シュタイナー・ミーム | 大分アントロポゾフィー研究会

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おそらく多くの自称アントロポゾーフが、それに陥っている。

それはシュタイナー・ミームだ。少なくとも私はそう呼ぶ。

 

純粋思考によってシュタイナーを読むのではなく、悟性魂/心情魂に巣食った因習的なミームのアルゴリズム/語彙体系によってシュタイナーの言わんとすることを絡め取ることだ。

この罠にはまると、そこから抜け出すことはなかなか難しい。

 

多くの自称アントロポゾーフたちは、人生の歩みの中で、少なくとも一度はその罠にはまり、思わず知らず有頂天になるかと思えば、その魂と身体において硬直し意固地になる。心のバランスを失うのだ。

本人的はすべてをわかったつもりでいる。はたから見れば、その人の自信ありげな様子に、何やら尋常ではないものを感じて、恐れたり、場合によっては、カリスマと持ち上げたりする。ルシファー的狂騒の一つの極みではある。

 

この罠はもちろん霊的な試練である。すべての地上的な事柄が、本質的に試練であるのとまったく同様に。

私たちはいずれにしても試練を通過してゆく。

 

このような霊的試練を経て、私たちの魂は純粋思考を成す器へと、意識魂へと変容する。

つまり、この地上に生を得た以上、このような試練を経ることなくして、私たちは自らの純粋思考を意識できるようにはならないということだ。意識されない純粋思考は、常に私たちの体(たい)に律動している。