天然のものではなく「養殖もの」だからだ。加えて「旅行」の存在もある。本件は家人の誰かが主犯で外部協力者が存在すると考えられてきたわけだが、実像としては逆なのである。家人が協力者で外部に主犯が存在している。Kのアリバイで最も重要な点、その「肝」と云うものは、「Kを留守にさせる」即ち「Kを船引から引き離す」ことにある。Kが在留している限り、Kが犯人になってしまうからだ。私は「アレっ!?」と思った。事件当日、姪が郡山の実家に向かっているのだ。これはある意味、中止となったはずの旅行が続行されていると捉えることが出来る。そしてKも「旅行」しているではないか。アリバイ工作の一環と云う形で郡山へ向かったのだ。

旅行は中止されていない…つまり、父親の見立ては誤りなのではなかろうか。当初、計画されていた旅行それ自体が、犯行を実現させるための装置だったのではなかろうか。父親が旅行を中止させていなくとも、犯行はこの日に実行に移されていたと云うことである。

なぜKと姪を旅行させる必要があるのだろう。Kを留守にさせる必要がそんなにもあるのだろう。では、Kと姪が在宅している中で犯行を実行に移した場合、どうなるか見てみよう。Kか姪が被害者を主犯へと手渡すことになる。そして、Kが疑われることになる。同棲相手の姪がKのアリバイを証言する。しかしその効力は極めて弱い。口裏合わせをしていると取られる。警察へ引っ張られたKは厳しい取り調べを受ける。Kは被害者父親との折り合いの悪さと素行の悪さから動機有として主犯と見做される。そこでKは罪を軽くするため、主犯の名を吐いてしまって、自分は共犯・従犯であると主張することになるだろう。

そこでKに「旅行」させてみるとどうなるか。そもそも犯行に関与していると見做されない可能性が高い。加えてアリバイ証言が姪だけでなく、タクシーの運転手やレストラン・ホテルの従業員・利用記録等々、客観的なものが得られやすい。そんな中、こっそり一人が家へと戻って被害者を連れ出せばよい。予め不在の状況にしていれば、別に夜間である必要もない。家の中でやる必然性もない。運悪く家人と遭遇したならば、旅行先で喧嘩したから帰ってきた…相手は郡山の実家なり友人の家なりに滞在しているとでも云えばよいのだ。しかし旅行は父親からの思わぬ横槍によって中止に追い込まれてしまった。仕事との兼ね合い等により、主犯には代替日を設定することが難しかったのであろう。或いは被害者宅に母親の友人の娘が滞在していて、被害者が親と離れて寝ると云う千載一遇の機会を逃すまいとしたか。

そこで改めてKへのアリバイ工作を考えた上で昼に姪を郡山へ向かわせ、夜にKも郡山へと向かわせたのだ。それでもKは疑われた。しかし主犯か共犯か、ではなく、犯人か無実か、と云うことであれば、無実の獲得へと向けて踏ん張れたと云うことだろう。この苦しみから解放されたいとの誘惑に負けて、主犯の名を出した瞬間に自分は共犯と云うことになってしまうのだ。それなら耐えて、アリバイ工作の威力に賭けて、無実を勝ち取ると云う方向になるわけである。そう云うわけでKのアリバイは物凄く強力な代物だったわけだ。K自身を守り、母親も守り、そして何よりも黒幕=主犯をもガッチリと守ってくれたのである。