流鉄2000形「青空」の思い出
JR常磐線の馬橋駅と流山駅を結ぶミニ私鉄、流鉄流山線。
ここで10数年にわたり活躍してきた元西武新101系の5000形を置き換えるべく昨年秋に8両(2両編成×4本)が流鉄に譲渡された元JR東海の211系。
同車は2027年春予定のデビューを前に流鉄仕様への改造工事が進められており、私が先日流鉄の乗り鉄をした際にも流山駅構内の車庫内で改造工事中の211系を同行のガイドヘルパーさんが確認してくださっています。
そしてこのたび、この元JR東海211系の流鉄での形式が6000形となり、同時に「青空」の愛称も命名されることが発表されました。
「青空」の愛称には「青い空のように、親しみやすく、たくさんの皆さまに愛される車両になりますように」との思いが込められているそうで、流鉄の6000形に対する期待のほどがうかがえます。
この話題を報じたネットニュースの記事には来年春に実際に営業運転につく6000形の本数の記載がないため、これを見る限りでは6000形が従来の総武流山電鉄・流鉄の車両のように編成ごとに車体のカラーや編成愛称を変える方式を踏襲するのか、あるいは車体の帯色やラッピングのカラーやデザインを統一し愛称も「青空」に統一するのかは不明ですが、個人的には6000形でも乗るたびにどのカラー、愛称の編成に当たるかのお楽しみは維持してほしいところです。
現時点でわかっている6000形に関する情報はこれくらいですが、流鉄では来年春のデビューに向けて今後も情報発信をしていくとのことで、今後の発表が注目されます。
さて、このたび6000形に命名されることになった「青空」の愛称ですが、同線でのこの編成愛称は実は初の採用ではなく、2012年7月以来約15年ぶりの復活となります。
では15年前まで活躍していた「先代」の「青空」はどのような車両だったかというと、1994年から2012年まで活躍した2000形の2001編成(クモハ2001+クモハ2002)がそれです。
流鉄(導入当時の社名は総武流山電鉄)2000形は、流山線でそれまで活躍していた旧型車両を置き換えるため、元西武701・801系を改造して10両(2両編成と3両編成が2本ずつ)が導入された車両でした。それまでの流山線車両の例に倣って編成ごとに車体の塗装や愛称を変える方法も踏襲され、それは現在の5000形にも受け継がれています。
「青空」の編成愛称がつけられた2001編成は車両番号が示すように2000形で最初に流山線デビューとなった編成で、この編成愛称と紺色ベースに白いストライプの塗装は流山線初登場でもありました。種車となったのは1968年製の西武801系803編成の中間電動車ユニット(モハ803+モハ804)で、4両編成から2両編成への短縮のためにこの2両の車体に同車と編成を組んでいた先頭車(クハ1803・1804)の運転室部分を接合して先頭車化する改造も行われました。
1994年から営業運転を開始した「青空」は、2006年に流山線でワンマン運転が開始されるにあたりそれに対応した改造が行われ、さらに前面の方向幕がLED表示のものに交換されましたが、車体には大きな改造がされなかったので終始西武801系の面影が色濃く残り、かつて西武新宿線などで701・801系に数えきれないくらい乗車した私には懐かしい存在でした。
しかし老朽化のため2000形ややはり元西武の旧101系を改造した3000形はこれも元西武の新101系を改造した5000形に順次置き換えられることになり、「青空」も2012年7月15日のさよなら運転をもって引退しました。「青空」の愛称と紺色のボディーカラーは5000形には引き継がれませんでした。
さて私にとって流山線は、全長が短く乗り鉄や撮り鉄がしやすいことや、元西武の車両が長く活躍してきたことで地元とは結構離れているものの身近な路線で、過去何度も乗り鉄や撮り鉄に訪れています。もちろん現役時代の「青空」にも何度も乗車や撮影をしました。流山線の車両のカラーや編成愛称はどれも好きでしたが、「青空」は紺色の車体が結構似合っている感じで気に入っていました。
残念ながらさよなら運転の日に乗車や撮影をすることはできませんでしたが、その一週間後に流山線に乗りに行った際に流山駅構内の車庫から顔を見せている「青空」の姿を拝むことができ、本線上の姿ではないものの最後の姿をしっかりと見届けることができたのはよい思い出になりました。
15年ぶりに復活する「青空」の愛称を命名されて来年春にデビューする流鉄6000形。
流鉄としては初のステンレス車ということで、どんな姿で登場することになるのか興味があります。
また個人的には乗り慣れた元西武の電車が長く活躍してきた流山線に初めて投入される元JR車両ということで、乗り心地の変化とともに流山線に対する私の印象に変化があるのかも気になるところです。
とにかく、新「青空」がデビューした暁にはぜひ乗りに行きたいものです。
日光への修学旅行 その2
前回に引き続き、小学6年生の時の日光への修学旅行の思い出です。今回は主に、宿泊した旅館での出来事の思い出です。
旅館では夕食や入浴の後、クラスごとに歌などの出し物を披露しあうレクリエーションの時間が設けられていました。普段の私ならただただ観客として楽しむところですが、実はこの時の私はレクリエーションの中でクラス代表としてパフォーマンスをすることになっていました。
これは6年生の時の担任だったI先生に頼まれたり学級会で私を推薦する声が出たのを受けて決まったことでしたが、人前で歌や踊りを披露したこともなくそれらの出来も決して人前に出せるものではないとわかっていた私は大反対でした。
しかし、結局は「先生も推薦しているからしかたない」と考えてレクリエーションに出ることになりました。
そして当日何をやるかについてはI先生やクラスの同級生とも話し合いをした末、近藤真彦の「ためいきロ・カ・ビ・リー」という曲を歌うことになりました。
私は近藤真彦の曲はそれほど熱心に聞いていたわけではないのでこの曲はあまりよくわからなかったけれど、当時家になぜか「ヒットソングブック」というその時々にヒットしていた歌謡曲の歌詞が掲載されている本(いわゆる「歌本」)があったのでそれを見て歌詞を覚え、同級生からレコードを借りて曲を覚えました。とはいうものの完全に覚えきれたとはいえませんでしたが…
さらに、数人の同級生に衣装も作ってもらいました。といっても実態は上下とも黒いゴミ袋を衣装の形に切り貼りしたものに紫や銀の色紙を貼り付けて歌番組やコンサートでの衣装に似せたものでしたが。
そして、金色のねじりはちまきを頭に巻いて近藤真彦に少しでも近づくような扮装をして当日パフォーマンスすることになりました。
本番の当日、行きのバスの中でリハーサルの意味でこの曲を歌え、と先生や同級生から指名されて歌詞を見ながら「ためいき~」を歌いました。
そして夜のレクリエーションの時間になりましたが、実は私は修学旅行の実行委員会でのレクリエーションのゲーム担当も兼任していたため、クラス発表の前のゲームの時間が終わった後すぐに出し物の衣装に着替えなければならず、他のクラスがどんな出し物をしているのか全く見る余裕はありませんでした。
さて問題の私のパフォーマンスですが…、残念ながら満足のいく出来とは言えないものになってしまいました。
まず、テープより遅れたテンポで歌ってしまって、テープの音楽が終わったあとも気づかずに歌ってしまっていました。これは、テープの音楽がなぜかよく聞こえず、どこの部分の歌詞を歌えばいいかよく分からなかったのが理由だったと思います。また、途中で歌詞を忘れてしまった部分があったこともその原因でした。
ということで決して「やってよかった」とはいいがたい出来にはなってしまいましたが、とにかくなんとか緊張の本番を切り抜けることはできました。
さて、どうにかこうにか自分の出番が終わり、レクリエーションもお開きになった後は、消灯時間までの時間を利用してI先生が怪談話を披露してくださることになりました。どんな話をしてくださったかは残念ながら覚えていませんが、私自身はあまり怖さを感じませんでした。ただ、その日外では雨が降っていて、もちろん怪談中は部屋を暗くしていたので怪談を聞く雰囲気としては上場の環境でした。
怪談を聞き終わって部屋に戻りやがて消灯時間になってからも、修学旅行の夜の定番行事ともいえる枕投げやおしゃべりに夢中でなかなか寝つけなかったのも今から思うと懐かしい思い出です。
そんなこんなで、小学生時代の修学旅行はいろいろな思い出の残る小学生時代最大のイベントになりました。
今の私の母校の修学旅行の行先も日光なのでしょうか。
日光東照宮などは日光観光の大定番なので今も変わらず修学旅行の訪問先になっているのでしょうが、もしかすると近隣にできた東武ワールドスクエアなどにも立ち寄ったりするコースが設定されたりしているのかもしれません。東武ワールドスクエアは私が修学旅行で日光を訪れた時にはまだ存在していませんでしたが、もし今私が小学生で日光への修学旅行に行けるなら、ぜひ東武ワールドスクエアにも行きたいな…なんて考えたりもしてしまいます。
日光への修学旅行 その1
約1年半ほど前にこのお題で記事を書いた時には「あまり鮮明な記憶として残っていない」などと書いた記憶がありますが、その後このブログでもたびたびネタにしている「生いたちの記」に小学生時代の修学旅行について書いた部分ももちろんあり、それを読んで思い出したことや記憶違いだったことがいろいろと出てきたので、改めて思い出をつづりたいと思います。
小学校時代の修学旅行は日光へ行きました。
首都圏の東京・神奈川・埼玉・千葉あたりの小学校の修学旅行の行き先としては日光は大定番らしく、私の通っていた埼玉県内の小学校もご多分に漏れずといった感じでした。
6年生の年の確か9月のある日、バスで小学校を出発。電車好きとしては「修学旅行電車」なるものに一度乗ってみたい気持ちもありましたが、それでもバスの中でバスガイドさんの声に癒されたり歌を歌ったり、有名な「いろは坂」を登っている時に最後部の席に座っていた同じクラスのY君がふざけて窓から足を出しているうちに片方の靴を道路に落としてしまい大騒ぎになったりと、いろいろなことがあってこれはこれで楽しかったです。
日光に到着すると、まずは日光東照宮でのグループ学習へ。叶杉の説明文をメモしたり、現地の観光ガイドの方に東照宮についての説明をしてもらったり、鳴竜や「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿といった名物を見たりと、歴史的建造物にはそれほど関心のなかった当時の私ではあっても楽しい見学になりました。
その他にも、戦場ヶ原をハイキングしたり、華厳の滝や湯滝といった名所を訪れたりと、日光の観光名所はひととおり訪れることができたと思います。
そして宿泊した旅館は温泉の源泉のすぐ近くにあり、もちろん風呂は温泉なのでよかったけれど浴室は硫黄の匂いがたちこめていてちょっと我慢しきれない状況だったのを覚えています。一方で翌朝の朝食前にはその源泉の周辺を散策する時間があり、温泉の源泉というのはこういうところなんだというのを知れたのも貴重な経験になりました。
日光への修学旅行の思い出はまだまだありますが、それはまた次回ということで。
