学会誌に投稿してみた | 慶大通教課程(73期秋学士入学)での学びとその後

慶大通教課程(73期秋学士入学)での学びとその後

文学部I類(2019.10-2022.3)で学士(図書館・情報学)を取得。その後の学びの記録と育児を中心に書いてみたい。他の取得学位は学士(文学/玉川大)、学士(教養/放送大)、学士(福祉経営学/日福大)、あと学士4つ、修士2つ。

慶大に卒論を出したのが、もう一昨年の11月末。

卒論の試問では、指導教授から、学会誌への投稿を勧められた。

それで卒論を縮めて書式を直し、社会人院生のときの関係学会へ投稿してみた。

1月末までに結果が届くそうだ。

 

初めて学会誌への投稿を試みたのは12年前、当時はまだギリギリ30代だった。

放送大の卒論の試問で、学会誌への投稿を勧められた。

そこで卒論を大きく加工し、最初の院生のときの関係学会へ投稿してみた。

その原稿は、壊れかけたUSBメモリから別の場所へのファイル移動中に失敗して消えてしまったが、投稿したのが載ればそれでいいや…と思っていた。

ところが、12月半ばに届いた判定はリジェクト。

原稿も残っていないし、落ち込んで風邪をこじらせ、年末年始は熱を出して倒れていた。

 

それでヘソを曲げてしまい、論文投稿のようなことはその後一切してこなかった。

40代の間は、社会人大学院・日本福祉大・放送大・慶大を修了・卒業し、

さらに大阪芸大・明星大で単位をとって、ひたすら学ぶに徹してきた

(日福大や放送大では、次男の障碍への対応策を探るための学びも重ねた。)。

 

しかし大学での学びはよいとしても、ヘソを曲げたことは大きな間違いだった。

40代の間に、勤め人だった知人が何人も、論文投稿を重ね、博士学位をとり、大学に転職していくのを見てきた。

大学で学ぶことは、学問の世界では二軍戦のようなもので、「学ぶ」面では有益でも、「研究する」面での意義は薄い。

一軍の試合である「研究」は、学会誌と論文投稿で行われていたのだ。

 

その一方で、40代の末に卒業した慶大通教課程では、別の発見があった。

再レポに悩まされるうち、これは論文投稿の予行演習なのだと気づいたことだ。

レポ不合格が論文リジェクトというか、正確には、書き直し再投稿の指示にあたる。

それで、再レポ提出という形で書き直し再投稿を行い、査読通過・論文掲載にあたるのがレポ合格だ。

 

…なら、レポ提出のつもりで論文投稿を行い、あとはレポ合格を待つつもりで結果を待てばよいのでは?

いつも6科目受験を目標に(実際は5科目が多かったが)期限までのレポ提出に励んできた。

同じ気持ちで論文投稿をすれば、数打ちゃ当たる的に通ることもあるのでは?

 

…と思ったので出してみた。1月までに届くという査読結果については、通る自信はない。

しかし結果に拘わらず、これからは年1回、どこかに論文を投稿していけるとよいかなと思っている。