「みだりに人の師となるべからず、みだりに人を師とするべからず」 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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幕末の志士たちに大きな影響を与えたとされる教育者、吉田松陰。

彼は沢山の名言を残していますが、

「みだりに人の師となるべからず、みだりに人を師とするべからず」

この言葉は、

今の時代においてもとても大事な言葉だと私は思っています。

 

「みだりに人の師となるべからず」

「先生」と呼ばれることで、

「自分は偉い」と勘違いしてしまうこと。

 

たとえそう思ってはいなくても、

無意識にそう感じていること、ないでしょうか?

 

正直、私はありました。

「先生がいないと困るんだよね」

この言葉に自分の存在価値を置いていたこと。

「この学校の保健室は私がいないとダメなんだ」

と勘違いしていました。

 

知り合いの職場の先生は(担任でしたが)、

「私じゃないとこのクラスは落ち着かないのよ」

と嬉しそうに話していたとか。

他の先生の時には騒がしくても、

自分の前だったら大人しい子どもたち。

果たしてそれは本当の意味での「指導」なのかな…?

と話を聴いてモヤモヤ。

 

 

「みだりに人を師とするべからず」

これも本当に大事。

誰かを「師とする」と、

その人の言っていることだけが「正解」だと思い込んでしまったり。

その人のマネをすることが「自分」だと思ってしまったり。

(「恋は盲目」とある意味似ているかも)

 

特に思うのが、

養護教諭って学校に一人だし、

出会う養護教諭も少ないから、

「この人」って決めた先生をお手本にしがち。

「あの先生みたいになりたい」

という出会いがある人こそ、

気をつけないと、尊敬と紙一重で

みだりに人の師となったり人を師としてしまったり。

(そういう“出会い”はもちろん素敵なこと)

それよりも、

もっともっと自分にしかない良いところを磨いて、

「自分」のままで在る方が輝けると思うなぁ。

(結果として「勘違い」にも気づけるだろうし)

 

松陰の言葉にもありますが、

「自分」を知っている教育者ほど、

師とされることへの危惧も抱いている。

そしてそういう人だからこそ、

時を経てもなお、「師」であるんだろうな。





 

 

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