前回は、パチンコの確変リミッターが外れて、4号機のスロットが全盛だった時代(2000~2004年頃)に、
儲かったパチンコ店は、節税対策から銀行からの融資を受け、拡大路線を図ったという話でした。
その続きです。
前回は、節税対策で拡大路線をとったと書きましたが、その他にも拡大路線をとった大きな理由が2つあると考えます。
それは、
・優秀な人材とポストの確保
・"まちづくり3法"の施行
です。
順番に説明します。
●優秀な人材の確保とポストの確保
1993年にバブルが崩壊して、日本は不況の道を歩む事になりましたが、この時点を契機に、パチンコ業界に大卒の新入社員が入社するようになります。
特に、就職氷河期(2000年)以降は、MRACH(明治、立教、青山、中央、法政)レベルの大学生でも(仕方なくですが)入社を希望するなど、パチンコ業界に優秀な人材が入社します。
優秀な人材を獲得した(獲得したい)企業としては、将来の素敵なビジョンを魅せる必要があるので、
”店舗数は増えており、20代で店長になることも可能、そしたら年収800万円!”
となどといって、優秀な人材の囲い込みを図りました。
●"まちづくり3法"の施行
小泉内閣の時に策定(もしくは施行)された法律で、
ザックリというと、地方の商店街(個人事業主)を守る為に、大型の施設の建設(出店)を規制する法律です。
ダイナムやガイア等のパチンコに特化した企業は関係ないですが、ボウリングやゲームセンター、ショッピングモールとの複合施設として展開をしていた企業は、今後、地方への出店が出来なくなる為、急ピッチで拡大路線を図る事になります。
この時に、銀行から巨額の融資を受けた企業も一定数あります。
さて、このような理由で、銀行からの融資を受けたパチンコ店ですが、徐々に勢いが失速し始めます。
まず、第一の矢として、
スロットの4号機撤去と、みなし機の撤去問題。
この時期に、遊技台の設置台数が200台以下のホールは、ほとんど倒産(もしくは自主廃業)してしまいました。
そして、第二の矢が、リーマンショック。
パチンコは不況に強いと言われていましたが、リーマンショックの影響は予想以上に大きかったです。
自分が勤めていた会社では、売上げが一気に10~20%近く落ちるなど、大打撃を受けました。
最後の第三の矢が、東日本大震災。
地域が限られるので、影響がなかった企業もありますが、被災してしまった企業は大打撃です。
さて、本来の予定であれば、銀行からの融資を受けたパチンコ店は、金利(利子)を払っても十分に利益を残せると思っていました。
しかし、パチンコ業界は徐々に衰退、遊技機の規則も厳しくなりました。
その為、銀行からの融資を受けた多くの企業が、金利を返すだけで精一杯になっています。
続く。