そして、ちょうどその時期に、自店の隣の市に業界最大手の●ルハンがオープンしたという話でした。
その続きです。
そして、この頃(2000年中頃)から、交換率を変更する店が増えました。
その主な理由として、
・パチンコの景品では、他店との差別化が図りにくくなった
・4号機が撤去され始め、当時の5号機は出玉がマイルドだった
(景品の規制(通達)が先か、4号機の撤去が先かは覚えてません・・・)
ことが、考えられると思います。
また、業界最大手の店舗が増えたことによって、等価交換がスタンダードになってきたことも要因の一つです。
(ただし、地域によって差があります)

自分は、84玉、70玉、60玉、50玉(等価)と調整をした事がありますが、50玉(等価)交換だと、釘調整(ゲージ)は、どの店も同じような調整になります。
何故かというと、70玉や、60玉交換なら、ヨリを開ける変わりに、"いのち"を開けようとか出来たのですが、
50玉(等価)交換は、釘がきれいに見えて、尚且つ、回収できるような釘調整(ゲージ)は限られるからです。
つまり、釘を開ける余地がないです。
そして、これらの流れと呼応するように、メーカーも液晶や役物をでかくして、釘が少ないパチンコ台を作るようになりました。
すると、さらに釘調整ができる余地が少なくなりました。
そして、今では景品(商品)に引き続き、釘調整でも他店との差別化が図れなくなりました。
こうなると、金太郎飴のような店舗が増えて、資本力がある企業しか生き残れなくなります。
その為、自分が店長をしていた時は、パチンコ(スロット)店というフィールで戦うことをやめました。
以前、その事を書いた記事、
↓↓↓
パチンコ店の戦略について
https://ameblo.jp/p-secret-story/entry-12532009135.html
続く・・・。
[ 補足 ]
業界最大手の企業を批判しているわけではないです。
●ルハンは、従業員の待遇の向上、接客の向上、パラリンピックのスポンサー企業になるなど、パチンコをエンタメにした(しようとした)立役者で、その功績は大きいと思ってます。
ただ、等価交換を推し進めた事で、業界全体のギャンブル性を高めてしまったことは否定できないと思います。