そしてミームは沈黙する | 大分アントロポゾフィー研究会

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音エーテルの音響のただなかに

あの静寂が聴こえたのだ。

 

純粋思考がそこにあるとき

魂の空間に、もはやざわめくものはない。

霊を前にして、ミームは口をつぐむ。

そして、静けさが訪れる。

 

霊の愉悦の中の静寂。

これが死の静けさではなく、霊的生命へと入ってゆくことだと

あなたにも分かるときがきっと来る。

 

 

その音楽を演奏している奏者たちは、そこで何が起きているのか知っているだろうか。

鳴り響くその音楽を彼らは意図的に演奏しているだろうか。

 

彼らの内なるミームは、とうに沈黙している。

彼らの純粋思考がそのとき音楽をリアライズしているのだ。

だからその意味において、その音楽を奏している彼ら自身が、

ミームから解放され、その場限りのいわば永遠なるものを現実のものと成したのだ。

 

幸運なめぐり会い、たぐいまれなる出来事。

同じことは二度とは起こらない。

また起こればいいのにと期待すること自体が、不幸の始まりだ。

あなたにできることは、日々純粋思考を成す努力を続けて、焦らずに待ち続けることのみ。

 

そうだ、そして、それを待ち続けるのだ。

するとあるとき、それがこれだったということに気づく。あれもこれもそれもいまここに。