ここは死が支配する | 大分アントロポゾフィー研究会

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わたしたちが受肉し、この地上に降りて来たとき、

本当のところ、わたしたちはどこに降り立ったのだろう。

ここはどんなところなのだろう。ここはどこなのだろう。

 

わたしたちが受肉し、この地上へとやって来たとき、

この地上の世界にわたしたちが生まれたのではなく・・・

なぜなら、この地上の世界は死が支配するところだから。

 

わたしたちは死が支配するこの地上の世界にあって、

エーテル体を担うが故に生き、

アストラル体を担うが故に感じ、

そうなのだ、ただ生き、ただ感じる、そしていつまでも無邪気にはしゃいでいる。

 

霊を見出さず、魂を虚しくして、あなたは死が近づくがままに任せている。

ミームに囚われたあなたの後ろに、ずっと死神がはりついているのだ。

 

あなたが思考するのをやめたとき、魂は死の暗闇に落ちてゆく。

霊の現実と矛盾したミームにはまれば、あなたは自分を見失う。

自分を見失ったあなたは、もう思考することができない。

ミームのアルゴリズムがあなたの魂を支配する。

 

これが死の舞踏でなくて何だろう。

死臭漂うあざといイメージの輪舞。

 

わたしたちは受肉し、この地上へと降りて来た。

ここは死の世界。

ここが死の世界だと気づいたなら、その暗闇に光を灯せばいい。

光はあなたの自我から来る。それは純粋思考の光だ。

 

“・・・光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。”(「ヨハネによる福音書」第1章)

 

 

いずれにしても、自我は死の闇の世界で右往左往する。

それが魂としての自我の通常の姿だ。

 

魂としての自我は、誰と戦っているのか。

実のところ彼は、リアルな現実と戦っているのではない。

ただただ闇雲に、自らの影と戦っているのだ。

それは自らの悟性魂/心情魂に巣食った影のような存在。

アーリマンとルシファーが宿るモンスター。わたしやあなたにそっくりのモンスターだ。

 

このモンスターが外からやって来たのでなく、どこの誰だか分からない他者の魔術によって生まれ出でた(いでた)のでもなく、

あなた自身の悟性魂/心情魂が生み出した蜃気楼だと、どこまでもイリュージョンなのだと気づけばいいのだ。

 

だが、あなたの方が、こともあろうか、あなた自身の影に似てしまうと、

影があなたに似るのでなく、あなたの方が影に似てしまうと、事はややこしくなる。

あなたは実体を失い、幻のようになる。

あなたがミームに囚われると、そのようになる。

あなたの魂の空間には、ミームのアルゴリズム(悟性魂)とそれに伴うイメージ(心情魂)しか無くなる。

 

まさしく死の空間だ。

だれもが空虚に見える。彼らの動き方は、まるで機械仕掛けの人形のようだ。

街の通りや遠くかすんで見える海や山の色合いが何か変な感じだ。

虫たち、動物たちは大小様々のロボットのよう・・・

 

そうしたいわば解離状態が魂を覆いつくす。

眠っているのか目覚めているのか定かでなくなる。

記憶が途切れる。

思い出せないのでなく、記憶がないのだ。

 

こんな死の空間を支配しているのは、アーリマンだ。