「ない」は、ないままで「ある」。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

「自分のままで“養護教諭”になる」をコンセプトに、YOU(あなた)とYOU(あなた)を繋ぐYOUKYOUカフェを主宰しています。

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2年前の今頃、こんな記事を書いていました。

ざっとこんなことを書いてます。

私たちって、

この真ん中の"欠けたリンゴ"が

自分自身だとして、

自分を中心に世の中を見ていて。

そして、

周りの人のことを

"色とりどりの欠けてない完璧なリンゴ"

のように見えてしまって、

自分の欠けた部分を眺めては

『自分は完璧ではない…』

って悩んだり落ち込んだり。

周りの評価で

"完璧なリンゴ"になろうとしたり。

 

でも、

その周りの人も、

自分を中心に据えると、

自分自身のことを"欠けたリンゴ"だと思っていて、

周りのことは"色とりどりの完璧なリンゴ"だと思っている。

だから、

周りの人から見たら自分も結局は

"完璧なリンゴ"なので、

欠けたままで充分「完璧」なんだよね…。

YOUKYOUカフェのコンセプト、
「自分のままで"養護教諭"になる」とは、
まさにここでいう「欠けたリンゴのままで良い」ということ。
 
完璧な養護教諭なんてこの世にはいない、と思っています。
あなたが「完璧」だと思っている養護教諭も、
完璧でないまま完璧に見えているだけ。
そして、
「自分なんて全然だめだ」
「こんなこともできないなんて」
と責めている、そんな「あなた」自身も、
あなたのままで完璧なのですよね。
 
もちろん、現状に甘んじて、
肩書きの上にあぐらをかけば良いということを言いたいわけではありません。
「ダメだ」と思っている時点ですでにあなたは大丈夫、ということ。
だから安心して自分のままで一歩を踏み出したら良いんだよ、ということ。
できないのではなく、できる方法が見つかっていないだけ。
 
周りの評価のために、
「養護教諭」という肩書きを使って学校にいるのではなく、
子どもたちに伝えたい想いがあるから、
「養護教諭」になったのでしょう?
あなたが「あなた」のままで学校にいるということそのものが、
子どもたちにとって「完璧」なシナリオです。
 
 
「ない」は、ないままで「ある」。
「ない」は、ないからこそ「ある」。
その「ある」は単なるあるよりも、ずっと濃い「ある」です。
 
 

 

 

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