もしかしたら更新されていることを期待されて3週間に一度くらい訪れていたかもしれない奇特な方ごめんなさい。身辺状況の急激な変化により、すっかりこのブログの存在を忘れていたozonです。
ナンネンブリカノライキャクジャ
コンナヘンピナトコロヘ ワザワザヨクオイデナサッタ
ワケワシランガ ナンギジャッタノウ
ミタトコロ ナガタビデツカレテイルヨウジャ
チャデモノンデ ユクガヨカロウ
ソレ ツイデトイッチャナンダガ
コイツヲ オススメシテオコウ
- Feist
- The Reminder
シチョウカノウナノジャ
あと数分で僕はまた1つ年を取る。こんなことでいいのだろうか。ああ、もう少しでやべっちFCが始まってしまう。だけどやべっちFC観ながら誕生日を迎えるのはどうかと思う。こんなことでいいのだろうか。昨日観た試合の詳細を知りたい。フクダ電子アリーナで観た千葉VS大宮の試合。千葉が終始優勢で、大宮は後半最後ロスタイムまでの15分しか攻撃しなかった。アウェイ自由席なんてとこ取っちゃった僕らは、挨拶に来た選手に向けられた大ブーイングを自分のことのように受け止めながら、すごすごとスタジアムを立ち去った。こんなことでいいのだろうか。一昨日はソニックユースのライブに行った。開場前にスタジオコーストの手前にドラマーのスティーブ・シェリーが来ていたらしい。全然気づかなかった。こんなことでいいのだろうか。生のキム姉さんには感動したが、ニューアルバムを聞いていない僕はライブ自体にはあまり乗れなかった。こんなことでいいのだろうか。
拝啓 キム・ゴードン様、もうあと5分で僕はあなたの半分の年になります。あなた半分でもタフになれるように、あなたの歌に勇気をもらうことをどうかお許しください。
あ、・・・・
ぼくは 最近 翼をもがれた鳥のように自由です。
年が明けて一月が終わってしまった。なんだかどうも世間では猪突猛進猪突猛進といろいろな人が繰り返すので、天邪鬼な私はここぞとばかりに、おもいきりのんびりしてやろうと、ほとんど寝て食うだけの生活を繰り返していたら、ブログがこんなことになってしまった。
この記事を見られている方で、先月一度でもおとづれて下さった方がおられたらごめんなさい。ozonはぼちぼちやっています。
話は変わって、勝手なことをかかしてもらっていた安部晋三現首相の著作「美しい国」を読んでみた。どちらかといえば左翼思想に共感を抱くことの多いozonとしては、日本の「美点」については多くの疑問を抱いたものの、外国人に対して門戸を開くことでダイナミズムを生み出そうというところや、金銭以外のところで生きる価値を見つけていこうというところ、ライフスタイルの幅を広げてゆこうという考え方には同感を抱いた。
というかこれらのことは先進国ならばほとんどの国が、取り組んでいる事柄である。つまりいかに日本の国内状況が異常になっているかということが問題なのだ。勝ち組、負け組み、と今現在進みつつある日本の格差社会化をネタにするマスコミと、それにたいして、「国が、国民がそれを選択するかどうか」ということを執拗に問いかけて見せる教育関係者や学者たち。なにをいっているんだろうか、「一億総中流」自体が、世界市場における日本の経済的な躍進に支えられた「幻想」に過ぎなかったのに。
この幻想をうちから食い破るか、外から風穴を開けない限り、私たちは「生きること」の、酸いも甘いも味わうことができない。いわば「ゲーム化」した競争社会の小さな勝ち負けに一喜一憂することになる。その一喜一憂を、誰とも共に味わうことができないことの虚しさに気づかないままに。
26日の放送は、自宅のパソコンがえらいことなっていて不可能でした。まことにもうしわけありません。お詫びといっては何ですが、放送で話そうと思っていたことを幾つか・・・。このブログ上で書いてゆきたいと思います。
テレビで、オージーの少年が、イスラム圏出身(何処の国だか分からなかった)の移民の少女に恋をする、というドラマをやっていた。TVをつけると、写ったチャドルをつけた少女のたどたどしく喋る英語がすごくわかりやすかったのでそのまま見続けることにした。もちろん(演出上)英語の未熟な少女に話しかける主人公の英語も分かり易かった。かねがね世界で最も美しい女性の多く生まれる人種はイラン系だと思っていたというのと、語学学校で中国人の少女が気になっていたりするので、ひとごとではないと思い二人の恋の行く末を見ていた。
少年は少女に出会ったことに即発されてニュースを見、世界情勢に興味を持つようになる。少女が理不尽な破壊行為から母親をなくしていることを知って、世界に対する不信感、無常観を覚えて軽い薬に手を出したりする。理解ある賢い父親はそんな彼をなだめすかすように、友人のように彼に接する。ジョイントを俺にも吸わせてくれと手を伸ばし、ギターを抱えて替え歌を歌う。主人公に恋していたオージーの少女のゴタゴタがあるんだけれど、その辺全然聞き取れなかった。
話はちょっと変わるのだけれど、オーストラリアにはSBSというチャンネルが合って、それはこの国の多文化主義を象徴するかのようなラインナップになっている。ヨーロッパはもちろん、韓国、中国、日本のつまらない(笑)映画まで放映している。主に「芸術系」の映画を中心にセレクトされているというところが僕のつぼにはまって、僕がTVの前に座っている時、チャンネルは大抵SBSだ。逆にそんなSBSがあるせいか、他のチャンネルのドメスティックさが目に付くようになる。
ドメスティックっていっても、ちょっと違うんだけどねw。単に日本の民放と同じようなラインナップって言うだけ、バラエティやクイズ番組の他、映画ならアメリカの映画が多いってことだけど。SBSは日本で言うと、NHKのBS1とBS2を足して割ったっていうところかな?
このドラマ(「something」って言うらしい)はオーストラリア国営放送のABC(日本で言うところのNHK)で放映されていて、SBSではなかったから、チャドルを付けた女性が出てることが僕を驚かせたいうわけ。二世代前は移民という人が殆どのオーストラリアで、異人種間の恋愛がドラマのテーマになるということ自体は当然のこと。それでも今のご時世でチャドルを付けた女性をヒロインにしてしまうことは大胆な試みなんじゃないだろうか。
先日、現ローマ法王が、「イスラム教の教義自体に暴力を肯定する要素がある」というようなことを言ったらしいことをしった。オーストラリアでもハワード首相が「イスラム教徒には英語を覚えて、オーストラリアの生活に融合してもらう必要がある」というような主旨のことを言っている。まぁこの二つには大分開きがあるけれど、僕はどっちにもどうしちまったんだい、と言いたくなる。
余裕が無いんだよな、最近。だいたいがアメリカのせいだと思うが。
ドラマは、少女の家の前にとめた車の中で、彼女がチャドルをとって、少年とキスをするところで終わる。頬を赤らめ家に駆け込む少女を見ながら、少年は「I have a girlfriend !」とか(笑)言うわけなんだけど、 まぁ、なんだろうな、これの性別が逆だったらこんなエキゾチックな恋物語というふうには行かないんだろうな、とか思いながら、正直羨ましいと思ってしまったozonでした。
彼女がそのクラスの新しい生徒として、僕達に加わったのは6月半ばのことだった。所在無く、教室の壁にたたずむ彼女を見た僕は、長く美しい黒髪と、強い瞳に惹き付けられて、すぐに顔を背けた。授業が始まり、丸テーブルの隣の席に座った東南アジア系だと思っていた彼女は中国人で、日本人の僕は韓国人だと思われていた。「私達の国、中国ってどう思いますか?。」今思えば僕も頓珍漢な答えをしたものである。「人がいっぱい、空気が恐ろしく悪いと聞く、すむには大変そう、だけどすごく綺麗な所があると思う。」彼女は頷いた。
本当のことは何も知らない。彼女のことも、彼女の国も。あれからもう三ヶ月たつというのに。
彼女は18歳だった。僕よりもずっと会話が達者で、こりゃすぐ上のクラスにいっちまわぁな、と思った。しばらくして僕らはホリデーに入った。学校がないだけで仕事はあるという、ホリデーらしからぬホリデーだ。語学学校には基本的にホリデーはなく、僕らの組織が勝手に休ませているだけなのだ。そんなホリデーの最中に学校の記念パーティに行くと、受付の手前に出来た列の最後尾の僕の後ろに、彼女が並んだ。「クラス上がった?」「ハイスクールクラスに入ったわ。」せっかくの機会にもなかなかかみ合わない会話。
ホリデー明けて最初の登校日、教室に彼女がいた。弾む心を押し隠して、授業が始まるのを待つ。少し遅れて来た先生が言う、「〇〇、あなたは今日から上のクラスよ、」「おめでとう!」みんな、拍手して送り出した。僕のうつろな胸のうち、乾いた音を立てて響く、自分の手のひらが打ち合わさる音。
今 彼女は午前中隣のクラスにいる。距離が縮まって僕は嬉しい。
午後になると高校生クラスに入る。僕はあの強い瞳が見たくて、彼女のクラスの階まで上がる。偶然すれ違うふりをして、彼女の方をのぞき見る。僕は中国語を勉強し始めた。おはよう、こんにちは、さよなら、の三つを練習しているところだ。
