「基準」は自分で創って良い。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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養護教諭をしていた私にとって一番嬉しかったほめ言葉。

それは

「こんな保健室の先生おるか!?」

です。笑

これは、結婚式で主賓をお願いした大好きな先生が

愛をこめて「私」を表現してくれた言葉でもあります。笑

 

辞めた今でもこの言葉が大好き。

ずっとずっと、私の心の支えです。

 

 

もちろん最初からこの言葉を言われるような人間だったわけではありません。

 

1年目。

「先生は保健室の先生ぽいねぇ」

と言われておりました。

 

新任で働き始めた当初は、

「養護教諭って思われたい」

「早く一人前になりたい」

「周りから認められたい」

と思う気持ちでいっぱいだったので、

周りのイメージの「保健室の先生」に近づいていることに、自分の成長を感じてしまっていました。

 

周りの評価だけが私の支えだったからです。

 

でも…ある時から

「保健室の先生ぽいね」

と言われることが苦しくなりました。

その言葉が欲しいがために、

自分を繕い、演じ、我慢するようになったからです。


(キャンパスもすっかり秋色です。)

 

 

 

「保健室の先生」「養護教諭」って一言で言っても、当然ながら十人十色です。

色々な先生がいらっしゃいますし、それで当たり前。

 

しかし、世の中のイメージというものがあります。

「私」は、いわゆる世間のイメージの養護教諭とは程遠い存在でした。

だから、そんな理想とのギャップに悩んで、苦しかったんだと思います。

 

周りの声、周りのイメージに求めようとすればするほど、

仕事が楽しくなくなってくる…。

そんな時期がありました。

「自分には向いていないお仕事なのかな」

と思ったこと、一度や二度どころではありません。

 

 

そんな時期を経たからこそ分かることがあります。

 

 

「基準」は自分で創っても良い、と。

 

 

「養護教諭だからこうしなければならない」

「養護教諭らしい養護教諭はこうでなければならない」

自分にとって「養護教諭であること」が

自分自身の基準ではなくなって、誰かから与えられた基準になってしまう。

 

そうやって苦しんでいる養護教諭は多いと思います。

 

 

養護教諭が学校現場にいることはとっても大事なことだとは思います。

しかし、

それが自分を苦しめてまで、

自分をしばりつけてまでその「理想像」を追い求めようとするのは

学校にいる子どもたちにとっても、

そして何より働いている自分自身にとっても、辛いことなのだと私は思います。

 

その「理想像」は果たして誰の基準でしょうか。

「自分自身で考えた理想像です」

とおっしゃる方もいると思います。

しかし、一度立ち止まってほしいんです。

その「理想像」の中に「自分」が在るかどうか、ということを。

その「理想像」は「他人」によって創られていないかどうか、ということを。

 

 

養護教諭らしくなくて、良いじゃない^^

あなたらしくあれば。

もっと肩の力を抜いて大丈夫。

 

あの頃、悩んでいた私にかける言葉があるのなら。

今の私は自信を持ってそう声をかけると思います。

 

 

 

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