眠い。だから良く寝ている。眠れることは幸せだ。そして目を覚ましたばかりの時には明晰だ。目の前にあることにではなく、自分の深層の意識のうごめきに対してだが。目の前にあることには別の仕方で明晰にならなくてはならない。目で見て、耳を澄まし、匂いをかぎ、指で触れる。舐めてみるのもいいかもしれない。
さあ、このブログを見ている貴方も、舌を出してパソコンのディスプレイを舐めてみよう。とりつくしまのない無機質な味がするだろうか。舌先に少しピリリと来るかもしれない。だがそんなことはどうでもいい。
「鳥のように獣のように」と題された文庫本が僕の目の前にある。今はなき芥川賞作家の中上健次が受賞後、初めて出したところのエッセイ集だ。いや、おそらく古紙の束に埋もれるところだった有象無象の雑文達が、受賞によって出版可能となり日の目をみることになったというのが正確なのではないだろうか? 当時、文壇で中上がいかに前途有望な若手作家と目されていたとしても、僕はそう思いたくなる。なぜならこの本に収められた文章の一つ一つが、はっきりそこに、どこにも身寄りのない有象無象の無名の若者としての自己証明をしているように思えるからだ。「俺は何者でもない、お前らは俺がどこから来た何者かを訪ねるが、俺にはどうでもいい、お前らが気にしなければならないのは、俺がこれから何をやるかだ。お前らが心配しているのはお前ら自身の身の安全だけであり、俺がやろうとしているのは、そいつを脅かすことだからだ。」もちろんここに、そんな饒舌はどこにもない。「鳥のように獣のように」生きることを願う者の内側から、衝動に抗いきれずほとばしる「叫びともうめきともならない」何かがあるだけだ。そしてそれらはやはり、とりつくしまのない、無機質な味わいをあなたの舌に残すだろう。