約50年前の秋津駅界隈
両駅間を行き来する多くの乗り換え客がいるにもかかわらず連絡通路がなく、改札外の広いとはいえない商店街の公道を7~8分ほどかけて歩いての乗り換えを強いられている西武池袋線秋津駅とJR武蔵野線の新秋津駅。
この両駅間を全天候型のバリアフリー対応の連絡通路で2030年代前半に結ぶことを目指すとJR東日本と西武鉄道が発表したことは先日の記事にも書きました。
このことはネットでも大きな話題になったようで、これが実現すれば相当乗り換えが便利で楽になるという反応が大多数だったようです。
やはり、秋津・新秋津両駅間の乗り換えルートの道は歩道と車道がはっきり分離されているわけではない狭い道で、わずかとはいえ車が通ることもある中を約400mにわたって屋根のない公道を歩いて乗り換えをしなければならないとすれば、特に毎日の通勤通学でこの乗り換えルートを行き来する人々にとっては暑さや寒さ、雨や雪、車やバイクや自転車の動向を気にすることなく歩くことのできる連絡通路の建設は大きな朗報といえるでしょう。
さてその秋津・新秋津駅界隈ですが、私にとっては西武池袋線と武蔵野線の乗換駅としてだけでなく、幼少期に約3年という短い期間ながら住んでいた家の最寄り駅という意味でも思い入れのある街です。
そこで今回は、私が地元民として過ごしていた約50年前の秋津駅とその周辺のことを記したいと思います。
秋津駅は今でこそ西武線とJR武蔵野線の乗換駅として乗降客も多くなりましたが、もともとは他路線との接続もなく周辺に目立った団地などもない単なる郊外の中間駅でした。
1973年に国鉄武蔵野線が開業して西武池袋線との立体交差部の近くに新秋津駅が開業して一応秋津駅は武蔵野線との乗換駅にはなったものの、それでも私たち家族が住んでいた1974~1977年頃は今ほど利用客も多くなかった記憶があります。
乗換駅になったとはいっても当時の武蔵野線の電車の運転間隔は朝夕でも15~20分ごと、日中は40分ごとという閑散ダイヤで、今ほど便利に利用できる路線ではなかったことも影響していたのかもしれません。
その頃の秋津駅の駅構造は今と基本的に変わらない2面2線の相対式ホームで、上下ホーム間を跨線橋で連絡していたのも今と同じです。(ちなみに同駅は、ホームが場所によって東京都東村山市・清瀬市、それに埼玉県所沢市と3つの自治体にまたがる珍しい駅です。)
駅の下りホームに面してメインの駅舎と改札(現在の南口)がある構造も当時と今で全く変わりませんが、駅周辺にも多くの店がある現在と異なり約50年前は小さな商店が寄り集まった市場のような小規模な商店街はあったもののそれ以外にはあまり店もなかった記憶があります。今も駅前の道路が狭く駅前広場もないという状況も、それだけかつては利用客が少なかったことのあかしなのかもしれません。
一方駅の北側(上りホーム側)には約50年前は現在の北口がなく、駅から見て北側に住んでいた私たち家族が秋津駅を利用する際は家から歩いて駅に近づいても一旦清瀬駅寄りにある踏切を渡って大回りして駅舎にたどり着くしかありませんでした。
その駅北側は当時、スーパーや病院、地域の公民館的な施設はあったものの一方でかなり広い未開発の空き地も広がっているなどあくまでも住宅街の入口といった雰囲気で駅舎側以上に人通りは少なかった記憶があります。
そんな秋津駅から当時私たち家族が住んでいた家へ向かう間には、雑木林の間を狭くてやや急な坂道で上り下りする箇所があったり、古びた醤油工場のそばを通ったりと、住宅地と駅までの間のよくある風景とはまた違った景色も広がっていました。
そのような道を歩いて10分ほどのところにあった当時の私の家は、住所でいえば清瀬市の野塩というところにありました。
家の周辺は川(新河岸川?)のそばの閑静な住宅地といった感じで、秋津駅のあたりも含めて車の交通量の多い幹線道路が近くになく道も広くないためか、騒音とはほぼ無縁の環境でした。
今大人になって振り返ってみると、当時住んでいた家の周囲は畑と住宅が程よいバランスで同居し、車もあまり走っていないなど、幼い子供にとっては住環境としては比較的よい方だったと言えるかもしれません。
あれから約50年の月日が経過し、少なくとも秋津駅と新秋津駅の間に関してはあの頃よりも明らかに賑わいのある街に変貌した秋津駅界隈。
今後、秋津駅と新秋津駅を結ぶ連絡通路ができると両駅間を乗り換えで行き来する人々には大きな利便性アップにつながります。
一方でこの連絡通路ができることで乗り換え客が底を歩くことがなくなることによる打撃を懸念する商店街側からは過去に反対の声も上がっていたとのことです。
西武もJRもそのことは想定しているようで、連絡通路開設と並行して両駅周辺の街の活性化にも今後地元と連携してコミットしていく姿勢のようです。
今後、秋津・新秋津駅の周辺がどのように変化していくのか、元地元民、そして乗り換えで今も時々両駅を利用する者としては大いに注目したいところです。
カラフルな線の絡まり方に萌える
地図を読むのは得意?苦手?
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正確な縮尺のもとに国や地域、街の状況を示している本来の地図とは異なるけれど、路線図や停車駅案内にはそれらなりの楽しみがいろいろあります。
まず見ていて楽しいのが多数の路線や列車種別をわかりやすく表示するためのカラフルな紙面です。ほとんどの路線図や停車駅案内で路線や列車種別のシンボルカラーが多用されているので、それらの多様な色のラインが何本も紙面に張り巡らされている様は見ているだけで楽しいです。さらに大都市やその周辺など路線網が複雑な地域や会社の路線図では多くの色のラインが複雑に絡み合い、それを見ているだけでも結構いい暇つぶしになったりもします。
私が初めて路線図の面白さを知ったのは、おそらく小学校低学年の頃だったかと思います。
当時の首都圏の国電(山手線や京浜東北線など)の車内には、ドア上のスペースなどに「東京近郊路線図」という東京周辺の国鉄各線の路線網を示す路線図が掲げられていて、電車に乗ってこれを眺めているだけで東京(とその周辺)にはこんなにたくさんの路線があるんだと驚いたものでした。
また地下鉄でも営団地下鉄や都営地下鉄の駅構内にはそれらの複雑な路線網が一目でわかる路線図が掲げられていて、それをポケットサイズにしたものも無料配布されていたので、私はこれもよくもらっていました。
これらの路線図を見ることにハマった私はやがていろいろな種類の路線図や停車駅案内図を見ることが大好きになりました。その時時点での最新の路線図や停車駅案内だけでなく、過去のそれらを眺めるのも好きで、それらをあれこれ見比べることで路線や列車の変遷を感じることもできるのが鉄道好きとしては楽しいです。そしてそれはバスの路線図にもいえることで、鉄道もバスも路線図の中でいろいろな変わった駅名やバス停名を見つけたりなど、それこそずっと眺めていても飽きることがありません。
視覚障害者になった今ではこうした楽しみもなくなってしまったのは残念です。特に最近の首都圏では様々な新路線の開業や運転系統の変更で路線図の見た目も大きく変わっていると思われ、それを楽しむことができないのは路線図好きとしては辛いものがあります。
六郷土手の思い出
今でも覚えてる一番幼いころの思い出は?
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親から聞いた話では、当時私が住んでいた家の近所に同年代の子供があまりいなかったらしく、事実私のうっすらした記憶の中でも家の周囲で小学生ぐらいまでの年齢の子供を見かけた記憶はほとんどありません。
そういう背景もあって祖父が私をあちこちへ遊びに連れて行ってくれたことは以前にも書きましたが、もちろんそれは電車に乗ってのちょっとした遠出だけではなく、家からバスで行ける公園やプール、(当時の)羽田空港の旅客ターミナルの展望台など近場にもいろいろと連れて行ってもらいました。
そして、それらとともによく遊びにつれて行ってもらったのが、家から歩いて6~7分ぐらいで行くことのできる多摩川の土手(六郷土手)でした。
ここは川の向こうは川崎の工業地帯ですが、大田区側は川原もとても広く、周囲に高い建物がないのでとても気持ちのいい空間が広がっています。
そんな風景の中で、祖父と一緒に瓦や土手をよく散歩したのを覚えています。近くに小規模な団地があったためか河川敷で遊ぶ子供も多く、野球をしたりラジコンの飛行機を飛ばしている子をよく見かけた記憶があります。私自身も河川敷を駆けまわったり、正月にここで凧揚げをした思い出があります。
また、土手の道を歩いていくとやがて京急や国鉄の多摩川の橋梁のところまで行けるので、そこで多摩川を渡る列車の姿を眺めることもありました。特にこれといって変わった列車を見た記憶はありませんでしたが、たまに京急の鉄橋と国鉄の鉄橋のそれぞれを同時に列車が通過する場面にも出くわし、なぜかかなり興奮したのも覚えています。
私が両親とともに大田区から引っ越し、幼稚園や小学校に上がっても祖父母の家に行くたびによく通った六郷土手も、中学生になるころには自然と足が遠のきました。しかし、それからかなり経ってから久しぶりに歩いた六郷土手の風景は長い時間の経過の割にはほとんど変化がなく、河川敷で野球やサッカーをする子供がいる光景も昔とほとんど変わらず、幼い日に祖父に連れられて歩いた頃をはっきりと思いだすことができました。
今の六郷土手の状況がどうなっているかはわかりませんが、この辺りは大きな再開発などがほとんど行われていないので、きっと今でも土手の風景は大きく変わってはいないでしょう。
それを自分の目で確認することはもうできないけれど、この記事を書きながら久しぶりにゆっくり六郷土手の道をゆっくり歩いてみたい気分になりました。

