小中高の各年代でネットいじめが問題になっているとテレビで特集が組まれていた。見かけただけだが、身の毛がよだつ思いがした。このナイーヴさは何だろう?、いじめられるほうの、ではなく、いじめるほうのナイーヴさはいったいなんだろう?。2ちゃんねるではすぐ適者生存とか、弱肉強食とかいう言葉が出てくるけれど、はたしてそれがこれにあてはまるだろうか? いじめているメンバーにしても、いつ自分にお鉢がめぐってくるかわからない状況に、戦々恐々としながら保身のために行っているのが本当じゃないのか?
ナチスドイツのホロコースト、アメリカのマッカーシズム、いまだとイラク戦争もそうだけど、分かりやすいのはイスラエルとパレスチナの紛争だ。マイノリティへの弾圧は、本質的には弱者による弱者の弾圧だ。
しかし、ここに働いている集団主義に、対抗する論理というものを日本の、教育の現場の教師たちはもちえているのだろうか?日本の場合、一番の焦点はそこになるはずである。フランスやドイツの教育では徹底的に個人主義を叩き込む。日本の教育のどこに個人主義があるだろうか?
教師自身が保身に汲々としているのに、一生徒の「変わった様子」に気づくことなんかあるはずがない。
付け加えて言うと、「逃げること」はもっと推奨すべきことだ。いじめを行うグループは、そのターゲットよりも身動きが出来ないことはわかりきっているのだから。自己の生命を守る権利を見失わせるのが教育の目的であるとでも?