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空気なんて読めない

ozonの試験的公開日記

 こんにちは、中田の引退騒ぎでW杯に興味を失ってしまっていた、いんちきサッカーファンのozonです。

見てなかったけど決勝戦すごいことになってたらしいですね。マテラッツィの暴言疑惑は本当なら許されるべきではないと思うとともに、ナショナリズムがスポーツの興奮促進剤となるべき時代は終わったのではないか? と思ったりもします。今大会、僕が注目していたのは、各国のチームに所属するバルセロナの選手だけです。ええ、実はものすごくミーハーな自分なわけですけれども…w。

 「テロリスト」奇しくも疑惑の暴言の内容が、全てを言い表しているんじゃないかとも思うわけです。それが一番の悪口になるような、試合だったという事が。国を背負って戦う、大いに結構、なんておおっぴらに言えない日本人である事にも少しは意味があるんじゃないか?

 FIFAの会長が「もう国々で別れて争いあうのは終わりにしよう、とてもばかばかしいことじゃないか。」なんていい始めたりしないかなぁw。ワールドカップが廃止される必要なんかない。何が終わりにされるべきなのか…。


  眠い。だから良く寝ている。眠れることは幸せだ。そして目を覚ましたばかりの時には明晰だ。目の前にあることにではなく、自分の深層の意識のうごめきに対してだが。目の前にあることには別の仕方で明晰にならなくてはならない。目で見て、耳を澄まし、匂いをかぎ、指で触れる。舐めてみるのもいいかもしれない。


 さあ、このブログを見ている貴方も、舌を出してパソコンのディスプレイを舐めてみよう。とりつくしまのない無機質な味がするだろうか。舌先に少しピリリと来るかもしれない。だがそんなことはどうでもいい。


 「鳥のように獣のように」と題された文庫本が僕の目の前にある。今はなき芥川賞作家の中上健次が受賞後、初めて出したところのエッセイ集だ。いや、おそらく古紙の束に埋もれるところだった有象無象の雑文達が、受賞によって出版可能となり日の目をみることになったというのが正確なのではないだろうか? 当時、文壇で中上がいかに前途有望な若手作家と目されていたとしても、僕はそう思いたくなる。なぜならこの本に収められた文章の一つ一つが、はっきりそこに、どこにも身寄りのない有象無象の無名の若者としての自己証明をしているように思えるからだ。「俺は何者でもない、お前らは俺がどこから来た何者かを訪ねるが、俺にはどうでもいい、お前らが気にしなければならないのは、俺がこれから何をやるかだ。お前らが心配しているのはお前ら自身の身の安全だけであり、俺がやろうとしているのは、そいつを脅かすことだからだ。」もちろんここに、そんな饒舌はどこにもない。「鳥のように獣のように」生きることを願う者の内側から、衝動に抗いきれずほとばしる「叫びともうめきともならない」何かがあるだけだ。そしてそれらはやはり、とりつくしまのない、無機質な味わいをあなたの舌に残すだろう。

 ジムに通う金はないので、暇を見つけてはなわとびをしている。子供の遊びと侮るなかれ、これが結構きつい。5回に一回、二重跳びをいれて、30回くらいやると息が上がって、足がなわにかかる。休憩しながら10分くらいやってると、それだけで足元がふらつく。

 

全身運動でシェイプアップに最適、おなかの気になる方はやってみてはいかがですか。プール行きたい・・・。)

 中田英寿が引退するそうですね。こんな消化不良のワールドカップの後に、負けず嫌いの彼にのことだから容易に信じられることではありませんが。ブラジル戦を「期待して」みていた方々にとっては納得の行くものだったのでしょうか?

 僕自身にとっては、たとえあのブラジル戦を勝利したとしても、「やりきれない」W杯であったことは想像にかたくないんですがね。フロックで勝って、日本全国お祭り騒ぎなんてねw、これからチームはボロボロで決勝トーナメントを戦うというのにねw。


 「ヒデはイチローになれなかった」みたいな論調で書いてるところ多いけど、だいぶ違うと思うんだけどなぁ。日本は世界に誇れる野球大国です。サッカーの世界で行ったらアルゼンチンみたいなところだと思う。


 4年間見ていれば解かると思うけど監督のマネジメントが最低だった。中田一人でどうにかなるほど甘い状況じゃなかった。もし、中田が自分の気持ちを伝えることで、バラバラになっていたチームをひとつにできると思ってたんなら、それは驕りだと思う。彼はいくつかのゲームの「身を張った」プレーだけで何か伝えることが出来ると思ったのか?


 人数合わせに起用されその後見向きもされなかった選手達、かけられすぎた期待に折れてしまった主力選手達、それらの影が、まるで背後霊の様に付きまとっていた。欧州組と国内組の対立、実力、コンディションよりも、積み上げられた評判を重視する選手登用、「レギュラー組」の分厚い壁、溝は埋まりようのないものだった。ジーコに付き合ったのは選ばれた23人のメンバーだけじゃないんだよ?。今、中田が独りで責任を背負おうとしている姿勢が全てを表していると思う。

 

 そんな中田の姿勢に、正直僕は受け入れがたいものを感じている。

 今朝方、韓国がスイスに負けたので、アジア勢からの決勝トーナメント進出は無くなることになりました。フランス戦の最後の方を見て、勇気が奮い立たされるような気持ちになったので韓国を応援していたのになぁ…。語学学校の韓国人の生徒には、スイスに気をつけるように言ったのだがw。これでアジア枠減らされないといいな。

 諸般の事情によりブラジル戦は10分しか見てません。何か期待されていた方には申し訳ありませんが、僕は日本代表がワールドカップ本戦でブラジルと戦ったという事自体がすごいことだと思いました。スタジアムで観たことのあるJリーグの選手達がロナウジーニョをロナウドを止めようと必死になってる。マスコミの煽り立てる商業主義と結びついた楽観論の影響もなくサッカーを観れた自分は幸福だったかもしれません。

 

 追記 これは24日に書いたものです。知り合いが録画していたので、休みに入ったらじっくりと日本代表のブラジル戦を見てみたいと思います。今、時期代表監督候補として、オシム氏の名前が取りざたされていますが、Jリーグに興味を持たない日本代表サポーターの方々は一連の騒ぎはどう思われているのでしょうか?。彼がJリーグにもたらしたものを幾分かは知る自分にとっても複雑な心境ではあります。根底から日本代表は変わるでしょう。おそらく「良い」と言える方に。では何故僕が複雑な心境を抱いているかと言うと、

ひとつには彼が代表監督となれば、残酷な世代交代が起こるのではないかと考えられるからです。中田英寿は言うまでも無く4年後の南アフリカW杯のピッチに「黄金の世代」は一人も残っていないかもしれません。

 もうひとつには、こうなったからにはもう日本代表からは目が離せないということがありますw。

 もしかしたら、オシムがもたらすのは先のアジアカップの優勝に手放しに歓喜したような日本人達にに勝利以外の価値をピッチの上に見出させることかもしれません。しかしそれは敗北よりも更に残酷なものがあらわになった上での事なのではないかと思っています。

 評価の対象にならない監督に率いられているチームを一生懸命応援している皆様こんばんは。それみたことかといいたくなるが、この試合が日本のサッカーファンが今の日本代表に何が足りないのかを考えるきっかけにもなら無いのがひたすらむかつく。

  今、僕は日本にいません。こう書くことにどんな意味があるのかよく解らない。一つには、このインターネットで専ら日本在住の日本人を対象にブログを書いていたらしいということ。そうしてそれがごく自然に自分の中で受け入れられていたらしいこと。そういうことがよくわからない。そしてそれらがまだこのブログで続いているらしいということ。

 何故、’日本’に’いないこと’が’正直’に話す重要なトピックスとなりうるのか? よくわからない。そこには暗黙の了解が数多くあったわけだ。北海道から沖縄まで、日本の都道府県のどこかに住み、日本語を喋り、働いていない(笑)…若者であるらしい自分。僕が有効だと思っていた匿名で語ることのうちには読むものに対してそうした暗黙の了解を多くを押し付けるものだったのだろう。

そして、一体僕は何処にいて、何語を話し、どんな生活を送っているのか?


 ドイツワールドカップグループ予選で昨日その23人のメンバーが発表された日本代表サッカーチームが対戦する事になるオセアニア地域の国の一都市にいて、日本人のルームメイトたちと生活し、昼間は語学学校に通っています。


 書いてしまえばひどく凡庸だ。そういう日本人は沢山いて、その数の厚みの限りで僕の個人情報は守られるわけだ。そうしてその’守られる’(もしくは漏出)という事は、僕がこの記事を公開した時から始まる。本当にどうでもいい、とつぶやいてみたくなる。しかしそれは事実との対称性をうやむやにするための戦略の一端かもしれない。多くの場合、人がどうでもいい、といってみることの中には自他共に対する欺瞞が含まれているようだ。


 僕はもうそういうこと全てに何かうんざりしてきている。いや本当はただ自分にうんざりしているのかもしれない。本当のことなど何一つ言えない臆病者の自分に。

 今日、アメーバブログからメールが来た。コメントでもトラックバックでもないらしいが、いつもなら見逃すだろう「一周年記念なんたら」というタイトルのメールを、なんだろうと思って開いてみると、このブログが一周年を迎えたとのことらしい。

 おめでとう自分、おめでとう読者の皆様方、ああ、なんておめでたいんだ。世の中におめでたいことはいっぱいあるだろうが、おそらく自動プログラムで送られてくるこんなメールをおめでたがったている自分がなにしろ一番おめでたいんじゃないだろうか。いや、たとえ「機械」だけが覚えていた一周年だとしても、おめでたいものはおめでたい、ということにしておこう。それでは自分はこれからお祝いに熱いシャワーを浴び、さっさと寝て忘れることにいたします。

 うん、そうだね、あまり肩肘張らずに始めてみようか・・・。テリー・ギリアム監督の「ブラザーズグリム」を観たよ、いかにもな設定にいかにもな配役、近頃はファンタジーが売れ線だからつくってみましたという感じだった。ティム・バートンの追っかけは止せ、と言いたいね。ディズニーのアニメーターとして出発したティム・バートンの「ファンタジー物」は、よく観れば、映画以外では出せない癖を持つ「作品」になっていて、流行り物の「規格品」とは大分違うんだ。ああ、悪口になってしまった。

 「イン ハー シューズ」は大分良かったと思うね。優等生でワーカーホリック気味な姉と、学習障害を持ちズベタな妹が、それぞれに欠けたものを見つけていく話。早死にした母親がキーになっているんだけど、回想シーンが一つも無いのがいい、彼女達の幼い頃は語られることによって、観るものに想像させるようになっている。映像で語ると言うことは、何も全てストーリーを表面化させることではないということがよくわかる。映画と言うのは、完成した時点から、詰まり終わったところから観られていくことになるのだから、全てが全て「回想シーン」だともいえるのだ。あの映画では、時間軸を丁寧になぞることによって、「過去」を出現させることに成功していた。でもキャメロン・ディアスでは弱いな・・・。