「学校のオアシス」は無理して作らなくて良い。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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私が大学院に進学したいな、と考えていた当時、

「保健室は学校のオアシス」

という言葉に葛藤していました。

 

新任当初は、

「保健室があるって大事なことよ、オアシスみたいなものだから」

そんな言葉をかけられて、

「そうか、私って頼りにされている存在なんだ」

と嬉しくなったものでした。

 

しかし、働き出してしばらくすると、

自分自身の中で葛藤が生じてきました。

「保健室が“オアシス”ということは、それ以外の場所は“砂漠”…?」

「保健室があることで、それ以外の場所が“砂漠”であり続けてしまうのでは…」

 

もちろん、保健室がそういう場所であるということは大事なこと。

一方で、「オアシス」という言葉が生まれた背景をみると、

保健室の在り方、養護教諭としての在り方をもっと長期的な視点で考える必要があるのではないか。

そんな考えが頭の中を占めるようになりました。

 

「本当に子どもたちにとって必要な"オアシス"は何だろうか」

「そのために保健室は、養護教諭はどう在ることが望ましいのだろうか」

正直、今もその答えは出ていません。

気づけばその答えを求めて大学院生活も5年が経過してしまいました。

 

今の時点で言えることは、

「学校のオアシス」は無理してまで作らなくて良いということ。

オアシスがオアシスであるためには、

オアシスそのものが「オアシス」でないといけないと思うからです。

そこに努力とか犠牲とか苦労とか、そのようなものは必要ないと私は思います。

 

保健室がオアシスであることに固執しすぎると、

教室や学校、地域、社会の課題が見えにくくなってしまう気もします。

 

いつも書いていますが、

理想とは、理想状態の中にあるのではなく、

理想に向かって改善するプロセスの中にのみ存在する。

きっと「保健室オアシス論」も同じことなのだと思います。

 

まだまだ私なりの答えは出ていないけれど…。

今日はこのことが書きたくなったので。

皆さんの考えるきっかけになれば嬉しいです。

きっと色々な考えがあると思うから。




 

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