戦前の国産腕時計 英工舎『センター』 | ぽつんとのブログ

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60代から始めた筋トレで「腕時計」が似合う「美ボディ」をめざしてます。

今回、紹介する「CENTER(センター)」は昭和10年に腕時計の生産に着手した「英工舎」の別名です。





アングルを変えながら撮影してますが、昭和のパリス環式革ベルトへこだわることで、当時の雰囲気を伝えられるようにしてます🍀

【英工舎の別名】
古い順から説明しますと、昭和13年9月にASIA(アジア)、LUCKY(ラッキー)、SWIRL(スイール)、その数年後に「CENTER(センター)」と「OLTER(オルター)」の別名を市場へ送り込んでます。


 その中でも「CENTER(センター)」のムーブメント9型、7石は、スイス製を忠実に模倣したと思われる出来栄えで、戦前型を代表する別名と言われてます。

1930年代製、手動式、9型、7石、全アラビア数字アップライト文字盤、スモセコ、 本体ケースサイズ : 24㎜(ワイヤーラグ含まず) 本体厚さ : 9㎜

戦中は、他の国産時計メーカーと同様に軍需精密機械の製造を強制させられた事で、滝野川の工場は北区赤羽、桐生、秩父、取手に分散疎開させました。 
そして、戦後になると疎開工場で保管していた機械部品を使用して「プリマ系」の腕時計を完成させ、早々と腕時計生産を軌道に乗せましたが、昭和22年頃から不況が続き昭和25年に英工舎は倒産しました。 



最終モデルとなった別名が、『NEWEIKO(ニューエイコー)』になります。

『鶴巻時計店 英工舎』 
新潟県長岡市出身の鶴巻栄松氏が東京上野に上京し、大正5年に株式会社鶴巻時計店を資本金200万円で設立。 設立当時の鶴巻時計店は卸業を主体に展開していましたが、1919年(大正8年)に東京に時計側専門の製造工場「秀工舎」を設立。 1924年(大正13年)には王子滝野川(北区滝野川)に『鶴巻時計店 英工舎』を設立させて、TSUマークの掛時計の製造を開始してます。

 「英工舎」の正式名称は『株式会社鶴巻時計店英工舎』で、鶴巻時計店の時計製造部門が「英工舎」です。
その後、英工舎が最盛期の1919年(昭和2年)からは多くの目覚し時計を世の中に送り出し、現在でも社名を表す「TSUマーク」は掛け時計や目覚し時計でも多く見かける商標です。 
ここで気になる「英工舎」の社名は、ローマ字名で分かると思うのですが、当時の大企業だった「SEIKOSHA」から「S」を除いただけの「EIKOSHA」です。
確かに設立当初は知名度が全く有りませんので、消費者を誤認させる社名にしたのか?当時は商品を少しでも多く売りたい為なのか?そのような社名が多かったです。
現在なら紛らわしい社名ですが、当時は全く同じロゴでなければ商標登録が出来た時代でした。

このような時代だから生まれた国産腕時計の別名ですが、この中には、博物館級のお宝も存在してます☺️

また、腕時計以外も同じですが、コレクションは最終的に手放す時が来ますので、価値の上がる物を集めることも大切です😃

それでは。。。

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