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PACK RATのブログ

こちらは退職したあるシニアのブログサイトです。はるか昔の想い出話と無責任なひとり言を書き綴っています。

クレア

 

2021年の冬至は12月22日(水)。この時期の日の出は午前7時20分ごろです。7時ごろ散歩に出かけてしばらく歩くと日の出を迎えます。

 

  

(左)朝日に映えるクレア、(右)朝日を浴びるクレア

 

 

ο株感染の10倍加時間

 

最近の報道によればオミクロン株感染の倍加時間は2日という。これは2日で新規感染者数が2倍になることを意味する。イギリスの場合について計算してみると、倍加時間は1.8日となりほぼ一致する。

 

それでは新規感染者数が10倍になる時間はどれくらいかと計算してみた。6日となった。1人の感染者が見つかると、6日後に10人、12日後に100人、18日後に1,000人、24日後に10,000人となる。イギリスでは21日目に当たる12月18日に1万人に達した。このまま何もしなければ、30日後に当たる12月27日には10万人、さらに年が明けて1月2日の36日後には100万人の新規感染者が出ることになる。

 

イギリスにおけるオミクロン株による新規感染者数の推移:下図は上図の縦軸を対数値に変換したもの。12月19日で10,000人に達している。このままいくと、12月25日ごろには100,000人、年末年始には1,000,000人まで達することが懸念される。

 

規制強化が実施され、新規感染者数が少しでも減少傾向に転じることを願う。

 

 

"In Your Pocket"

 

これは西欧の人たちに東欧の歴史や文化を紹介するweb上のGO-TO ガイドブックのタイトルである。主要各都市版があり、その街の見どころ、ナイトライフ、レストラン、交通手段などが紹介されているので、その都市を訪れる際には旅行ガイドブックとして役に立つ。一昨日送付されたメールマガジンにはプラハのカレル橋の写真が載せられていた。たいへん美しい写真だったのでここに転載します。

 

「In Your Pocket」メールマガジンから転載

 

ついでながら、自宅の一室に飾っているカレル橋のフォト

 

 

 

2018年12月東京にてロシア絵画鑑賞

 

2018年12月の中旬ごろ所用のため上京した。この時期の東京では興味深い西洋絵画展が目白押しであった。

 

ルーベンス展:国立西洋美術館

フェルメール展:上野の森美術館

ムンク展:東京都美術館

ピエール・ボナール展:国立新美術館

フィリップス・コレクション展:三菱一号館美術館

 

上野の森美術館前にて(2018年12月12日)

 

そして、日ロ交流年のこの年、19世紀のロシア絵画展2件が、

 

● 国立トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティック・ロシア展」

Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)

● 国立ロシア美術館所蔵「ロシア絵画の至宝展」

東京富士美術館(八王子)

 

当初の予定では、上野のルーベンス展とフェルメール展のみを鑑賞して帰るつもりであった。しかし中野京子氏の2冊の書籍が頭をよぎり、2つのロシア絵画展が急に気になってきた。そこで延泊を決意し、2018年12月13日、午前は渋谷、午後は八王子の美術館で過ごすことにした。

 

中野京子氏の2冊の著作

 

国立トレチャコフ美術館所蔵「ロマンティック・ロシア展」

 

  

(左)オフィシャルガイドブックの表紙

(右)「忘れえぬ女(ひと): Unknown Lady」イワン・クラムスコイ,1883年*)

サンクトペテルブルクのネフスキー通りに無蓋馬車が停まっている。背筋をスッと伸ばして座る黒ずくめの女性と目が合う。その瞬間、世界に存在するのは彼女一人となり、背景は朝靄の中へ消えてゆく。。。(中野京子氏の著作「美貌のひと」より)

 

クラムスコイと親交のあったトルストイの名作「アンア・カレニーナ」がモデルではないかと言われるが定かではない。冷たいまなざしと謎めいた表情により「北方のモナリザ」とも呼ばれる。

 

「雨の樫林」イワン・シーシキン,1891年*)

西欧では印象派が主流であった19世紀の後半、ロシアの風景画家は平原、林や森、川などの自然の四季折々の風景をロマンチックに描いた。

 

国立ロシア美術館所蔵「ロシア絵画の至宝展」

 

  

(左)オフィシャルガイドブックの表紙

(右)「第九の怒涛: The Ninth Wave」イワン・アイヴァゾフスキー,1850年*)

船乗りたちの伝承によれば嵐になった時、9番目に襲ってくる波が最も強烈で破滅的だという。波間を漂う船乗りたちはその恐怖に怯えているが、一方で雲の切れ目から差し込む強烈な陽光に行く末への一筋の光明を見いだすのだ。

 

「白樺の森の小川」イワン・シーシキン,1883年*)

鬱蒼とした林の中を小川に沿って農村の女性二人が歩いている。行く手には緑の平原が広がっているようだ。画面全体に夏の自然の生命力が漂っている。

 

 

 

2019年5月ロシアにてロシア絵画鑑賞

 

それから半年後の2019年5月、居ても立ってもいられず、モスクワのトレチャコフ美術館とサンクトペテルブルクのロシア美術館を訪れた。

 

*) 上記4枚の写真はWikipediaよりDLしたものである。これより先に掲載の写真はPack_Rat自身が撮影したものである。

 

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(左)赤の広場(左より、カザンの聖母聖堂、グム百貨店、ポクロフスキー聖堂、クレムリン)

(右)ボリショイ・カーメンヌイ橋よりモスクワ川の向こうにクレムリンを望む

 

トレチャコフ美術館本館(モスクワ、2019年5月15日)

 

ロシア絵画の蒐集と発展に尽力したパーヴェル・トレチャコフの銅像が立つトレチャコフ美術館。1893年に開館した。

 

Dear visitors!「イワン・クラムスコイの絵画、「月明かりの夜 (1880)」ならびに「忘れえぬ女 (1883)」は2019年11月まで日本で開催中のロマンチック・ロシア展に出張中です」

 

2019年5月のこの頃、「忘れえぬ女」は渋谷での仕事を終えて岡山に移動していたのだ。

 

  

(左)「自画像」イワン・クラムスコイ,1867年

(右)「やるせない悲しみ」イワン・クラムスコイ,1884年

 

「トロイカ、親方の弟子が水を運ぶ」ヴァシーリー・ペローフ,1866年

この絵には衝撃を受けた。「トロイカ(3頭立ての馬車)」といロシア民謡の世界とはかけ離れたイメージ。水の入った重たそうな樽を3人の子供たちが苦しそうにひいているのだ。

 

  

(左)「黒海」イワン・アイヴァゾフスキー,1881年

(右)「虹」イワン・アイヴァゾフスキー,1873年

右の絵画も先の「第九の怒涛」と同様に、荒れ狂う海に漂流している小舟を描いているが、虹の存在に微かな希望を感じる。

 

  

(左)「雨上がり」アルヒープ・クインジ,1879年

(右)「白樺の林」アルヒープ・クインジ,1879年

シーシキンらと同じ風景画であっても、明暗、濃淡のコントラストが強く幻影的な印象を与える。ここでは省略するが月夜や月明かりを描いた絵画もすばらしい。

 

  

(左)「伐採」イワン・シーシキン,1867年

(右)「夕暮れ」イワン・シーシキン,1871年

左の絵では、伐採者は右奥に小さく描かれているが、伐採されたばかりの木と中央下のキノコが印象的。右は農作業を終えた女性3人が夕日の中帰宅する様子がロマンチックに描かれている。

 

  

(左)「松林の朝」イワン・シーシキン,1889年

(右)「ライ麦畑」イワン・シーシキン,1878年

この2枚はシーシキンの代表作と言われているが、個人的には上の2枚の方が気に入っている。左の絵は松林の熊にのみ目が行ってしまう。

 

「モスクワの中庭」ワシリー・ポレーノフ,1878年

奥に見えるのはクレムリンの聖堂だろうか。。今は大都会のモスクワだが、19世紀にはこんなに牧歌的な雰囲気が漂っていたわけだ。

 

  

(左)「黄金色の秋」イリヤ・オストロウーホフ,1886年

(右)「濡れた草原」フョードル・ワシリエフ,1872年

 

  

(左)「夕べの鐘」イサーク・レヴィタン,1892年

(右)「黄金の秋」イサーク・レヴィタン,1895年  

画家が創造した情感溢れる心象的風景画。

 

 

 

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(左)サンクトペテルブルクの宮殿広場(左から、旧参謀本部、アレクサンドルの円柱、エルミタージュ美術館)

(右)ボリシャヤ・ネヴァ川にかかる宮殿橋から左手にペトロパヴロフスク要塞方面、右手にエルミタージュ美術館・ピョートル大帝冬の宮殿方面を望む

 

ロシア美術館(サンクトペテルブルク、2019年5月16日)

 

あらゆる年代のロシア美術が収蔵されているミハイロフ宮殿。このロシア美術館は1898年にニコライ2世により開設された。

 

「第九の怒涛」イワン・アイヴァゾフスキー,1850年

この絵は日本の地方都市への巡回展示はなかったようで、八王子での初対面以来半年ぶりに再会できた。

 

  

(左)「波(嵐の航海)」イワン・アイヴァゾフスキー,1889年

(右)「月明かりのコンスタンチノープルの光景」イワン・アイヴァゾフスキー,1846年

嵐の海、平穏な海、さまざまな海の表情を描いている。若い頃は肖像画家だったらしいがのちに海洋画家に転身したらしい。また、オスマン帝国の宮廷画家にも任命されたという。

 

  

(左)「イワン・シーシキンの肖像」イワン・クラムスコイ,1880年

「忘れえぬ女」のクラムスコイが描いたシーシキンの肖像。巨匠が巨匠を描いたわけだ。クラムスコイはトルストイの肖像画も描いている。

(右)「冬」イワン・シーシキン,1890年

 

  

(左)「ハンターのいる光景」イワン・シーシキン,1867年

(右)「松林」イワン・シーシキン,1898年

 

「ポルチエ村近くの光景」レフ・カーメネフ,1869年

 
「静寂」ニコライ・ドゥボフスコイ,1890年
 

  

(左)「虹」アルヒープ・クインジ,1900-1905年:この絵画とも半年ぶりに再会(右)「夜間」アルヒープ・クインジ,1905-1908年

 

   

(左)「黄金の秋 郊外」イサーク・レヴィタン,1889年

(右)「黄昏 月」イサーク・レヴィタン,1899年

モスクワ郊外の田園風景をポエティックに描いている。チェーホフと深い交流があったとされる。

 

  

(左)「イサク聖堂前の元老院広場に立つピョートル1世大帝の騎馬像」ヴァシリー・スリコフ,1870年

ヴァシリー・スリコフは歴史画の巨匠であり、「モロゾワ公爵夫人 1887」がとくに有名。

(右)実際の写真

青銅の騎士と呼ばれるこの像は1782年にエカテリーナ2世大帝によって建立された。台座には「ピョートル1世へ、エカテリーナ2世より、1782年」と彫ってある。「エカテリーナ」という歴史大河ドラマにおいて、第2シーズンの最終回はこの銅像の完成記念式典のシーンで終わる。

 

 

マネが「草上の昼食」を描いたのが1863年、クロード・モネが代表作「印象・日の出」を描いたのが1872年、ルノワールが「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を描いたのが1876年、ゴッホが「夜のカフェテラス」を描いたのが1888年である。同じ19世紀の後半、ロシアでは印象主義ではなく写実的な風景画が描かれていたことは興味深い。もちろん、19世紀の終盤から20世紀の初頭にかけてロシアでもコンスタンチン・コローヴィンのような印象派画家が登場するのだが。

 

19世紀後半のロシアは、風景画以外にも肖像画、歴史画、風俗画のジャンルで多くの優れた画家を輩出している。例えば、イリヤ・レーピン、ヴィクトル・ヴァスネツォフなどである。また、トルストイやドストエフスキーのような文学者、ラフマニノフやチャイコフスキーのような作曲家が活躍したのもこの時代である。

 

ロシアのこの時代、社会や政治は劣悪だったのだろうが、芸術面では西欧を凌ぐ勢いがあったんだな。なお、日本では幕末から明治の初期に相当する。