低次の自我と対象意識、そして唯物主義 | 大分アントロポゾフィー研究会

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低次の自我/悟性魂が、拠り所とする対象意識の基本構造/成り立ち故に、内と外とが現れ、他者が現れる。

 

他者が、低次の自我/悟性魂に向かってくる/迫ってくるように感じられる。

内と外とが対立し、他者が”私”に敵対する。

これは、まったくもって、自然な成り行きである。

 

対象意識の根っこのところに、反感がある。

反感故に、分離することが可能になる。内と外、”私”と他者。

 

反感は、アーリマン/重力/死に由来する。

反感が魂に充満し、死の力に支配されるようになってくる。

ネガティヴな気が充満し、人は活気を失う。

 

いずれにしても、低次の自我/悟性魂は、他者との駆け引きの世界を生きる。

勝ち負けの、同じ土俵で、競い合う。

見返りを求め、求められる。依存し、執着する。

 

こういったすべての人間的営みの根っこに、反感由来の対象意識があって、人間を唯物論/唯物主義の迷宮へと誘惑する。

 

”さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、”霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。

「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」と言われた。

更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もしひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。”(「マタイによる福音書」 第4章)