米米ハウス発ブルーマウンテン行き 世田谷一家殺害事件考2 | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
しかしここでどうにも疑問になることが沸き上がってきたのである。小田急相模原の住人が本厚木で買物をすることなどあるのだろうか…と云うことである。

小田急相模原の住人は普通、町田か相模大野で買物をする。最初から町田に行くか、相模大野になければ町田に行こうと云うことになる。町田にもなければ都内行きだ。相模大野になかった…じゃあ本厚木にでも行こうかと云う話にはならないのである。近頃は海老名の躍進に著しいものがあり、海老名に行くこともあるだろうが、2000年当時も今も、本厚木で買物をする発想には至らない。したがってここから導き出されること、それは犯人には日常的に本厚木に出入りする用事があり、そのついでに買物をしたと云うことである。犯人は20歳前後。本厚木に何の用があったか。その時、アッと思ったものである。すっかり忘れていたことがあったのだ。あの当時、厚木と世田谷には、現存しない大きな施設があった。

ー 青山学院大学

現在の青学は青山と相模原淵野辺の2キャンパス制だが2000年当時、青山・厚木・世田谷の3キャンパス制であった。厚木キャンパスには本厚木か隣の愛甲石田からバスで向かう。そして世田谷キャンパスの所在地は千歳台であり、跡地は「東京テラス」と云う巨大マンションになっている。この千歳台のキャンパスから現場までの距離は1キロと少ししかない。しかも急行停車駅・成城学園前から世田谷キャンパスへと向かう、まさにその途中に現場は存在するのである。

ここから自然に導き出される結論、それは犯人が青学理工学部の2年生だったことである。世田谷キャンパスは理工学部専門。但し1年次に関しては厚木キャンパスである。犯人が現場を知っていたと云うことは既に世田谷キャンパスに通っていたことを意味する。が、遺留品のラグランシャツの購入は事件3か月ほど前、2000年秋であるから、厚木キャンパスにも通っていたわけだ。つまり、犯人は1年次に単位を落としてしまい、青学名物「厚木返し」を食らっていたわけである。

犯人は理工学部以外の青学生だったことも考えられる。理工学部以外は2年次まで厚木キャンパス、3-4年が青山キャンパス通いとなる。つまり犯人は2年生で厚木に通い、1年生の時に親しくなった人物が理工学部生で、その人に会うために世田谷まで出掛けていた線である。この場合、繁華街で落ち合わずに世田谷キャンパスまでわざわざ出掛けている点など見ると、同性の友人と云うよりも異性の恋人を想起させるものがある。或いは、犯人は理工学部2年生以上だが、恋人が他学部2年生以下で厚木通いをしていた、所属サークルの集いに顔を出すために本来は用のない厚木に行っていた…と云った線も考えられよう。