ルシファーの系譜としてのプラトン、アーリマンの系譜としてのアリストテレス | 大分アントロポゾフィー研究会

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とりあえず、ここでは、勇気をもって、

プラトンはルシファーの系譜、そしてアリストテレスはアーリマンの系譜と、

書き留めておくことにしよう。

 

”聖書と自然こそは、中世の思想が滋養を汲む深い水源である。”(エドワール・ジョノー『ヨーロッパ中世の哲学』 文庫クセジュ 白水社 p.10)

 

・・・Barock-Stiel ~ ・ barocco ~ baroque ~ Baroque ~ ・・・

 

”・・・そして中世の半ば、12世紀と13世紀にプラトン派とアリストテレス派の間に素晴らしい相互関係が生まれた。プラトン派とアリストテレス派のもとに二つの魂のグループとしてアントロポゾフィー運動を準備した指導者もいた。12世紀頃内的必然性によって古代のプラトン的直観の名残りが蘇るシューレが生まれた。それが偉大な”シャルトルのシューレ”である。彼らは初期キリスト教の秘密についての叡智をまだもっていた。

・・・

アラヌス・アブ・インスリスは言う。私たちプラトン派は死の門をくぐってゆく。私たちは精神界にのみ生きる。私たちは精神界から見下ろし、物理界を他者に、アリストテレス的に知性を形成する人々に委ねなければならない。アラヌス・アブ・インスリスはシトー会修道士となる。アリストテレス派は主としてドミニコ会修道士となった。トマス・アクィナスはそこでスコラ哲学を発展させた。13世紀にヨーロッパの精神界の指導はドミニコ会修道士に移っていったという。

・・・

アントロポゾフィー協会の上にある運命が漂っている。「今日アントロポゾフィー協会の中にいる人の多くが20世紀が終わるまでに再び地上に降りてくる。しかもかつてシャルトル学派の中で指導的であった人、あるいはシャルトル学派の弟子であった人と一体となって再び降りてくる。20世紀が終わる前に文明がデカダンスに陥らないためには、地上でシャルトルのプラトン派と後のアリストテレス派が共働しなければならない。アントロポゾフィー協会はこのことを十分意識して未来においてこのことを受け入れなければならない」。これらはいずれもシュタイナーの最晩年の連続講演「秘教的考察-カルマの諸関係」(1924)において言及されたものである。・・・”(上松佑二『光の思想家 ルドルフ・シュタイナー』 国書刊行会 p.307~310)