初めての恐怖-2011年3月11日- | ぱあこ日記☆

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ぱあこのスイッチオフの時間

今まで他の地域や外国の地震のニュースを見たとき、「本当に恐いな」って感じてたけど、それって全然分かってなかったことが分かりました。

あの日、私は職場で仕事中でした。
最近職場に勉強に来られたドイツ人の学生さんとトンカツ屋さんでランチをし、楽しい時間を過ごしたあと、仕事を再開したところでした。

あまりに突然で、よく覚えていない部分もありますが、とにかく同僚たちと机の下に隠れ、配布されている防災頭巾をかぶり、スニーカーに履き替えておさまるのを待ちました。
ところが皆さんご存知の通り、震源地から離れている東京都内でも、今まで経験したことのない程の揺れを相当長い時間感じ、一向におさまる気配も無いように思いました。
そのときの恐怖といったら、これまで経験したことのない程でした。

その後、私も同僚たちも相当動揺していました。
とりわけ、仙台に家族がいる後輩にはかけてあげる言葉もなく、とりあえず、
「大丈夫だから。」
と、根拠のない言葉しか出ませんでした。

職場の内部の状況は部分的にめちゃくちゃでした。
まず、本棚にある大量の本が棚から飛び出し、足の踏み場がない程になりました。
本がとにかく多い職場なのですが、もしその近くに同僚が居たら、本に埋もれて怪我をしていたかもしれません。

地震のあと、それをすぐに片付けようとする同僚を止め、放っておくように言いました。
その後何度もきた大きな余震で、また本が崩れ、怪我をしたら大変です。

ただ、ひとつ良かったことといえば、昨年職場内で大掛かりな耐震工事をしておいたことです。
大量の本やファイルの入った棚を固定したり、内装に使われているガラスが飛散しないよう、全てのガラスに飛散防止フィルムを貼りました。
また、机の上、下などに最低限の物しか置かないよう徹底し、非常口や通路が物でふさがれていないか、年に何度かはチェックするようにしていました。
こういったことが活きてほしくは無かったけれど、出来ることはやっておくことがとても大事だと痛感しました。


地震の直後、あの日たまたま風邪で体調を崩していた旦那さまからメールで「大丈夫だ」との連絡がとどきました。
あんな状態のときに、冷静に対応してくれた彼に感謝です。

大きな災害のときは、まず家族と連絡を取りたいですが、今回の経験を踏まえ、身近にある連絡手段としては、

1. 会社のメール
2. 固定電話(公衆電話)
3. 携帯メール(ただし、相当遅れて届く可能性あり)
×携帯電話

という感じでしょうか。
ただし、災害伝言ダイヤルなどもあるので、「何かあったときはどうするのか。」を家族で話し合っておく必要があると思いました。


私は職場から歩いて帰りました。
歩いて帰ろうと思える距離に住んでいた私はラッキーですが、たとえ帰れても1人暮らしだったり、歩いて帰るなんて途方も無い距離に家のある同僚たちはどんなに不安だったことと思います。


この日は一生忘れられない日になりました。
甚大な被害をニュースで見るたび、いたたまれない気持ちになります。
自分の恐怖なんて、それとは比べようも無いほどだと分かっていますが、自分で多少なりとも体験したからこそという部分もあります。

とにかく自分にできることをこれから考えたいと思います。

心配して連絡をくれた家族、友人たち、海外にいる友人たち、本当にありがとう。