- 前ページ
- 次ページ
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
日本の気候には、カレンダーの月よりも二十四節のほうがしっくりくるような気がします。
例えば今は二月ですが、なんとなく年の初め的な気がせんでもないです。
一年で一番寒いといわれる大寒は、現在の暦の一月よりも年の暮れである十二月にあったほうがピシッとします。
昨日は立春でした。
寒い中にも温かさが垣間見え、街路樹の新芽も大きくなってきました。
春の気配がしてくるのは、なんとなく年の初めの「一月」であってほしいです。
でも一月ほど暦を後ろ倒しにすると、クリスマスが十一月になってしまいます。
ありがたみがないです。
年の暮れ。
クリスマスが終わったらお正月♪
あのテンポ良さが失われるのは、いかがなものでしょうか。
クリスマスの後に12月がくる。
「終わったと思ったらまだだった。
寒いだけの一月を過ごさないと年が暮れない」
と言われると絶望します。
暦と感覚のズレは、しょうがないのかもしれません。
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
能登大地震についてのニュースを読むと、
「政府の対応が遅い」
という批判を目にするようになってきました。
私としては、国はベストを尽くしてくれており、感謝こそすれ批判することは何もないと思います。
特に消防、自衛隊、医療従事者の尽力には心から感謝しております。
ご自身の家族も被災された方もおいででしょうに…。
行政の方々が連携して情報収集と被災者への対応を頑張ってくれたからこそ、多くの方が避難所へ避難することができました。
混乱を背負い、走りながら決定していくことが多い中で、確かに粗削りな部分は多々あったことでしょう。
ですがそもそもこの大地震を引き起こしたのは、政府ではありません。
自然です。
政府が原因となっているのならばそのフォローについてご批判を受けるのは仕方のないことですが、政府は被災した人々、地域をなんとかして救おうとしているだけなのです。
提供される食事に当たりはずれがあった。
避難先が県外の宿泊施設だった。
支援金が心もとない金額である。
そうおっしゃる方も少数派としているかもしれませんが、大多数は今回の政府の対応に感謝をしているはずです。
いったい日本のジャーナリズムはどこへ行ったのでしょうか。
昨今の報道機関は少数派の意見をすくいあげて声高に唱え、政府批判を仕事としているように見られます。
とても悲しいです。
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
忙しくて余裕がなく、頭が働かないと凡ミスが増えます。
日付を間違えたり、
とっさに名前が出てこなかったり、
タイミング良く的確なことが言えなかったり、
ボールペンをなくしたり、
ボールペンのキャップを破損させたり、
ボールペンを持ったままボールペンを探して回ったり。
落ち着け、落ち着け。
リラックス、リラックス。
自分に言い聞かせて平常心を取り戻そうとするも、
吾子が米びつのコメを床にぶちまけたり、
障子を破いたり、
椅子にのぼってフラフラしたり、
引き戸に激しく寄り掛かってレールから外したり…。
あわわわわあぁあ~~~~~~~~。
凡ミスで喰いとめて、大きなミスを避けたい!
ぐあぁっ!!
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
大雪の名残を示す道路わきに積んである雪も、日に日に小さくなってきました。
雪はさわればさわるほど溶けていくので、山となった雪を崩す人を見かけると、
「やっぱ、気になるよね」
と心の中でうなづいてしまいます。
一面が統一された白い雪だと美しいですが、道路や塀などの人工物のなかに雪があると美しさは半減します。
自然物と人工物の調和の限界なのでしょうか。
ざわざわとうるさい気がします。
雪を崩している当の他人さまは、そんなことを気にしていないでしょうが…。
滑って危ないとか、目障りとかそんな観点から崩しているのかもしれません。
分からんけど。
かえって自然物の中の残雪が美しいのは、調和がとれているからなのだと思います。
さらさらと流れる小川の辺の残雪。
雪を払いのけて芽吹く草花。
山肌にまだらに残った雪。
調和です、調和。
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
年賀状終いを宣言して今年は年賀状を出さなかったですが、何枚か頂きました。
人からの手紙を読むのが苦手な私としては、もう一月も終わるのにその年賀状を未だ読んでいません。
なんとなく、ただもう、苦手なのです。
ビジネス的なカラリとしたワープロ打ちの文章は何とも思いませんが、筆圧を感じるあの手書きの、不特定多数ではなくそのひと個人に宛てたメッセージが苦手です。
社交辞令やただのあいさつ文でも、重いです。
実を言うならば、自分で書いた日記やメモも、読む気がしません。
手書きだからですかね、たぶん。
自分で何の気になしに書いた文字でも、翌日読むのが苦痛になるなんて変な話ですが、実際そうなのです。
でも他人が他人あてに書いた字を見るのは好きです。
勝手に人柄や顔を想像して、楽しいです。
しかしいざこれが自分になると、いやはや。
そんな訳で机の上に出したままの年賀状。
確認するのは、二月以降になりそうです…。
(あぁ、なにしてんだか)
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
いつの間にか、水仙の花が咲いていました。
つぼみをつけたことすら気がつかず、そばを通り過ぎていました。
二月の下旬過ぎまで大雪には注意と思い、今朝も凍った窓ガラスにぬるま湯をかけました。
風門にカイロを張って、寒さ対策に足掻いています。
寒い寒いと言いながらも昨日の日中はとても暖かく、三寒四温で春の気配は広がっています。
吾子に水仙の花の匂いをかがせましたら、顔をしかめていました。
ちょっと風邪気味で、気分がのらなかったのかもしれません。
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
能登の復興応援のために、政府がまた旅行割キャンペーンを計画しています。
地域活性化のために何かすることは大変ありがたいのですが、個人的に時期早々なのではないかと思います。
地震がおさまってきたとはいえ、また大きな地震がくるとも限りません。
倒壊した家屋や土砂の中に、発見されていないご遺体があるはずです。
道も、そのわきにある家屋も、山も、海も、まだ揺さぶられてガッタガタにされたままです。
経済を立て直そうというはやる気持ちはわかりますが、まだ多くの方が行き先も決まらぬまま避難所生活をしている現実があります。
そんな被災者が寝泊まりしている地域に、遠方から観光に旅行客が来て、それで被災地を応援する…。
相対的に見て残酷に感じます。
もう少し被災現場が落ち着いてからキャンペーンの構想をねり、そして着手してほしいです。
私が気にしすぎなのでしょうか。
なんかちょっと、
「どうして今なの?」
というもやもやした気持ちになります。
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
大寒を過ぎ、モンベルのダウンパンツ、ダウンベスト、毛糸みたいな素材のパッチ(ももしき)を履いていて気がついたことがあります。
「モンベル、やっぱすごく快適!」
寒くないように温活目的でちょこちょこと買い集めてきた我がモンベル達。
「寒くない」ということは「あたたかく感じること」ではなく、「寒さを感じない」ことであって、「あたたかい訳ではない」ということです。
つまり、
「幸せな時は幸せだと感じるのではなく、不幸だと感じない」
と言うことと同じだということです。
分かりにくい表現が、さらに分かりにくい例えで混乱を呼びそうですが、
「モンベルはやっぱあたたかいなぁ」
ということです。
「寒くない」って、「あたたかい」ことと同義語(モンベルにおいて)なんて、最近まで気がつかなかったです。
モンベルって性能が良いので、くたくたにくたびれても、捨てられないです。
今履いているパッチも、擦り切れて薄くなっている部分が多々あります。
ほかのメーカーなら新しい物へ買い替えを検討しますが、このパッチは性能がいいので捨てる気になりません。
あたたかいと、それだけで少しストレスが減る気がします。
来てくださって、ありがとうございます。
ペディキュア大統領です。
ジル・ボルト・テイラー女史の「WHOLE BRAIN 心が軽くなる「脳」の動かし方」を読もうとしました。
でも久しぶりに、読破できませんでした。
途中で読むことがつらくなり、進みませんでした。
外国の本の翻訳あるあるで、独特の言い回しの連続に耐えられませんでした。
ページ数の割に、話が進みません。
テレビのバラエティ番組の、
「衝撃の真相はCMの後!」
的な引っ張りの連続で、なかなか的を得ません。
ジル女史の著作である
「奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき」
の内容や、
TEDでの動画も大変良かったので、この本にも期待していただけに読破できず本当に残念です。
ねっとりとした文章、
繰り返さられる「キャラ、キャラ、キャラ」
進まぬページ。
外国人好みなのでしょうか。
私には合いませんでした。
ですので結局、結論がわからずしまいです。
こんなことも、たまにはあります。
しょうがないです。