PACK RATのブログ

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こちらは退職したあるシニアのブログサイトです。はるか昔の想い出話と無責任なひとり言を書き綴っています。

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今の時代クリスマスカードをエアメールで送る人は非常に少ないことでしょう。現在ではE-メールやソーシャルメディアを利用したり、スカイプやズームで親しい友人・知人の方たちとクリスマスや新年のご挨拶を交わすのでしょうか。

 

私の滞米生活は1980-81年でしたから、その頃はまだパソコンもインターネットも存在しませんでした。したがってクリスマスと新年のご挨拶はエアメールによるカードの交換に限られていました。

 

⭐️のあたりがかつて私が働いていたところです。

 

  

ミラーレイクとハスキー犬:これは現代ですが、私の海外経験は40年前にこのような場所で始まりました。

 

毎年12月に入るとクリスマスカードの準備を始めたものです。初めの頃は手書き、パソコンが普及してからはワープロ機能を利用しました。さらにデザインにも凝り始め、自分で撮った写真も使うようになりました。

 

  

 

上の3枚のような写真の上に「Happy Holidays」や「Merry Christmas and a Happy New Year」などの挨拶と我々の近況を書いてクリスマスカードとしました。

 

1980年代の初めごろには10組以上いたクリスマスカードの送付先も次第に減っていき、最後には3組のみになりました。いずれも私より年配の方で、カードの作成や送付の手間を考慮して、「お互いにカードじまい」にしましょうと私の方から申し入れました。

 

クリスマスカードがエアメールで届いたときは嬉しいものです。相変わらずクセのある先方のハンドライティング、近況の報告、まれに同封される写真。。。懐かしくも暖かい思い出がドッとよみがえってきます。

 

今回は1981〜2012年までに届いたクリスマスカードをあらためて眺めてみることにしました。とくにプラハに住む友人からのカードのデザインが時代とともに少しずつ変わってきていたことに今頃になって気づきました。一貫して見て初めてわかることなので、今さらながらですが新鮮な驚きでした。

 

 

1.滞米中の日本人・台湾人からのクリスマスカード

 

 

  

クリスマスツリー、馬車、そり、教会のある小さな村など、我々の感性に合ったデザインを選択された人が多かったように思います。

 

 

2.アメリカ人からのクリスマスカード

 

  

(左)クリスマス・グリーティングス、(右)タイトル不明

 

  

(左)ドングリとオークの小枝、(右)スケートリンク、ロックフェラーセンター

 

隣人たちとのクリスマス

 

タイトル不明の1枚を除いていずれもメトロポリタン美術館所蔵の絵画のようです。RWC夫妻とGRM+LMRのカップルから送られたクリスマスカードですが、合わせて60枚中約9割が絵画でした。少し、いや、かなり地味めで、我々日本人のクリスマスのイメージとはかなり違うなあと感じました。もっとも、彼らが本家本元なのですが。

 

 

3.プラハからのクリスマスカード

 

プラハに住むJMPから送られてきたカードは1981年から2012年まで31枚すべて見つかりました。

 

1)1981年〜1993年

 

  

(左)1985年、(右)1986年、

 

  

1987年

 

  

(左)1990年、(右)1991年

 

1993年

 

1981年、1982年、1983年、1984年、1988年、1989年、1992年は省略します。いずれもプラハもしくはチェコスロバキアのいくつかの都市の冬景色です。

 

チェコ(チェコスロバキア)では1989年にビロード革命により共産主義は崩壊しました。さらに1993年、チェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離独立しました。

 

おもしろいことに、1981年から1993年にJMPから送付されたクリスマスカードはすべて観光絵ハガキみたいでした。共産主義体制下でも別のチェコスロバキアの知人から送られてきたクリスマスカードは普通のクリスマスデザインでした。JMPは自国に誇りを持っていることは承知していたのですが、さてそれと関係があったのでしょうか。。。

 

 

2)1994年〜2004年

 

  

(左)1994年、(右)1995年

 

  

(左)1996年、(右)1997年

 

  

(左)1998年、(右)1999年

 

  

(左)2000年、(右)2001年

 

2002年

 

  

(左)2003年、(右)2004年

 

1994年から急に明るくかつ可愛らしくなります。それまでのカレル橋やプラハ城の重たい冬景色は姿を消します。94年と95年は子供や子供の天使が主役です。96年と2001年はキリストの降誕でドンピシャ、97年と99年及び2000年は華麗なクリスマスのイメージ、98年はツリーを運ぶ馬車と雪景色、2002年はキリスト誕生を寿ぐ東方三賢者の礼拝と一般の街人たち、2003年と2004年はベツレヘムの星を見つけてキリストの降誕を知る羊飼いたちかな?

 

1994年から2004年までのクリスマスカードのデザイン選択は、それ以前と異なって、ファンタジック、メルヘンチック、ロマンチック、リィリィヂャスなものに変わっていました。

 

 

3)2005年〜2012年

 

  

(左)2005年、(右)2006年

  

(左)2007年、(右)2008年

 

  

(左)2009年

(右)2010年:Merry Christmas and a happy and healthy New Year 2011

Milena & Milan Pata

PS. Thank you very much for your presents. I was very suprised. Milan isn't still OK. I hope that new year will be better for him! With best regards and Love, Milena

 

2011年:Wishing you a Merry Christmas and all the joys of the holidays. With love and best wishes for a very happy New Year.

Milena & Milan Pata

 

2012年:Merry Christmas and a very Happy New year 2013!

Our wish to each of you is for health and happiness in this holiday season and for the New Year

Milena & Milan Pata

 

2005年以降のカードデザインはそれまでのものと違って、シックで大人びたものに変わっていました。2011年バージョンは再び絵葉書みたいです。

 

ここまで約30年間のJMPからのクリスマスカードを連続してながめた結果、あることを発見しました。文章自体は毎年同じようなものですが、1993年ごろから奥さんのミレーナの代筆になっているようなのです。彼女の夫、つまり私自身の友人のミランの名前を先に出して、Milan & Milenaとしていますが字体が少し違うのでわかります。

 

おそらく1994年以降、クリスマスカードの購入はMilenaに任されていたのではないかと想像されます。それがカードのデザインイメージの突然の変化の理由なのでしょう。

 

さらに2005年以降のクリスマスカードの署名は、Milena & Milanと順序が逆転しています。多分その頃には彼らの子供たちも巣立ってメルヘンチックなデザインも姿を消し、落ち着きのあるシックなデザインに変化したのでしょう。Milanの病気も関係があるかも知れません。2010年の文章が私に「カードじまい」の決断をさせました

 

詳しくは以下の過去ブログに記述しています。

 

 

 

実はアメリカから届くクリスマスカードも、簡単なメッセージや宛名書きの字体から判断して、奥様たちがある程度まで関わっておられることはわかっていました。パタ夫妻の場合には、今回30年分を連続して一気見した結果、奥様のミレーナの関わりが予想以上に深かったことがわかりました。

 

年賀状でも手書きの時代には宛名書きは奥様の仕事という例が多かったように思います。やはり、年末年始の挨拶状の作成は洋の東西を問わず奥様やパートナーの協力なくしては完結しなかったのでしょう。

 

 

 

Happy Holidays

and

Best Wishes for the New Year !

Pack_Rat and Clea

 

今回をもちましてブログの投稿はしばらくお休みをさせていただきます。

これまでたびたびご訪問いただき誠にありがとうございました。