日本のとある地方都市のアマチュアオーケストラが、まずメンデルスゾーンの比較的マイナーな序曲を演奏。
すきのない端正な演奏。初期ロマン派の清潔感、メンデルスゾーンらしい刻むリズム・・・
何度か睡魔に襲われる。退屈したのか・・・
次に、コダーイの『ガランタ舞曲』。
破綻のない演奏。アンサンブルも精緻だ。
前年行けず、聴き逃した同じコダーイの『ハーリ・ヤーノシュ』も聴きたかった。
『ガランタ舞曲』の終曲のハンガリーの民族舞曲(とはいえ、チャルダシュとはやや趣が異なる)は、エネスクの『ルーマニア狂詩曲』に似た雰囲気。独特の疾走感だ。
眠気が覚めて、心地よい。
さて、後半はブラームスの交響曲第1番。
実演を聞くのは多分初めて。前半の二曲も同様だが。
超有名な第一楽章冒頭、意外に短いことに気づく。
ゆっくりした第2楽章。各フレーズに奏者の共感が感じられず、ブラームスらしく響かない。
ちょっと速めの第3楽章。印象に残らない。
第4楽章。人気のある例のメロディー。みんなこの部分をやりたくて、この曲を選んだに違いないと思う。よく聴くと、ベートーヴェンの「喜びの歌」よりも、ドイツ国家(ハイドン)に似ているような気がしてきた。最後の部分は、何だかバルトークの『オーケストラのための協奏曲』かなんかのような雰囲気。本当はちょっと違うはずなんだが・・・
というわけで、実に貴重な音楽体験ができたのである。
最大の収穫は、ブラームスの音楽がドイツ民族の民族魂に由来していることを確信できたことだ。
ドイツの民族魂に対する共感と理解がなければ、ブラームスの音楽を演奏することはほぼ不可能だ。
しかもそのブラームスは、鉄血宰相ビスマルクを尊敬していた。そんな感じで、ブラームスの魂にはドイツの民族魂がふつふつとしていたのだ。
普通の日本人がこのドイツ民族魂をたやすく理解できると想像するのは、あまりに安易である。
きれいなメロディーがたくさんあるとか、クララとの恋の話がなんかロマンティックだからなどという安手のセンチメンタリズムからブラームスに近づくというのも無下に否定はできないのかもしれないが、ブラームスの問題はもっと深刻だ。
ドイツ三大Bだとか、ベートーヴェンの正統な後継者だとかうんぬんかんぬんの何の意味もないシナリオに乗っかるのは勘弁してほしい。
ドイツの民族魂に対する理解がなければ、ブラームスの本質は見えてこない。